木曜日, 6月 16, 2016

デュアルレンズスマホ HUAWWEI P9

 昨年の丁度今頃honor6 Plusについてデュアルレンズスマホのことを書きましたが、今回のHUAWEI P9はちょっと違うようです。なにしろ、あのLEICAが共同開発しているのですから、プロのカメラマンも驚くほどの出来です。

 このカメラの出現でいろいろな面で大きな影響がでてきそうです。一番大きな影響は、やはりカメラメーカでしょう。あとからピントを変えられるカメラは、ライトフィールドカメラというのがあるのを紹介しましたが、それはもう時代遅れになってしまいました。それどころか、今の一眼やコンデジでは当然あとからピントはかえられませんから。しまも絞りも可変でF0.95から設定できるというのですから、一般のレンズでは無い性能です。これらは専用カメラの領域を超えたということになります。スマホが専用カメラの機能性能を超えたのは、これが初めてかもしれません。

 いままでに何度も書いてきましたが、スマホの出現は、コンデジの領域をあっと言う間に駆逐してしまいました。それどころか、いまや一眼の領域さえも浸食しようとしているのです。ボケ味が楽しめる一眼がスマホで楽しめ、それも好きなようにボケ味が変えられるのですから機能的には一眼さえも超えたことになります。

 不思議なのは、カメラメーカがデュアルレンズに手を出さないことです。もちろん過去には立体カメラ的なものは有りましたが、今回のようなコンセプトのカメラが出てこなかったのが不思議です。もう戦う気力もないのでしょうか?

 そして、もっと驚くべきことは、ライカです。ライカは、一眼レフも作っているれっきとしたカメラメーカです。それが中国のスマホメーカとタイアップし、そのスマホにはライカのロゴすら入れているのです。ライカのカメラは価格的な面もあって市場シェアは微々たるもの。つまり、ライカはスマホに賭けたのかもしれません。1000万台のカメラよりも、数億台のスマホの一部であってもそちらに価値を見出したということなのでしょう。 デジタル化URL : http://www.photosepia.co.jp/ 修復URL : http://www.photosepia.jp/

水曜日, 1月 20, 2016

LTE通信機能付きカメラ コミュニケーションカメラ?

 パナソニックが、LTE通信機能付きのカメラDMC-CM10を出した。これは昨年発売したDMC-CM1から通話機能を省いたもの。CM1はカメラというより携帯であった。携帯のカメラの性能を1眼並みにしたと表現した方がよい。このカメラが売れなかったのは、戦略が曖昧であったからだろう。カメラの通信機能については以前からその必要性を述べてきた。
 しかし、カメラ業界は、一向に動こうとしない。携帯にコテンパンにやられた怨念なのか、カメラに携帯と同じ通信機能を入れるなんて意地でもできないということなのだろうか?IoTという言葉が言われ始めてもうかなり時間が過ぎているというのに、一眼カメラに高速通信機能を入れたものが一向に出てこない。パナソニックのCM10にしても、コミュニケーションカメラなどというわけのわからない分類をして他のカメラとわざわざ区別しているのが実に不思議だ。しかも値段もべらぼうに高い。
 通信量の問題があることは理解できる。しかし、2000万画素のRAWデータを使うのでなければ一般の人は5GBもあれば1カ月はもつ。時間制限なしのプリペイドSIMを使えばヘビーユーザでなければ1年はもつかもしれない。逆に、大量通信の必要性が、通信料の値下げ圧力にもなる。
 以前にも書いたように通信機能が入れば、いろいろなビジネスモデルが出てくる。カメラ業界は、カメラという狭い井戸のなかからいつ這い出してくるのだろうか?

金曜日, 6月 19, 2015

honor6 Plus の2眼カメラの性能

 2つのカメラで奥行き情報を取得し、撮影後に焦点位置を自由に変えることができるカメラモジュールを開発している会社をアップルが買収したということを前回のブログで書きました。その直後のファーウェイが2つのカメラを持ったスマホを発売しました( honor6 Plus )。そのカメラを使って実際に写してみた結果の記事がありました。http://labaq.com/archives/51852047.html
 結論から申し上げると、まだまだという状況です。おもちゃと言ったら怒られそうですが、強引に作ったという印象で、一眼には遠く及ばないレベルです。何がダメかというと、あまりにも粗削りの一言です。とにかく作ってみたというレベルです。本質的に2眼では全ての位置の焦点方向の情報を取得することはできないのですが、その欠けている部分を何も対処していないのです。ですから、焦点が前後で大きく変化する部分、たとえば、近くに花、背景が山というシチュエーションで、背景までの距離が花に隠れて測れない部分があるのですが、その部分はうまくぼかすことができないのです。そこは一工夫が必要なはずですが、何も対処されてないようですので、前景と背景のつなぎの部分が不自然です。このあたりが改善されないと、とても使う気になりません。アッップルが買収した会社は3眼とか4眼のカメラも開発していますので、当然そのあたりは対応すると思います。やはりアップルが出すまで待つ必要がありそうです。

水曜日, 5月 13, 2015

アップルがLinXImagingを買収、3次元情報カメラが携帯に?

 1カ月程前のことですが衝撃的なニュース飛び込んできました。アップルがイスラエルのLinxImaging (現在トップページしか表示されないようです)というカメラ技術会社を買収するというのです。この会社は複数のカメラを持つ携帯電話用、携帯パッド用のカメラを開発している会社です。その特徴は、立体的なイメージを合成できることにあります。判りやす表現すれば、人間の眼と同じで2つのカメラを持つことによって奥行き情報を含む画像情報を取得するというものです。
 2つのカメラで立体画像を作るというのは何ら新しいものではありません。立体画像を作るカメラも市販されています。しかし、今回のカメラ(モジュール)は、それを目的としているだけではなく、カメラに奥行き方向の情報をもたらすことによって、格段にその処理範囲を増やすことにあるのです。
 例えば、画像から特定の焦点位置に合わせて大きな開口で撮った時のボケ画像を合成することができるのです。少し前に、ライトフィールドカメラのことを紹介しました。ライトフィールドカメラは一つのカメラで3次元の情報を取得するという画期的なカメラでした。ただ、その欠点は解像度が低いということです。しかし、今回のカメラモジュールは、解像度は一つのカメラの性能で決まります。少し前に書いたように、スマホ用のカメラ、特にiPhone6のカメラは非常に優れた性能を持っています。その画像は一眼カメラに引けを取らない高い画質です。ですから高い画質のカメラを2台組み合わせることによって、高い画質のままで3次元の情報を保存できるのです。
 これは、とんでもないことです。一旦3次元の画像を取得してしまえば、あとはバーチャルな世界でレンズを交換して好きなような画像を合成することができるからです。ボケ味を楽しむのも容易なこととなります。癖のあるボケを作ることも可能でしょう。大きなセンサーでボケ味を楽しむという一眼カメラの最大の特徴を豆粒のような小さなカメラで実現しようというのですからとんでもないのです。アップルは一眼デジカメの牙城すらも突き崩そうとしているのでしょう。
 それにしても、これだけ危機的な状況にあって、既存のカメラメーカは何も手を打ってこないというのは不思議なことです。カメラの通信機能すら大半がWIFIかブルートゥースです。3G、4Gの通信機能を持たせたカメラは、フォトキナで発表されたパナソニックのDMC-CM1くらいでしょうか?一眼カメラのボケ味まで携帯が持つようになったとしたら、残っているのはノイズの優位性程度でしょう。それだって技術の進歩はすさまじいものがあり、携帯カメラで同じ程度のノイズに抑えるこだっていずれ実現できると思います。一眼が、ハッセルブラッドやゼンザブロニカのようにごく一部のマニアのためのカメラになる時代が来たのかもしれません。そう言えば、最近の一眼カメラが、復古調デザインを追求しているのも自らの先行きを予感してのことかもしれません。

木曜日, 4月 16, 2015

ニコン coolpix P900

 ニコンのcoolpix P900が話題になっている。ズーム比率がこの種のカメラで一番大きいというだけではなく、画質が抜群に良いことが評判になっています。 例1 例2
 従来のズーム比の高いカメラは、比率を競って上げていただけで、望遠側では画質が犠牲になっていたものが多かったと思います。ところがP900は望遠側(35mm換算2000mm相当)でも非常に綺麗に撮れているのです。ひと世代前の機種と較べてみるとその差は歴然。 コントラストがとても良い。いままでは、なんとなく、霞がかかっているような、あるいはエッジがボケているネムイ絵になることが多く、またそういうものだと思っていたのです。これだけズーム比率を上げれば仕方が無いと諦めていました。ところが、このカメラでそういう考えが180度変わってしまったのです。
レンズの性能が良くなったのであろうし、ブレ補正が良くなっている点も見逃せないでしょう。画像処理も相当改善したものと思われます。
 一方このカメラはセンサーが1/2.3インチという所謂コンパクトカメラのセンサーです。近頃はは高級コンパクトカメラと呼ばれ、1インチ以上の大きなセンサーを用いたコンパクトカメラが人気を集めています。コンパクトカメラでありながら、解像度が高く、一眼カメラのようにボケ味が楽しめるというメリットがあるのです。しかし、単焦点やズーム比率の小さなものが主体なのです。なぜなら、ズームを大きくすると、レンズがバカでかくなってしまうからです。
 P900の特徴は、センサーの小ささを逆手に取った発想と言って良いでしょう。そして、こんなもんだという画質の壁を越えたところです。ただ、性能を優先したためか、コンパクトカメラとは呼べない大きさです。重さだって900g近くありますから、APSC一眼にそれなりのズームレンズを付けたもの並みになっています。なにしろ35ミリ換算で2000ミリのレンズに相当するのだから、仕方が無いと思います。
 少し前にiPhone6のカメラでその性能に驚いたということをここで書きましたが、P900もそれに劣らない衝撃でした。カメラはセンサーのサイズでも、画素数でもないということが、身にしみて判りました。

土曜日, 3月 28, 2015

久良岐能舞台

 横浜磯子区の久良岐公園の中に能舞台がある。大正6年に日比谷に建てたものが昭和59年にこの地に移設されたもの。中に入れていただいたら、懇切丁寧にいろいろ説明していただけた。能と言えば、横浜では、称名寺の薪能が有名だが、能舞台はその都度臨時で設営している。常設の能舞台が市の管理下にあるのは実は私は知らなかった。ところが、話を聞かせていただいた方の話では、能はめったに上演できないとのこと。理由は費用が膨大で、とても採算が取れないのだそうだ。横浜には別に横浜能楽堂があるので、観客席の少ない久良岐能舞台では確かに厳しいのであろう。時々、イベントも催されているが、能舞台としては殆ど利用されていないというのは残念なこと。能自体が武家の庇護によって伝統が維持されてきたという経緯からすれば、能舞台を活用することも難しい時代なのであろう。時代とともに受け入れられるように変遷する芸能であれば良かったのだが、どちらかというと伝統を維持する方向にしか動かなかったことが能を衰退させる原因になっていたのだろう。舞台の写真は、パンフレットより借用。下の写真は、入口です。
 そろそろ久良岐公園の桜も満開になりそうですから、散歩と花見がてらに能舞台をご覧になるのもいかがでしょうか?庭には水琴窟もあり、良い音色を響かせています。

火曜日, 3月 24, 2015

iPhone6カメラ

 最近、iPhone 6の宣伝で、新聞2連版全面広告が掲載されることがしばしばあります。iPhone 6で撮影となっています。いつも感心してしまうのですが、これだけ拡大して、これだけ撮れているというのは、やはりたいしたものです。ネット上にも、過去のiPhoneカメラの比較なども載っていますが、iPhone6はレベルがかなり高くなっています。ここまでの絵が出せるとなると、確かにコンデジが売れなくなるのもむベなるかなと思います。いや、それどころか、下手な一眼以上の性能かもしれません。私の持っている一眼レフカメラとズームレンズのセットよりも、良く撮れているように思っています。iPhoneは単焦点レンズですから、直接の比較は難しいと思いますが、かなり近い領域にいることは間違いありません。しかも、ワールドギャラリでは多くのユーザ(写真家?)の写真からピックアップしていますので、これまでにない効果をもたらしています。従来のカメラメーカで掲載している写真は、特定の一流のプロの写真ばかりです。ですから、一般ユーザにとっては逆効果で「こんなのは私には撮れない」と思ってしまうのです。しかし、アップルの手法は、「あなたでも撮れるのですよ」と語りかけているのです。圧倒的に綺麗な作品を惜しげもなく大量に提示し、撮り方まで解説しているのですから。この戦略は、実に憎いほど上手な方法です。
 アップルにはスマホにカメラが付いていさえすれば良いという発想ではなく、既存のカメラを追い越そうという気迫を感じます。本当に一眼レフやミラーレスは本腰を入れて対抗策を出さないと、かなりヤバイ状況になっていると思います。

日曜日, 3月 22, 2015

子規庵

 台東区、鴬谷駅の近くに子規がその人生の最後の時を過ごした庵がある。NHKの坂の上の雲でも出てきたシーンがまさにそのまま甦ったような質素な家であった。戦災で焼けてしまったが、その後かなり忠実に再現したものとのことである。庭もさほど広いものでもなく、8畳、6畳、4畳半、3畳と台所という平屋の作り。部屋は明るい日差しに照らされていて、健康の為にはよさそうであった。最後を迎えた部屋には、指物師に特別にあつらえさせた机が置かれてあり、その机は、手前側に15センチ四方程度の切り欠きが作ってあった。足が悪くて立膝で書き物をするためであった。
 この小さな庵から病気と闘いながら、数々の作品を生み出していったという。子規にとってはこの庵が全宇宙であり、この小さな空間からあらゆるものを感じ取って、句や随筆にしていたのだろう。
 わたしの心を打ったのは、一角の展示室に、子規の食事の内容が展示されていた部分。とてつもなく、多くのものを口にいれ、滋養に富んだものを摂っていたのだ。体のためを思って、栄養を取れば直す事が出来ると思っていたのだろうが、なんともいじらしいというか、胸が締め付けられる思いをしてしまった。
 帰り道に、近くにあった三平堂という林屋三平の邸宅があった。その対照があまりにもとてつもなく、却って子規が哀れに思えて仕方が無かった。

金曜日, 3月 20, 2015

JFK―その生涯と遺産

 先日、国立公文書館で開催している「JFK―その生涯と遺産」展を見てきました。第35代大統領ジョン・F・ケネディです。
 ケネディが凶弾に倒れたのは、まだ私が中学生の時でした。初めての衛星放送で送られてきたのがケネディ暗殺のニュースで、丁度私の友人が私の家に来て一緒に学校の宿題か何かをやっていた時のことでした。14インチの白黒のブラウン管に映し出された映像は、一生忘れられない記憶として焼き付いたままです。
 ケネディは、当時の日本の政治家と較べようがないほどに恰好のよい政治家でした。中学生でしたから、政治のことは全く判っていなかったのですが、政治家の恰好の悪さだけは印象に残っていました。
 今回の展示で、一番私の気を引いたのは、ケネディの演説です。今もし彼が生きていて演説をしたら、世界のどのリーダーも太刀打ちできないでしょう。まして、日本の政治家の演説ときたら、もうどうしようもないとしか言いようがありません。50年を過ぎてもその演説の輝きは全く失われていないのです。オバマが演説がうまいと言いますが、それはレトリックとして上手いだけで、中身がないのです。
 ケネディの演説は、民衆を引きつけ、民衆を動かす力があるのです。政治家の演説は一歩間違うとヒットラーのように間違った方向に導いてしまうのですが、そういう導き方ではない力強さがあるのです。彼の演説で一番有名なのは『アメリカ国民諸君。国家が諸君のために何をなしうるかを問うのではなく諸君が国家に何をなしうるかを問い給え。』という演説です。彼は、私がやるとは言ってないのです。民衆に勇気を与え、民衆が自らの力で世界を変えていけるように鼓舞しているのです。
 もうひとつ、着目したのは、彼の演説には、難しい言葉が出てこないのです。いわゆる政治用語がないのです。いま、日本の政治家の演説を聴いてみると、言葉だけでは何を言っているのか判らない単語があふれています。『三位一体の改革』『新三要件』『三本の矢』など、それだけでは何か全くわかりません。それは政治家の世界では通用する言葉ですが、民衆には判らない言葉です。(それにしても、三という数字が好きですね。)民衆に判ってもらうのではなく、民衆を煙に巻く演説が非常に多いことに気が付くと思います。ケネディの演説には、民衆を煙に巻くような言葉は出来てきません。自慢もしません。 ケネディの清新さはそういったところにもあったのかもしれません。

土曜日, 12月 06, 2014

北鎌倉 長寿寺

 北鎌倉の長寿寺の紅葉が最高に綺麗な状態でした。鎌倉は、全体的に紅葉が少し遅いのですが、場所によてはこの時期でも綺麗なところがあります。
 このお寺は、非常に手入れが行き届いていて、その分雑然としたなかの美しさのようなものは全くないので、好き嫌いはあるかもしれませんが、こういうお庭も良いものです。特に私が気に入ったのは、苔です。スギゴケだけが庭一面をおおてっており、フカフカのソファーのような柔らかい雰囲気を醸し出しています。
 最近は、コケの庭もたくましいゼニゴケに覆われてしまうところ多く見られます。スギゴケだけでこれだけ覆うのは、大変な手間がかかっていると思います。本当は、庭を見ながら抹茶でも頂きたいのですが、参拝客が多くてちょっと難しいでしょう。北鎌倉へ来られたら、ぜひお立ち寄りください。
フォトセピア

土曜日, 10月 25, 2014

アポカリプス

 昔の白黒写真(動画)を着色する試みが行われている。最初に行われたのが、フランスのテレビ番組、アポカリプスであったそうだ。最近では、HNKで昔の東京の画像を着色して放送していた。色を付けることにより、対象物が明確になったり、奥行きが出てきたりする。写真の色の復元をやってきて、同じようなことを良く実感する。私がやっているのは着色ではないが、色あせた写真も白黒写真同様に、ポイントがはっきりしなくなり、被写体の奥行きもなくなってしまう。なにより、色あせたカラー写真はカラー写真というよりも白黒写真を見ているのとさほど違いがない。
 何れにしても、白黒をカラーにするというのは、画像の迫力が違い、つい見入ってしまう。反面、本来持っていない色を付けるというのは、原理的には無理なことであるため、調査や類推で着色をせざるを得ない。いくら技術が発達しても100%色情報の無い画像の色を復元することはできない。従って、言い方は悪いが、ウソが入ってしまう危険性も高い。ウソによって人の心が大きく動かされるとしたら、それはそれで問題である。
 やはり白黒の写真は、白黒で見るのが筋ではないのだろうか。せめて、既知の事実に基づいて判っている色だけ着色し、判らない部分は白黒のままにするというのが見識のように思う。

月曜日, 10月 06, 2014

多摩美プロダクトデザイン展示会

 東京都渋谷区の代官山T-SITE ガーデンギャラリーで多摩美のプロダクトデザイン専攻によるデザイン展が行われていた。通りがかりに偶然立ち寄ったのだが、いくつか面白いものがあった。その中でも、下の写真にあるカメラが気に入った。というのも、おなじようなコンセプトのカメラをこのブログで書いたことがあったからである。今回の展示は、虫などの接写ができるよう、表示部が折れ曲がるようになっていたので、私がブログに書いたものより進化している。
 キャノンが協力していいるようでキャノンのロゴが入っていたのは愛嬌だが、こういうコンセプトのカメラが出てきてもよさそうに思う。ソニーのレンズカメラもあるがまだ主流にはなりえない。何れにしても、旧来のカメラというスタイルからなかなか抜け出せない今のカメラは、余りにも滑稽にしか見えない。というのも、今までのカメラはあの形に必然性があったのであり、特にフルム時代のカメラは必要性からあのような形にしかなりえなかったと言ってもよかったのだが、今のデジカメが旧来のカメラの形をそのまま維持しようとしているのは、単なるノスタルジーの世界に浸っているだけとしか思えないからである。いや、形を変えることに恐怖心すらあるのかもしれない。それで、チマチマと些細なことに拘った型にしてしまっている。ミラーレスなのに軍艦をつけたりするというところまでくると、もう笑うしかないと言ってもよい。

 スティーブ・ジョブズは、『デザインとはいかに見せるかではなく、いかに機能させるかである』と言った。iPhoneもiPadも機能させることに徹底してこだわったからイノベーションが起きた。こういう風に操作したい、こういう機能を入れたいという要求を徹底的につきつめ、それを実現させるようにしたために、今のスマホが出来た。恰好から入ったら今のスマホは生まれなかっただろう。
 カメラは未だに如何に見せるかだけに拘っていて、もっと悪いことに復古調にすることで客を引き付けようとすらしている。この延長には、イノベーションはあり得ない。今のカメラ業界の元気の無さをまさに象徴していると言っていいだろう。

月曜日, 6月 23, 2014

マーク・ラスキーノ氏の意見

 週刊ダイヤモンドのオンラインに面白い記事があった。『新しいカメラの購入で明らかになったデジタルビジネスの抱える問題点』と題するガートナーブログネットワークのマーク・ラスキーノ氏の意見だ。要は、カメラメーカはカメラを作るところまでしかやらず、そこから後のビジネスチャンスを捨ててしまっているということを言っている。これが、デジタルビジネスに変わった時に、カメラメーカが気づくべきであったが、カメラメーカは、アナログからデジタルに変えることだけに執着し、未だにそこから変わっていないと言いたいのだろう。
 カメラメーカも、カメラを販売する上で、写真保存サービスや、写真加工ソフトの販売も行っていると反論すだろう。しかし、それは、あくまでもカメラを販売するという目的の領域から一歩も出てない。実際に、カメラメーカでオンラインのビジネスで成功しているメーカは私が知る限りでは存在しない。逆にGoProのようにオンラインの環境を上手く利用して、新たなカメラビジネスを構築したケースはある。
 氏の発言の本質は、アナログ写真からデジタル写真に変わった時に、写真の役割が根本的に変わったと言うことだろう。アナログ写真は記録であった。しかし、デジタル写真は、情報になった。つまり、情報は生かしてこそ情報であり、情報の入り口を牛耳っていたカメラメーカは、その後の情報を生かすビジネスをみすみす捨てている。代わってサードパーティーがそこに付け込んでビジネスを展開している。しかも、氏が例に出している保存共有やオンラインでの写真加工という比較的に写真に近い領域だけにはとどまらない領域がまだ大きく口をあけて待っている。
 今のカメラ業界の活気の無さは、まさにそこにあるのだろう。カメラ業界という言葉自体が、既に時代の流れについていけていないことを象徴している。

火曜日, 4月 01, 2014

カメラの通信機能

 前回、カメラに最新の通信機能をということを書きました。  カメラに通信機能というのは、単にスマホ対抗という意味だけではないのです。カメラそのものの変質が要求されているということです。通信機能というものは、あらゆるものに入ってくると考えます。現状はwifiという方法がありますが、これは決して使いやすいものではありません。野良wifiが無い外では使えないし、個々の家にwifiルータが必要になり、場合によっては一台では済まされないでしょう。結構不安定なものでもあります。個々の機器に通信機能があれば所詮不要な存在なのです。これはカメラだけに限った話ではないと思いますが、取りあえずカメラに限定します。
 カメラが直接にネットに繋がることで、クラウド化が可能になります。クラウド化というのは、単にカメラで撮った画像をクラウド上のサーバーに蓄えるということだけではありません。カメラの画像の加工も含めてクラウド化が可能になるのです。つまり、カメラ本体には複雑な機能がいらなくなるのです。

 カメラというのは情報入力機器です。従って、情報処理機能とどう結びつくかが大きなカギになるはずです。その情報処理をカメラの中に閉じ込めておくのはもはや時代遅れです。クラウド化した前提で、情報処理はどうすばよいのでしょう。情報処理は、カメラメーカが用意してもよいし、サードパーティーが提供することも考えられます。その分、カメラのコストは下げられます。しかも、機能のバージョンアップはクラウド上で実現できるはずです。カメラは単純な入(出)力であれば良いのです。但しカメラに情報処理機能を入れることを妨げるつもりはありません。

 カメラのビジネスモデルも変わってくると思います。今のカメラは売った段階で完結します。せいぜい、その後に交換レンズを買ってくれる程度です。しかし、クラウドカメラは、データの処理と蓄積をビジネスにできます。カメラは入力端末で良いのです。(図らずもフィルム時代まさにそういう存在でした。)従って、価格を抑え、データ処理で利益を出すというビジネスが可能になるのです。データは、カメラ自体、PC、携帯、パッド端末、テレビなどあらゆるもので瞬時に閲覧できるようになります。

 WIFIがあれば十分だと言う人がいるかもしれません。しかし、書斎に置いてあるプリンターならそれでもよいでしょうが、カメラは外に持ち出すものです。だからWIFIでは不十分なのです。撮ったデータが瞬時にカメラ以外に蓄えられるようにして欲しいし、どこでも瞬時に見られるようになっていて欲しいのです。つまり、リアルタイム性が欲しいのです。昔のカメラは、フィルムを現像して、プリントするまではどう映っているのか判りませんでした。だから、ポラロイドカメラが出てきたのです。デジカメでポラロイドはこの世からほぼ無くなりました。デジカメのリアルタイム性に負けたのです。スマホはデータ領域でコンデジより一歩先んずることができました。だからコンデジは死んだのです。一眼に欠けているのは、やはり共有性まで含めたリアルタイム性です。リアルタイム性を備えた一眼で出てくれば、一部の趣味人に限定されたカメラに留まることなく生き残ると思います。

 では、スマホのカメラとなにが違うのでしょうか?そのあたりは次回にします。
写真デジタル化復元

木曜日, 3月 06, 2014

カメラに第四世代通信機能を

 カメラの出荷が半減するというカメラ業界にとっては、明るいニュースが乏しい中で追い打ちを掛けるように、スマホのカメラ喰いが激しさを増しています。光学的な手振れ防止、光学ズームととどまるところを知らない状況です。
 カメラで撮った画像を、すぐ送れたり、SNSに貼り付けられるというのだから、この流れはそう簡単に変わらないと思います。不思議なことに、カメラに通信機能が付かないのが理解できません。wifiというレベルではなく、携帯と同じようなことが出来ないと携帯には太刀打ちができないのですが、なかなかそうはならないようです。コンデジは、以前からなんども書いているように、携帯にとって代わりつつあり、残すは一眼の世界です。テザリングを使えば良いというようなものではなく、ダイレクトに通信ができるようにすることが必要だと思います。2008年にそういうことを書いたのですが、趨勢は6年まえの予想通りになっています。誰が考えても同じ結論になると思うのですが、実に不思議なことです。
 技術的には、携帯電話とカメラの両方を持っているのは、日本ではソニーしか残ってない(海外ではサムスンも両方持ってはいます)と思うのですが、有利なはずのソニーがそういう方向に行かないのも不思議です。カメラ業界は、市場の縮小と同時に委縮してしまったのでしょうか。
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水曜日, 2月 05, 2014

一眼の潮目が変わったのか?出荷台数が海外で大幅落ち込み

 カメラの売れ行きに変調らしきものが起こっている。コンデジが売れなくなったのはもう当たり前のようになっていて、その傾向はますます強くなっている。来年には、コンデジの出荷台数と一眼の出荷台数が逆転するだろう。ところが、ここへきて一眼の出荷台数が落ちてきている。国内は増えているが、全体では減っている。つまり、海外は2012年に較べ2013年は19%落ちている。これは一体何を意味するのだろう。
 コンデジがスマホに食われているのは解る。しかし、その場合、高級機は却って売れると考えるのが自然。少しグレードの高いコンデジユーザがスマホと画質の違いが明確に出るカメラを指向すると思われるからだ。しかし、現実は逆になっている。スマホで十分と思い始めたのだろうか。ちょっとそれは考えにくい。もっと本質的な問題があるように思える。
 私は、カメラが余りにもカメラに固執してしまっているのが原因ではないかと考えている。カメラの枠から一歩も外に出ていないのだ。生活必需品なら別だが、嗜好品の場合は結構機能面や使い方なの点で変化をしている。変化することで生き延びてきたとも言える。例えパソコンが良い例だ。当初はインターネットとメール位にしか使ってなかった人が多かった。それがアプリの拡充で、いろいろな用途に拡がった。その一部はタブレットのように少し形を変えてきている。スマホだって、元はパソコンのようなものだ。テレビなんかは変化が少ないが、それでもインターネットを見ることだってできるし、制限はあるものの情報を放送局に送るなんてこともできるようになってきた。オンディマンドで映画館の代わりにもなるようになった。
 ところが、カメラはどうであろうか? 相変わらずカメラだけだ。せいぜい動画を撮れるようになった位だろう。だから攻めている製品にどんどん浸食されている。携帯は、カメラに進出し、テレビ会議も出来、ボイスレコーダにもなり、本(電子ブック)にもなる。リモコン代わりにもなる。歩数計にもなる。地図にも使える。私だって、スマホを電話として使うことは極めて少ない。大半を他の用途に使っている。
 カメラは相変わらずカ・メ・ラだ。図体が大きい割には、融通の利かない単機能の機械を持ち歩くのはもうたくさんだと思われたって仕方が無い。勿論カメラ愛好家にはそれで良いだろう。しかし、カメラ愛好家だけをターゲットにするのであれば、先は見えている。
 私は、カメラ屋が聞いたら頭に来るような使い方を結構している。異常な使い方だから使いづらいが仕方が無いと諦めている。しかし、そういう異常な使い方をカメラメーカは多分全く考えていないだろう。せいぜいクラシックなカメラの雰囲気を出して、液晶メニューに飽き飽きしたコテコテのカメラヘビーユーザが喜んでくれるような製品を開発することしか考えていない。いわゆる守りのカメラだ。一部熱狂的なカメラ愛好家には好まれる。だから日本では好調だ。しかし、海外の落ち込みは日本の考えが通用しないことを示しているのではないか?
 もちろんコテコテのカメラは有っても良い。写真家や報道カメラマンだったら、大半は今のままで満足するだろう。それでも、私が写真家だったらやっぱり不満だ。もう少しカメラの枠を外して考えた方が良いと思う。カメラ=写真の時代なのではないか。カメラが攻めの姿勢に入らないのであれば、一部の写真家と写真愛好家だけの製品になってしまうのは時間の問題だろう。10年後には、ニコンやキャノンも今のハッセルブラッドやライカのような存在になっているのかも知れないなんていうのは、見たくもない悪夢である。なにしろ一眼は日本製品が唯一と言って良いほど圧倒的なシェアーを誇っている工業製品なのだから。

土曜日, 1月 25, 2014

望ましいEVF(電子ビューファインダー)

 前回に引き続き、EVF(電子ビューファインダー)のことを書きます。現在のEVFは撮像素子で撮った画像をそのまま表示しているだけです。光学ファインダーは、ミラーやレンズを使ってはいるものの、基本は人間の目です。一番大きな違いは、明るさの範囲をどこまで許容しているかということです。例えば、周りが暗くて真ん中だけが明るい被写体を覗いたとします。人間の目には、暗い部分もそこそこ見ることができ(勿論程度にもよります)、しかも明るい部分もちゃんと見えます。一方、カメラの画像はどうでしょうか?明るい部分がちゃんと見えるようにすると、周りの暗い部分は真っ暗になります(つぶれてしまう)。周りの暗い部分が少しでもなにが写っているかを見極めるように設定すると、真ん中の明るい部分が飽和してしまいます(飛んでしまう)。
 最近カメラには部分的に露出を補正する機能があり、明るい背景で人物の写真を撮った時などに顔の部分の露出を増やし、顔が真っ暗にならないような機能があります。しかし、それは撮った写真の結果であって、ビューファインダーで見ている時は機能しません。
 人間の目のような機能をビューファインダー(実際には、カメラのセンサーと画像処理エンジン)に入れないと、人間の目の代わりになるビューファインダーは実現できません。ディスプレイでは、アップルがレチーナディスプレイと称していますが、レチーナは網膜ですから、本来ディスプレイに使うのは正しい表現ではありません。本当のレチーナビューファインダーが出てきてほしいのですが、そのためには、人間の目の構造をもっと知って取り組んでほしいと思います。

水曜日, 1月 08, 2014

現状の電子ビューファインダーEVFの問題点

 前回EVF(電子ビューファインダー)について書きましたが、現状の電子ビューファインダーはまだまだ未熟という感じです。問題点はいくつかあります。

 第一に、精細度が不足しているという点です。光学的なファインダーで見た場合はかなり細かい部分まで見ることができて、フォーカスも十分に確認できます。しかし、EVFは本当に細かいところがなんとなくごまかされてしまっているような感じです。それに、画像にしっとり感が無いのも気になります。解像度のせいかギトギトしているものもあります。

 第二に、応答が悪いことです。液晶画面でのライブビューと同じですから、撮像素子のレートの影響もあると思いますが、カメラを横方向に動かすと応答の遅さが目立ちます。購入される際には、横に動かして確認することをお薦めします。

 第三に色あいが違っていることです。これはカメラで被写体を写した時にも同じことが言えるのですが、撮ってしまったものを後から見て色合いが違うと判断するのは結構難しいことですが、現実に目の前にある景色や被写体が、EVFを通して見ると違って見えるのですから、どうしても気になってしまいます。

 第四に、覗いた瞬間に真っ暗になっていることがあるということです。これは機種にも依るようですが、一瞬一眼でキャップが付いているのかと思ってしまうことがあります。覗いた時にEVFを動作させるという機能のようですが、余りにも応答が悪いのでしょう。

 第五に、これは前回に書いたことと重複しますが、カメラの撮像素子の画像をそのままEVFに流せばよいという発想が間違っていると思います。撮像素子の出力を使うのは当然でしょうが、それをもう少し肉眼で見た画像に近づけるように工夫をしてほしいということです。これについては、また別途書くことにします。

   何れにしても、現在のEVFはどのメーカの製品も相当問題があります。ミラーレスで、EVFなしで液晶パネルのみというのは、私は使う気になりませんが、EVFを搭載するのであれば、もう少しまともなEVFを搭載してほしいと思います。今のEVFは液晶画面をファインダーでのぞけるようにしただけです。

水曜日, 10月 23, 2013

EVF勝負の時代が来るか

 前回も書きましたが、一眼レフと競合するミラーレスが出てきました。それではこの先を予測すると何か起きるのでしょうか。私は最終的にはミラーレスに置き換わると思っていますが、一つだけ条件があります。それはEVFです。電子ビューファインダーです。これが現状よりももっと進化することではないでしょうか。もっと進化というのは、EVFのメリットを生かすということです。今までにもEVFと光学ファインダーを両方備えた機種がありました。これは、別の見方をすると、EVFが物足りないということです。

 一番気になるのは、リアルなイメージとの差です。ザラつき感やギラつき感でしょうか。もっとしっとりとした画像になって欲しいと思います。それと、応答や諧調も気になります。明るい部分によって暗い部分がつぶれてしまうとか、その逆のようなことが起きます。写す写真と同じようなレベルではEVFミラーレスは一眼レフに近づけません。もっと人間の目を研究する必要があると思います。

 更に注目しているのは、EVFにすることによりファインダーからの情報をカメラが取得できる可能性が広がることです。人間の瞳孔の動きを観察するには光学ファインダーよりも制限が少なくなります。人間の瞳孔の動きをみて焦点合わせの位置を選択したり、露出を部分的に変えたりすることが出来るはずです。

 光学ファインダーを取り外して、それに代わるものがEVFというのが従来の考えですが、EVFという新しい表現手段と、新しい入力パーツが得られたという発想があれば、可能性はもっと広がると思います。光学ファインダーに近づけるというより、EVFだからこそ実現できるような機能を入れることによって本当のミラーレスが完成するのではないでしょうか。

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木曜日, 10月 17, 2013

ソニーα7R、α7 Aマウントは消滅?

 ソニーがフルサイズのミラーレスを発表しました。α7Rは3640万画素で、ミラーレスとしてEVF(電子ビューファインダー)を搭載しましたので、完全に一眼レフの領域に踏み入れたことになります。今までは、一眼レフを共食いしないようなスタイルがミラーレスへのスタンス(一眼レフを持ってないメーカは最初から一眼レフを喰おうという姿勢)でしたが、ソニーはAマウントとぶつかる領域に足を踏み入れたわけです。というより、Aマントが無くなるのは時間の問題です。おそらす、α7のスタイルでこれから低価格モデルを出し来ると予想されます。

 もともとソニーのAマントは一眼レフとは言えないものでしたし、シェアー的にも苦しい状況でしたから、一眼レフと競合する製品を出すことに殆ど戸惑いは無かったと思います。ミラーレスが出てきた時に、いずれこういう方向に行くとは思っていましたが、思ったよりも時間がかかったというのが私の印象です。

 ミラーレスはコンパクトの形から入ったのですが、私はコンパクトのようにファインダーレスで一眼を使う気にはなれませんでした。どうしてもブレが大きいし、狙った被写体からどうしてもズレてしまうからです。それに年を取ると液晶パネルは見ずらいし、明るいとことではさらに見づらくなりどうしよもないのです。そこにスマホのカメラ機能がコンパクトに重なってきたので、やはりカメラとしては御本尊(一眼レフ)の領域をなんとかしなければ立ち行かなくなるという危機感はあったのだと思います。

 一眼レフの2大メーカも追従せえざるを得なくなるでしょう。本格的一眼ミラーレスの戦いの火ぶたが切って落とされたとも言えます。

水曜日, 9月 11, 2013

OM-D E-M1とオリンパス一眼レフ撤退

 オリンパスがOM-D E-M1発表と同時に、一眼レフからの撤退を発表した。ミラーレスに資源を集中する。これで一眼レフは実質キャノン、ニコン、ソニー、ペンタックスの4社だけになったと言っていいが、おそらくソニーもその方向だろう。そもそもソニーの一眼レフは一眼レフとは言い難い。ファインダーは電子ビューファインダーになっており、『レフ』になっているのは、AFの為だけになっている。どちらかというと、ミラーレスに近いと言っても良い。つまり、本流一眼レフはキャノン、ニコン、ペンタックスということになる。オリンパスは一眼レフの新製品を発表したのは3年前であり、実質撤退していたに等しい状態であった。

 ところで、一眼レフの今後を占う上で見逃せないのが、像面位相差AFの存在。キャノンがEOS-70Dで一眼レフに初めて像面位相差AFを搭載した。交換レンズの制限はあるようだが、像面位相差AFの場合、一眼レフのミラーは機能しない。邪魔になってしまう。敢えて一眼レフのミラーを邪魔者扱いさせる像面位相差を入れたというのは、そのメリットがそれだけ大きいということだろう。しかも、中級モデルに搭載したことが大きい。この考えは、フラグシップ機以外にも敷衍すると思われる。つまり、今後の主流と見てよい。つまり、一眼レフのミラーレス化の流れが出てくる(ミラーが無くなるかどうかは別として)。

 以上のような観点から、オリンパスが一眼レフから撤退したというのは、非常に象徴的な出来事でもある。

月曜日, 9月 09, 2013

アンドレアス・グルスキー

 アンドレアス・グルスキー展を見てきた。圧倒的な迫力に押されっぱなしという印象で、見終わった後の何とも言えない疲労感をある意味心地よく感じた。ドイツの写真家でとにかくこの写真家は、細かい描写に拘っている。被写体の大半は、同じパターンの繰り返しのようなものが多い。そして、通常では考えられないような写り方をしている。通常では考えられないというのは、通常のレンズでは表現できない写真という意味である。全ての写真というわけではないが、多くは画面合成を使っているようだ。1点から撮っているものもあれば、カメラを並行シフトしながら複数の画像を合成しているものもある。それゆえ、圧倒的な精細度と同時に、不自然な絵でもある。それが最初に述べた疲労感ということに繋がる。

 面白いのは、訪れた人の多くの人(特に写真に関心がありそうな人)が、私も含めて『これどうやって撮っているのか?』ということをしきりに気にしながら見ている。寄ってみて、遠目にみて、また寄ってみて・・という行動に現れている。マクロな部分よりもミクロな部分に引かれてしまう。もうひとつ面白かったのは、殆どの人が会場で配られている出展リストに頻繁に目を落とす。通常の展覧会で出展リストを一所懸命見ながら展示を見るというのは未だかって見たことがない。むしろ殆ど見ないことの方が多い。今回の出展リストにはまばらに説明文が入っている。その説明文に出会えると安心できるのだ。説明のない場合は、作品番号から出展リストを探し、説明が無いと判ると少し落胆する。その繰り返しである。

 もともと私は、フォーカスが全面で合った写真が好きである。しかも精細度が高い程よい。クリアーな透明感のある写真に引きつけられるから、こういう写真はたまらない。ボケ味も時には良いが、好きという程ではない。何しろフォーカスがきっちり合っているのが良い。そして、美しさがあるのが大切だ。グルスキーの写真には造形美があり、そこを巧みに表現している。社会性などはどうでもよい。

 グルスキーの写真(アートと言った方が正確かもしれない)を見て改めて感じるのは、写真というものは人間の目と違った見え方をした時に引きつけられるということだ。多分、違った見え方の中にその被写体が持っている本質のようなものが強く表現されているからではないだろうか。

金曜日, 8月 30, 2013

レンズカメラ

 ソニーが近々『レンズカメラ』と言われている製品を発表するようだ。レンズとセンサーが一体になっており、それ自体には液晶がついていない。スマホに付けて使用すると、スマホの画面がファインダーになるという代物らしい。アイデアとしては面白いが、売れるかというと疑問だ。画質にこだわるのであれば、高級コンパクトや一眼を持つだろう。レンズを持ち歩いて必要になったらスマホに付けて撮るというのは私なら面倒に感じる。それになによりスマホのカメラの一番の不満は、起動の遅さだ。いちいちソフトを起動し、画面でズームなどを設定するのも、決してやりやすくない。シャッターだってタッチすると画面が揺れてしまって被写体からずれてしまうこともある。そんなことをしている間にシャッターチャンスを逃がしてしまう。だからスマホのカメラは時間があって、カメラを持っていなくて、画質はそれほどこだわらなくてよいという時にしか使わない。  とにかく、レンズカメラは私にとっては中途半端だ。だいたい、ファインダーの代わりに液晶画面を使うというのが好きではない(大半のコンデジも同じだが・・・)。特に私のように年を取った者には、近くの液晶画面を見るというのがつらい。遠くに離すと小さくて見えない。遠近両用のメガネを使っているが、正面では見えない。視界の下の方しか使えないから、顎を上げて液晶画面を見る(年寄りはだいたいこの恰好をして写真を撮る)。このスタイルはやたら疲れる。ファインダーならそういうことはない。ホールドもしっかりするので、ブレにくい。つまり、ちゃんとした写真を撮りたい時は、ファインダーを使いたい。そしていつでもすぐに写真が撮れることが大切なのだ。普段写真を撮りにどこかに行くときは、常時シャッターボタンの上に指を置いているのだから、液晶画面を擦っている暇はない。まあ、そういう時は一眼を持って歩いているが。  スマホに奪われたコンデジの市場を少しでも取り戻そうというのであれば、スマホとの違いをもっと出すことが重要とは思わないのだろうか?

土曜日, 6月 08, 2013

ビルカニンガム&ニューヨーク

 ニューヨークを中心に活躍するファッション写真家(本人は写真家ではなく、記録をしているだけだと)ビル・カニンガムのドキュメンタリー 「ビル・カニンガム&ニューヨーク」を見てきた。  ビル・カニンガムは、ニューヨークの路上で一般の人のファッションをスチルカメラで撮影し、ニューヨークタイムズにOn the streetというコラムを連載している84才のカメラマンです。清貧を貫き、パリの清掃員の真っ青の制服を着、食べることには全く無頓着、台所もトイレもない狭いアパートに住み、自転車でニューヨークの街を動き回ってファッション写真を撮っている老人です。興味のある方はhttp://www.bcny.jp/をご覧ください。  私はファッションのことは解りません。ビル・カニンガムという人を知ったのもこの映画があったからです。でも、この人の生き方にはとても共感するところがあります。好きなことをやっている、金に執着しない、見てくれにも拘らない、有名人というようなステータスにも関心がなく一切先入観を持たない。言葉にしてしまうととてつもなくつまらなくなってしまうのですが、こういう人だから共感するということではないのです。そういう人なら他にもいっぱい居ます。それよりも、彼の人間的な面とそれを引き出したこの映画そのものに共感するのです。  それは、監督がインタビューした場面で、『答えたくなければ答えなくてもいいです』と断った質問に対するシーンでした。その質問の一つは、毎週通っている教会に関するものでした。(あなたにとって教会とは?というような質問だったとおもいます。) 長い沈黙の後で、涙こそ見せなかったのですが、明らかに動揺していたのです。それまでのあくまでも明るく、嬉々として写真を撮り、皆に愛されている主人公とは対照的でした。  私は、そこに彼の長い人生の中での葛藤を見たのです。それは、捨てた者にしか理解できない葛藤かもしれません。そしてその葛藤に疲れた心を癒す場所、あるいは、葛藤に対する答えを導いてくれる場所として教会があったのではないかと思います。もちろん、そこは監督は敬意を払って教会までは取材の対象とはしてません。その必要もないでしょう。しかし、捨てることによって、初めて自分のやりたいことに徹することができたのですから、その代償は決して小さくなかったはずです。同じ質問の中になぜ結婚しなかったのかという質問もありました。彼にとっては、結婚も捨てる対象であったのだと思います。そこまで犠牲を払ってまで自由に生きることを選択しているのです。  なにもそこまでしなくてもというのが凡人の思いですが、それほどまでにしても、自分の好きなことをやりとおしたいというの姿勢を貫くために敢えて厳しい道を選んでいるのだと思いました。そしてそこを引き出した監督にも敬意を表したいと思います。

金曜日, 3月 01, 2013

GoPro

GoProというカメラが評判になっています。スカイダイビングやサーフィン、あるいは自動車レースなどに使われているようです。カメラの仕様はよくわからない(わからないといところが一番従来のカメラと違っている)がとにかく超広角で、前から操作するようになっているようです。自分のヘルメットなどにつけて、例えばスカイダイブ中の画像をネット経由で投稿するというような使い方だそうです。 

 こういうカメラというのは、一体どういう発想から出てくるのか不思議です。社長がサーファーだそうですから、自分の趣味が昂じた結果なのでしょう。でも、普通はそういうカメラを探すということはしますが、作って売ってしまうという発想には結びつきません。

 普通に考えると、この種の製品は単発かそれに近い形で終わってしまうと思ってしまいます。売れるとなるとすぐにいろいろなところが参入してきますから。それでも作ってしまうというところがすばらしいのです。

 また、決しておもちゃのような代物でありません。画像が非常に綺麗なのです。被写体はスポーツマンが身につけてますから、もうそれだけで迫力満点です。いわゆるカメラマンでは撮れない映像です。脱帽というしか他に言葉が見つかりません。

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日曜日, 2月 03, 2013

ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 写真展

 横浜美術館で開かれているロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家という写真展を見てきました。改めて、ロバート・キャパという人のすごさを感じました。単に、危険な場所に行って命を張って写真を撮るということではなく、必ずそこには人が居て、その人の気持ちや、置かれている状況を、一枚の写真の中に一瞬にして切り取ってしまうというすごさです。しかもその人を如何にも人間的なやさしい眼差しで捉えているのです。

 とにかく、人を撮ることに徹しています。写真展の写真の中に人が写ってないものは多分なかったのではないかと思います。そして、上でも述べたようにその人と一緒にその人が置かれている状況を表すものを必ずと言っていいほど一緒にフレームの中にある時は大仰に、ある時はさりげなく入れ込んでしまいます。それは、写真を撮る技術やテクニックということではないと思います。そういうものはあまり感じられません。数少ないポートレートの中にはそれらしきものもありますが、大半は、そういう小賢しいものとは無縁であることを感じさせます。そして、なによりも見る人を写真がひとりでに語り出しているような錯覚に陥れてしまいます。

 カメラやレンズにしても、当時は今とは比べようもない程制約のあった時代ですから、その中で、これだけの密度の濃い作品をたくさん残せたというのは、本当にすごいとしか言いようがないのです。

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日曜日, 1月 27, 2013

フィルムでしか表現できないもの

 昨日の日経新聞に、映画のフィルムが無くなり、一部の監督さんから大切な表現手段がなくなってしまったということが書かれていました。写真も同じようなこと言えます。未だにフィルムに拘って写真を撮り続けている人もいます。

 しかし、新聞に書いてあったのは、デジタルではどうやっても表現できないということではなかった。むしろデジタルでは後でなんとでも加工ができてしまうので、撮影の緊張感が無くなるとか、選択肢が多くなりすぎるとか、デジタルをコントロールできるノウハウがない、などという消極的見方が主体でした。フィルムの方が優れているという理由ではない。中には、デジタルには中身がないなどという意見もあり、ここまでくると何をかいわんやである。その他にも、『フィルムは粒状性があり、光の影を描くことができる、見る人の想像力をかきたてる・・・』もはや宗教の世界である。写真に限れば、特殊な芸術写真は粒状感を強調することもあるが、一般的には粒状感は邪魔者扱いになっている。ネガのプリントなどは、わざわざ粒状感を出ないように処理している。ネガそのものを見るとはるかに解像度があってキレが良いが、プリントにするとそれをボカしてしまってきたのが今までのフィルムに対するスタンスなのです。

 確かにフィルムは光の深さ方向(諧調)がデジタルよりも深いかもしれません。それが関係するような被写体もあるには違いない。しかし、デジタルも以前に較べればはるかに明るさのレンジは広がってきています。デジタルが黎明期であったころのプリントは、ノッペリした写真が多かった。明らかに諧調が不足していたので、それを無理やり補正していたのでしょう。しかし、最近はそういう写真は見なくなりました。

 私は何もデジタル信奉者ではありません。しかし、フィルムに拘る人々の上のような理屈にはついていけません。フィルムの信奉者から、もう少しまっとうな意見を聞きたいものです。このままではフィルムが無くなるのは間違いの無いことでしょう。フィルムカメラがただの置きものになってしまう時は、時々刻々と近づいてきているのです。フィルムだからこんなこととが出来る、だから高くてもフィルムが有り続けて欲しいという考えが通るような説得力のある意見が聞きたいものです。

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水曜日, 1月 09, 2013

サムソンの3D・2DカメラNX300

 サムソンがCES2013で2D/3D兼用のミラーレスNX300を発表しました。サムソンのカメラは日本では殆ど売られていませんから、国内では注目されないのですが、やる気は伝わってきます。個人的には3Dはあまり関心はないのですが、注目すべきは交換レンズで切り替えが可能ということ。方式は発表されておりませんから解りませんが、従来の3Dカメラは2つのレンズを搭載するというのが基本でしたので、なかなかチャレンジャブルな製品です。

 むしろ、こういう製品が日本のカメラメーカから発表されないのがおかしなことです。製品でなくても良いのですが、せめて試作品で発表する位の気概が欲しいものです。それともデジカメは既に成熟商品になってしまったというのでしょうか。

 サムソンは半導体や液晶に次いでスマホとタブレットを事業の柱にしてきました。しかし、それだけでいつまでも利益が出せるとは思ってないはずです。その次の稼ぎ頭とまでは言わなくても、確実に利益の出せる製品を追い求めているはずですから、これからの展開に興味があります。少なくともカメラ向けの光学という障壁は乗り越えつつあるのではないでしょうか。そこさえクリアーできれば、残った領域はむしろ日本のカメラメーカよりも得意であり、また部品の供給にも非常に有利な立場にいるということは明らかです。ミラーレスはサムソンにとっては格好のターゲット製品になっているということでしょう。

 2月にはCP+が開催されますので、斬新なカメラが出てくることを楽しみにしております。

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水曜日, 12月 19, 2012

一眼レフの下克上

 デジタル一眼レフの新しい機種と古い機種を比較していて気がついたことがあります。発売するタイミングによって、上位機種より下位機種の方が高い性能になっていることはこれまでにもありました。

 しかし、上位機種と下位機種を比較して、さほど大きな差がないことにも気がついたのです。もともと一眼(レフ)はレンズは別ですから、本体のみの比較になります。本体の最重要部品はセンサーですが、これは下手をすると上述したように逆転現象が発生しています。逆転していなくても、画素数では同程度になってしまっている場合が結構あります。上位機種だから画素数が多いというわけではありません。

 画像処理エンジンも上位機種と同じものを搭載している場合が結構あります。むしろそのことを売りにしているようです。

 そうすると、本体の機能の差だけになってしまうのです。ところが、カメラですから、機能を値段に比例して設定するわけにはまいりません。基本的な機能は下位機種でも必須です。そうすると、付加的な機能でしか差を付けられないということになってしまいます。 例えば、ブラケッティングが出来るか出来ないかというような差です。それらは多くはソフト次第です。速写性能などは、使用している部品の差となっているとは思いますが、それも一般的な使い方ではそれほど使うものではありません。

 確かにこの傾向はアナログの一眼レフでもあったことです。しかし、アナログ時代は、頑健さであるとか、耐寒性能であるとか、ちょっと普通ではない使い方が高級品にはありました。デジタルではもともと電気回路の都合で動作環境はどれも同じです。本体もプラスチックの多用でそれほど差はありません。

 要はハイエンド製品は特殊な使い方、ローエンド製品は一般的な使い方ということのようです。私の場合は特殊な使い方は殆ど無いので、ローエンド製品で十分すぎるのです。その分、レンズに投資したいと思います。

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日曜日, 11月 11, 2012

画素数と被写界深度

 画素数が多いということは、解像度が高いということと同義であると思うのが普通です。コンデジは別として、ここでは一眼カメラを対象とした記述とします。従って、レンズなども一定以上の性能があるという前提です。

 まず、画素数とレンズの能力について確認しておきます。もっとも一般的なAPS-Cサイズセンサーのカメラに限定します。現状ではAPS-Cセンサーのカメラで最高の画素数は2400万画素です。これはセンサーのサイズとして、3.9ミクロンになります。ただ、解像度を決める緑の画素は1画素置きにしか配置されてないということと、偽色の防止のためのローパスフィルターが存在しますので、センサーの分解能としては6ミクロン程度と思われます。一方、レンズの解像度はFナンバーで決まります。6ミクロンの解像度になるFナンバーはおおよそ9ですから、F9よりも明るい絞りで使う分には解像度を気にする必要はないことになります。また、逆にもっと明るいレンズを使ってもセンサーの制約があり解像度は上がりません。

 なるべく高い解像度で写真を撮りたいという時に、気をつけなけらばならないのはボケです。もともと、ボケ味を楽しむ写真であれば良いのですが、ボケて欲しくない写真の場合、被写界深度がどれだけあるかということを知っておく必要があります。被写界深度を求めるには、最小錯乱円の直径(CoC:Circle of Confusion)を決めておく必要があります。一般的に最小錯乱円直径は35ミリフィルムカメラの場合は0.03ミリとい数値が使われていますが、これはフィルム対角の約1500分の1に相当します。厳密には写真の見方(使い方)などによって違ってくるはずです。同じ定義ではAPS-Cセンサーのデジカメで同じ数値を用いると約0.02ミリ(20ミクロン)という数値になります。しかし、これはデジカメに適しているとは言えません。なぜなら2400万画素のセンサーが3.9ミクロンのピッチで出来ているのですから、20ミクロンのボケまで許してしまうというのでは、高分解能センサーを使う意味がなくなってしまうからです。

 そこで、最小錯乱円の径をセンサーの分解能6ミクロンの1.5倍の9ミクロンに設定してみます。その条件で1メートル先の被写体を焦点距離60ミリ開放F4のレンズで写すと、被写界深度は幅で18.8ミリという値になります。これはかなり厳しい値です。被写体の凸凹はもちろん、カメラが少し傾いただけで被写界深度をはみ出してしまいます。なにしろ幅で18.8ミリということは片側では9.4ミリしかマージンがないわけですから。

 ではどうすればよいかというと、絞るしか方法はありません。無限遠の被写体でF9まで絞れば、被写界深度は43.2ミリまで拡大します。 

 何を申し上げたいかというと、画素数を大きくして解像度を上げようとすると、単に露出だけで絞りやシャッター時間を決めればよいということではないということです。当たり前ですが、絞り優先以外のオートでの撮影は無理です。

 被写体の凹凸を見て、カメラのセッティングの誤差やフォーカスの誤差も考慮した上で必要な被写界深度を求め、それに見合った焦点距離のレンズや絞りを選択する必要があるということです。 もっと別の言い方をすると、2400万画素のカメラを最高の性能で写すのはとても大変なことだということです。画素数が多いということは難しいことも多くなるということです。

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火曜日, 11月 06, 2012

多すぎるカメラ機種

 最近のデジカメの品ぞろえが混乱してきています。特に一眼系にその傾向が見られます。もともと一眼カメラはレンズでは差が付けられないため、ボディだけでバリエーションを出さなければならないわけですが、センサー以外ではそれほど大きな差をつけるが難しと思うのです。AFの点数を多くするとか、露出を決めるポイントを多くするというようなことでの差別化が出来ますが、感度はセンサーで決まってしまいますし、シャッタースピードだってセンサーに依存します。 

 そうなるとセンサーで差を付けたいのですが、センサーの画素数もそろそろ限界に来ています。また、新製品は従来製品より性能が向上しているのが当然ですし、競合の性能と同等か上回っていることが必要になります。結果として、新しい下位機種が上位機種よりも高いパフォーマンスになってしまうという逆転現象が起きることになります。ある程度時間がたてば上位機種も性能的に追いつくことはできるのですが、更に高い性能にしようとするとセンサーの性能を上げる必要が出てきます。

 ただし、センサーの性能は徒に上げてよいということではないはずです。画素数をやたら上げても意味がなくなってきているからです。結果としてボディーの基本性能は殆ど横並びになってしまいます。今までの考えが入門機、中級機、高級機というのが一般的だと思うのですが、センサーの画素数はどれも同じか、下手をすれば逆転しているということになるわけです。

 要はカメラの機種が多すぎるのです。たまにしか使わないような機能を入れて差別化を図るというのは、どう考えても不健全です。そいうものはフラグシップ機にあれば十分でしょう。それよりも、機種を絞り込んで、もっと斬新なカメラを開発して欲しいものです。

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土曜日, 10月 13, 2012

カメラの解像度は値段次第?

 カメラの解像度というのは、カタログなどを見ても書かれておりません。一眼レフのレンズの性能を見ても、解像度という項目はありません。考えてみれば不思議なことです。レンズで像を作るのですから、どの程度の細かいものまで写せるかというのは、基本的な性能のひとつでです。フィルム時代は、カメラだけではなくフィルムの解像度というものも含まれていたので、ある意味ではカメラメーカは解像度という定義から逃げていたと言っても良いかもしれません。

 ところが今はデジカメの時代です。ごまかす要素は無いのに、フィルム時代と同じ表現しか使われておりません。 実際にカメラを使ってみると解像度が悪くてがっかりしてしまうことが結構あります。カメラやレンズを購入する時に、解像度という項目が無いので、レンズのFナンバーを目安にするのですが、これがあまりあてになりません。あてにならないというのはFナンバーの意味としてあてにならないということではなく、Fナンバーと解像度が結びつかないということです。

 どういうことかというと、面内での不均一な解像度の分布などがあり、Fナンバーでは規定できない誤差があるということです。専門用語では収差と言います。不均一性というのは、木や森などを撮ると解ってしまいます。部分的にボケたようなイメージになりますから、L版程度の大きさにプリントしただけでもわかってしまいます。下に例をしめします。画素数をカットしておりますので、全体の画像ではわからないと思いますが、下の写真は中央と右端と左端を拡大(縦300画素分)して並べたものです。F8、1/160秒、F2.6、iso80、カメラは1600万画素のコンデジ
 一眼レフの場合は、レンズの仕様にMTF曲線のデータが表示されていることが多いので、少しは参考になりますが、MTF曲線を見ても解像度が良いのか悪いのかよほど慣れた人で無い限りすぐには判断できません。

 結局どうするかというと、評判か価格で判断するしかないということになる。もう少し判断材料を提供してくれれば助かるのですが、残念なことです。 一万円程度で売られているのデジカメの仕様と5万円のデジカメの仕様を見較べても、写り具合には何の差もないとしか思えないような表現の仕方ですから、買った方は騙されたと思ってしまいます。 ついでですが、撮影サンプルというのも、あてになりません。結局あてになるものは無いので、価格で判断するしかないわけですが、価格が高いから絶対に大丈夫かと言われたら、自信がありませんが、文句は言いやすいですよね。

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土曜日, 10月 06, 2012

デジカメセンサーサイズの行方

 デジカメのセンサーは今後どういう方向に進むのでしょうか。コンパクトは現状並みの小型から大きい方向に移行しそうでです。それは、携帯カメラとの差別化が必要になるからでしょう。一方一眼はどうでしょうか。一眼を使うユーザは、単にレンズ交換できるということだけではなく、ボケ味を求めています。コンパクトと何か違うものがあるとすれば、やはりボケ味でしょう。  ボケ量は、F値が同じなら同じ大きさに引きのばした場合、レンズのF値に反比例し、センサーサイズに比例します。フルサイズセンサーのカメラのボケ量を1とすると、APS-Cサイズのカメラのボケは0.7(1.5分の1)、フォーサーズ規格のカメラのボケは0.5(2分の1)、1インチサイズのカメラのボケは0.3(3分の1)、コンパクトカメラ(1/2.3インチセンサー)では0.15(6分の1)のボケになります。  従って、フルサイズの一眼レフと同等のボケ味を楽しむには最低限でもフォーサーズサイズ以上のセンサーが欲しくなると思われます。もし、センサーサイズを小さくした場合は、ボケを大きくするにはF値を小さくする必要がありますが、その場合は、交換するレンズのすべてについてコストが上がってしまいます。  また、画素数は多くなることはあっても少なくなることはないと思います。従って、感度面でもセンサーサイズを小さくすることは不利になるはずです。  唯一、小さなセンサーで可能性が出てくるのは、ソフトや画像合成によるボケの生成でしょう。像面位相差方式のAFが主流になれば、ある程度被写体までの距離が把握できます。それによって画像のボケをコントロールすることが原理的には可能になります。また、焦点をシフトさせた画像を合成するという方法だって可能性はあると思います。ただ、本当に自然なボケ味を出すのは決して容易ではないでしょう。 ホーム     

木曜日, 9月 27, 2012

カメラのISO感度、推奨露光指数、標準出力感度

 デジカメのISO感度ほど当てにならないものはありません。なぜかというと、定義が甘いからです。業界団体が作った定義ですから、当然なのかもしれません。どういう点が甘いかというと、ノイズとの関係が定義されてないからです。出力レベルだけで定義していますから、デジカメの場合電気的な利得(ゲイン)を上げてやればいくらでも感度が上がってしまうのです。しかし、実際には高い感度で撮影するとノイズが多くて非常に汚い写真になってしまいます。 

 カメラの仕様には標準出力感度とか推奨露光指数という項目があります。最近は昔のカメラに比較して1ケタ大きな感度が記載されております。標準出力感度25600という数値を持ったカメラが販売されるようになりました。センサーそのものは基本原理は変わっていません。それどころか、画素数がますます増えてきて、1画素の面積がどんどん小さくなっているのに、感度がどんどん上がっているのです。普通に考えれば感度はどんどん悪くなるはずです。

 感度の向上は画像処理エンジンと呼ばれる半導体チップの性能向上に負うところが大きいようです。しかし、上でも述べたようにノイズとの関係が曖昧ですので、高い数値を提示するメーカもあれば、比較的に慎重な数値を出すメーカもあります。ですから、結局あてにならないのです。HPなどで見かけるサンプル写真を見ても、大半のメーカは感度100当たりで撮ったサンプルしか出していません。25600という数値提示しているカメラでも25600で撮ったサンプルは出していません。出していないということは、多分とても出せる代物ではないと解釈していますが、せめてノイズの量(SN比)位は数値で出して欲しいものです。

 下に、5つのメーカの今年発表されたカメラ(一眼)の感度の比較を示します。このグラフは、各カメラISO感度最高値を1画素の面積で割った値です。単位面積当たりの感度ということです。どのカメラも基本はフォトダイオードがセンサーになっていますから、それほど大きく変わるものではないはずです。ABCDEはメーカ毎の値です。D社はケタ違いに大きな値を提示しています。D社を除いても、4倍程度のバラツキがあります。もっとも控え目なのはC社です。ISO感度の数値が一段で2倍(例えば3200の次が6400という具合)違いますから、2倍のバラツキは仕方がありません。それにしてもメーカでこれだけ差があるというのは驚きです。

 上でも述べたようにセンサーの原理は基本的にどこも同じです。従ってセンサーそのものはどのメーカでも同じ感度と言っていいと思います。あとは画像処理エンジンの能力ということになりますが、それもそんなに極端に差が付くはずがありません。ですから、私は現在は大きい数値を出すメーカは正直ではないメーカと解釈しております。
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木曜日, 9月 20, 2012

一眼からストロボが無くなる日

 先日キャノンのEOS6Dが発表されました。6Dには内蔵ストロボがありません。既にキャノンはフルサイズの一眼に関してはストロボを外してきたので、驚きはありませんが、確実にストロボを外す方向に向かっているということでしょう。特にフルサイズの一眼ともなれば、プロとかハイアマチュアが使うカメラですから、内蔵ストロボを使うような撮り方はあまりしないと思います。もしあったとしても、暗いストロボでは近距離にしか使えませんから、スナップ写真程度であり、わざわざフルサイズの一眼で撮るようなものでもないという割り切り方だと思います。  今のところAPS-Cサイズセンサーのカメラには搭載していますが、ミラーレスのEOS Mでは外してしまいました。  背景には、センサー感度が上がっているということもあるかと思います。ストロボ無しで写せる領域が広がっているのは事実でしょう。また、多少ざらついたとしても、使い手がFullサイズに拘るようなシビアーな人ではないわけで、ある程度許容されると考えているのかもしれません。チャチな内蔵ストロボよりも、しっかりしたもので写した方が写真としては良いものが撮れるという考えとも受け取れます。  もともとストロボ内蔵というのはコンパクトカメラからスタートしたものでした。一眼レフが一般的になったことでストロボ内蔵という方向が定着したわけですから、原点に戻ったということでもあります。  思い切った考えですが、ひとつの見識かなと思います。
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土曜日, 9月 15, 2012

高級コンパクトソニーRX1、RX100


 ソニーから12日にコンパクトカメラ2機種が発表されました。いわゆる高級コンパクトカメラです。コンパクトカメラがスマホに押されて採算が悪くなっており、高級品にシフトしている流れがあるようです。意地悪な言い方をすればカメラとしてはニッチ市場へ逃げるということらしいです。

 2機種のうち、RX1は市場予想価格が25万円と、とてつもなく高いものです。センサーは35ミリフルサイズのセンサーを用い、2430万画素。レンズは単焦点(35mmF2)。富士フィルムのX100を意識した製品と言っていいでしょう。但しX100はAPS-Cサイズのセンサです。

 一眼レフ、ミラーレス、固定焦点コンパクト、ズームコンパクト・・・一体カメラはどこへ行くのでしょう。どこかに収束させなければならないということではないのですが、それぞれの分野が混然としてきた感があります。一眼レフにしか使われないと思われていたフルサイズのセンサーがコンパクトに使われたり、一眼レフとミラーレスの境界があいまいになり、安いズームコンパクトはスマホに追いやられ、ミラーレスにも小型センサーが採用され、多分ミラーレスにもフルサイズのセンサーが搭載されるようになり・・・という具合で、境界があいまいで実に混沌としてきたと感じています。

 ただ、はっきり言えることはレンズ固定の単焦点カメラは絶対にメジャーな存在にはなりえないということでしょう。カメラは、いろいろな焦点距離で撮影できるというレンズ交換式一眼レフに進化、コンパクトはズームが標準になり進化してきました。この流れは変わらないと思います。そして、ボケ味やレンズの違いによる絵作りの楽しみ方求める人にはレンズ交換式、そうではない人にはズームコンパクトを提供するのが基本でしょう。

 今回の発表は、デジタルカメラの多様化の一環というふうに理解しています。ただ、一眼レフとかミラーレスという括りでは表現できない方向に動いているのは間違いないと思います。そして、多分画素数とかミラーの有無ということではなく、画像の品質でランクが分かれるような方向に向かっているのかもしれません。ただ、画像に品質に関しては、どのカメラメーカのスペック、業界団体の規格を見ても明確なものがありません。どうもレンズ屋さんというのは、こういうことは曖昧にしたいようです。

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火曜日, 9月 04, 2012

ギャラクシーカメラとカメラの使い勝手


 サムソンがギャラクシーカメラと称するアンドロイド搭載のカメラを発表しました。少し前にニコンが同じくアンドロイド搭載のカメラを発表していますので2番目です。その時、意味がよくわからないと書きました。その状況はいまもって変わっておりません。今回のカメラの特徴は4.8”という大型のディスプレイです。サムソンは携帯も大型ディスプレイを採用していますので、携帯にコンパクトカメラを搭載したようなものです。もちろん携帯機能は無いようですが。ニュースでもまるでスマホ?と書かれています。

 一方で、スマホの普及で、コンデジが売れなくなり、各社は高級機へシフトしています。

 コンパクトの居場所が無くなって、スマホにすり寄ったのがアンドロイドカメラ、高級機シフトがミラーレスということでしょうか。

 カメラとOSの関係でひとつ挙げられるのは、カメラの使い勝手の悪さです。そのあたりはOSを搭載することで、スマホ的に使いこなせるのであれば、良いことかもしれませんし、機種に依存せずに使えるような標準化が進めば、もっとユーザーフレンドリーなカメラになると思うのですが、如何でしょう。

 どんな製品にしても、とにかくユーザーインターフェースにはいつも悩まされます。そこを携帯電話で抜本的に解決したのが、iPhoneでした。カメラの場合、しばらく使っていないと使い方が分からなくなってしまう場合が結構あります。直感的に使いこなせる方法をカメラももっと追究して欲しいですね。カメラだけではありませんが。

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日曜日, 9月 02, 2012

潮風と文庫本


 まるで、文庫本の宣伝のような絵になってしまいました。こんな明るいところで本を読んだら、目が痛くなってしまだろうと心配してしまいます。でもサングラスかけてますから、慣れておられるんでしょうね。


 なんか、こういう風景の中で潮風に吹かれながら一人文庫本を読むというのは恰好いいです。やってみたいと思うのですが、多分サマにならないでしょう。

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月曜日, 8月 27, 2012

明月院・・・の撮影スポットその2



 ずいぶん時間が経ってしまいましたが、明月院撮影スポットその2です。方丈の円窓の向こうにウサギが飛び跳ねている絵などがよく見かけます。丁度しばらくすると中秋の名月になりますので、これからの撮影もよいかもしれません。ウサギは居ません。


 この絵を撮るには、並ばなければなりません。だれかの指図があるわけでもありませんが、並びます。そして、同じ写真を撮ります。誰かが代表で撮って、配れば済むのですがカメラをもっている人にとってはそういうわけには参りません。だから、猫も杓子も並びます。なんとかの一つ覚えで並びます。

 持っているカメラは、一眼からコンパクトまでさまざまですが、コンパクトの人はなぜか申し訳なさそうにそそくさと撮ります。それに較べて一眼の人は少し横柄です。そういうもんらしいです。

 私も並びました。横柄だったかどうかは知りません。

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金曜日, 8月 24, 2012

コダックのフィルム事業売却



 コダックがフィルム等の事業を手放すようです。手放すとは言っても、フィルム事業を購入するところがあるのかどうか疑問です。医療用とか産業用の分野ではまだ使われているのですが、コダックは既に医療用のフィルムは手放してしまっています。

 いつかは来ると思うのですが、カメラ用のフィルムが供給停止になる時が刻々と近づいてきているのでしょうか。とは言ってもフィルムカメラをもっている人はまだ多く居ますし、現在もまだフィルムカメラは販売されています。富士フィルムもまだ供給していますので、今すぐになくなることはないでしょう。

 しかし、例え事業の受け手があったとしても、もはやコダックではありませんから、コダックフィルムが無くなるということはやはり衝撃的です。

 コダックはまだ無くなったわけではありませんが、フィルムあってのコダックですから実質的に無くなったも同然です。しかし、コダックは事業の転換に失敗したものの、立派な会社であったと思います。企業は永遠に続くものではありませんから、いつかは消え去る時が来るのでしょう。写真や、映画文化への貢献という意味では、本当に有り余るものがあったと思います。

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木曜日, 8月 23, 2012

アンドロイドデジカメ



 ニコンがアンドロイド搭載のデジカメを発表しました。これはどう考えればよいのか、ちょっと混乱しています。コンパクトカメラに搭載したということで、考えようによっては携帯カメラへの対抗ということになるかと思います。

 しかし、携帯機能があるわけではありませんから、対抗というにはちょっと中途半端です。WiFiが無いところではスマホを介してテザリングでネットに接続するとなると対抗にはなりません。SNSに写真をアップロードするのであれば、画質はそれほど問われないので携帯のカメラで殆ど事足りるように思います。

 WiFiで通信できるのであれば、それはメリットですが、アンドロイドを搭載する理由にはなりません。

 ということで、よくわからないのです。ですから、この流れが他のカメラに及ぶのかどうかということもわかりません。完全な携帯機能を入れて、携帯端末(スマホ)として売り出すというのであれば、すごく納得できるのですが。どなたかおわかりであればぜひコメントを。



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土曜日, 8月 11, 2012

メカニカルシャッターと電子シャッタ



 どうやら、カメラのメカニカルなシャッターも無くなる方向です。一眼レフは別として、ミラーレスやコンデジでAF、ズーム以外にメカニカルに動いていた要素はシャッターのみです。AFやズームは当面は無くならないでしょうが、シャッターは無くなりそうです。既に電子シャッターのみのカメラも出てきております(携帯は既に電子シャタターのみです)。CMOSでグローバルシャッター方式が実用化されそうですので、そうなればメカシャッターは不要となります。本体は、完全に電子化されるということになります。

 以前にも書きましたが、一眼レフのミラーやシャッターという存在は、もう時代に合わなくなってきていると思います。あの音を懐かしむのは、一種のノスタルジーのようなもので。SLの音や汽笛を楽しむようなものです。電子化されたシャッタであっても、昔のシャッター音を電子的に発生させるというのは、そういうニーズもあるのかもしれません。

 カメラの大きな流れはもう変えようがない方向に進んで行くように思います。一眼であれば、ズームまで電子化する必要はありませんので、AFだけが残りますが、これも電子化される技術が芽生えてきております。カメラが光学機械であることには変わりないのですが、もはや精密機械ではなくなる日が刻一刻と近づいてきております。

月曜日, 7月 23, 2012

キャノンのミラーレス EOS M

キャノンが遂にミラーレスを発表しました。APS-Cサイズのセンサーで1800万画素です。オートフォーカスには位相差AFとコントラストAFの両方を入れています。
 レンズのマウントも新しいもので、2本のレンズが発表されています。センサーがAPS-Cサイズですので、従来のEOS用のレンズとのマッチングは問題ないので専用レンズはゆっくり出すのでしょう。なによりも、『ミラーレス』と正面きって発表しており、センサーもAPS-Cを採用しており、昨年発表したニコンとは対照的な出し方となりました。ビューファインダーがありませんので、おそらく将来的にオプションで用意するのではないかと予想します。これだけの画素数、レンズを生かそうとすると、やはりビューファインダーは欲しくなります。本体サイズはニコンのJ1より少し大きい程度ですから、センサーの大きさに較べればかなり詰め込んだ大きさと言えると思います。
 外観はJ1ほどすっきりとはしてません。と考えるとカメラにこだわりのある人を対象に作っており、ボケ味や画素数、レンズ互換性を重視した方針を採用したということでしょう。ソニーの戦略に近いと思います。

土曜日, 7月 14, 2012

原鉄道模型博物館


 鉄道模型ファンではないのですが、原鉄道模型博物館に行ってまいりました。2000両もの精密模型を小学生の頃から作り続けていて、しかも、その精巧さがとんでもないほどすごいのです。本当に驚いてしまいました。

 そもそも何に興味があったかというと、これだけのものを作ることができる人間の限界のようなものが見てみたかったというのが一番かもしれません。集中して、あることだけ(とは言ってもこれを作った原信太郎さんはコクヨの役員だったというのですからますます不可思議です)をやっているとどこまで出来るのかという点に興味があったのです。

 とにかく凄いとしか言いような無いのです。今までに2000両の模型を作られたそうで、いまも93歳でご健在ですが、年間20両以上作っておられたのですから、月に2両です。その精密さと凝りようからすれば、一日中作り続けていても無理なような気がするのです。外の職人さんにつくってもらっているのもそうとうありそうですが。

 人間の限界というのは底知れぬものがあるということがよくわかりました。毎日、グウタラで過ごしている自分が恥ずかしくなります。一点に集中し、毎日少しずつでも前に進む。その積み重ねが知らないうちに大きなものとなって行くんですね。そう気付かせてくれただけでも十分に価値があった博物館でした。

水曜日, 7月 11, 2012

アップル対サムソンの最高にクールな判決



 アップルとサムソンの訴訟合戦のなかで、イギリスの裁判所の出した判決がすばらしい判決です。『サムソンはアップルほど恰好よくない(クールじゃない)』、だから無罪。

 訴訟の結果からすれば、サムソンの勝訴ですが、ほんとうに勝ったのはどちらでしょう? iPhoneにしてもiPadにしても、最初に出したアップルの製品は本当に恰好よく、以降に出したどのメーカの製品も『真似をしたもの』にしてしまいました。アップル以外のどのメーカも抗弁する程真似を認めてしまうことになってしまいます。真似たとは思われないようにしたデザインが如何にも真似しなかったということを意識しすぎたデザインになっているというもの皮肉なものです。

 それほどまでに、アップルの完成度は高かったということでしょう。また、サムソンは市場で一位になったとしても、デザインや使い勝手でそれを維持するのは多分困難だということになります。なぜなら、オリジナルではないことによりコンセプトが欠如してしまっているからです。ぜひ、コンセプトを確立してアップルを超えるデザインを目指して欲しいものです。ついでですが、日本のメーカもサムソンと同じ穴の狢です。また、アップルにしても、ジョブズなきあと、コンセプトを踏襲できるのかが問われます。

 それにしても、こんな粋な判決を出せるイギリスという国は流石です。日本の裁判所にもこういうウィットが欲しいものですね。

土曜日, 6月 16, 2012

明月院・・・の撮影スポットその1

明月院と言えばこの時期はアジサイである。 しかし、同時に人も見なくちゃいけなくなる。
 普段の日でもこの賑わいだから、休日はもっと大変なことになってしまう。どだい一人だけでじっくり見ようなんて考える方が虫が良すぎるが、行く前は花だけ撮りたいと思っているからがっかりしてしまう。ヤケになって人ごと写すしかない。

 しかし、ひっきりなしに入ってくる見物客(中には、信心深くお参りする人も居る)のせいで、このお寺は大変な儲けになる。戦後、庭の手入れが大変だからと、ヤケになって?アジサイをいっぱい植えたのが始まりだそうで、何が幸いするかわからない。ヤケになってもいいことがあるようです。ワタシには無かった。

日曜日, 6月 03, 2012

杉本寺の苔


 苔を見ると、どうしてもシャッターを切りたくなります。もう、病気みたいなもんです。
 鎌倉、杉本寺の階段の苔は、見事です。見たところまだゼニゴケはそれほどなさそうです。それにしても、階段のすり減り具合がすごいです。左右で人の歩いたところが凹んでいます。なにしろ、鎌倉最古のお寺だそうですから。

月曜日, 5月 28, 2012

キショウブ


見たとおりだが、キショウブというらしい。菖蒲で黄色いのは珍しいと思って撮ったが、外来種だそうです。つまり、たくましいヤツで、警戒すべき種ということになっているそうです。見た目からは想像できません。旧華頂宮邸にて。

水曜日, 5月 23, 2012

タケノ子?



 タケノコというのは竹の子ですが、これくらい成長するとタケノコとは言わないんでしょうね。多分硬くて食べられそうにもないです。でも竹と呼ぶには早すぎます。因みに、タケノコ買う時のコツは穂先が緑色になってないのを選ぶことだそうです。こんなのは売ってませんから大丈夫ですが、地面から穂先が出てしまったのはダメだそうです。

 もうひとつ雑学ですが、竹というのはタケノコの太さで一生の太さが決まるそうです。確かに細いの出てきてだんだん太くなるというのはなさそうです。この写真のタケノコはこの太さの竹になるということになります。なんかちょっと寂しいものがあります。人間にもそういうタイプ、います。私の場合は、細く生れて、細いままだ。

木曜日, 5月 17, 2012

サムソンのカメラ



 テレビや携帯、半導体で世界の市場を席巻しているサムソンのデジカメが徐徐に実力を付けてきている。既に11%のシェアーを有しているというから驚きである。4位である。日本では販売されてないので、カメラでそれだけシェアーを持っているという感覚がないが、アメリカやヨーロッパではかなりのシェアーを持っているということになる。2000万画素クラスのミラーレス(NX20 NX210 NX1000)も既に持っており、性能的にも日本製と見劣りしない。少なくともスペック上は。サムソンの強みは何と言っても失うものが無いということ。それだけに日本メーカにとっては脅威であろう。

 テレビ、スマホと同じくスマートというキーワードを冠した戦略というものもなかなか鋭いが、それらを繋いだ商品コンセプトを導入すれば日本のカメラメーカよりも有利な立場に既に立っていると言っても良い。ソニーと同じ環境ではあるが、テレビではソニーは敗退してしまったと言っても良い。総合力から言っても既にソニーをうわまわっている。端的な例はWiFiを搭載しているという点である。日本製のミラーレスではまだ搭載されたものは無かったのはないだろうか。せいぜいEye-Fiカード対応までであったと思う。スマホを外部ファインダーに使えるというのは如何にも他の製品との連携を商品コンセプトにしているというのが良くわかる。有機ELのモニターなども多くの日本のメーカの先を行っている。

 日本メーカが半導体、液晶パネル、テレビと同じ運命をたどらないことを願っているがどうなることやら・・・

水曜日, 5月 16, 2012


 京都のお寺の庭の苔です。苔の手入れはとても手間がかかると思って、近くに居た庭師さんに聴いてみたらやはり予想通りでした。鎌倉にも苔の綺麗な庭があるのですが、以前行った時には本当に綺麗だったものが、最近は随分汚くなってしまいました。それはゼニゴケのせいです。苔は独特の発色をします。なんと表現して良いのかわかりませんが、蛍光が入っているような錯覚にとらわれます。でもそれはきめの細かい苔の場合で、ゼニゴケが生えてしまうとどうしようもない状態になってしまいます。ゼニゴケはひらべったい葉っぱのような苔ですが、繁殖力が強くて、普通のコケはやられてしまいます。少し手を抜くと、ゼニゴケがはびこったり、イワヒバ(シダの一種?)が生えて綺麗なコケが無くなってしまいます。

木曜日, 4月 05, 2012

二次元で距離の測れる画像センサー(ToF)



 最近のニュースで面白い記事がありました。CMOSのセンサーですが、被写体までの距離が計測できるセンサーが開発されたそうです(サムソン)。3Dではありません。センサーひとつで被写体までの距離と従来の二次元の画像の両方が読み取れるのです。被写体にいろいろな距離の画像が含まれている場合(普通の写真では当たり前です)、それぞれの被写体までの距離が求められるそうです。

 このセンサーがカメラに搭載されるとカメラにはオートフォーカス検出が不要になるかもしれません。また画面内の全ての被写体までの距離が求められますので、画像と組み合わせて新しい応用分野が開発されるかもしれません。

 原理は、LEDの光を照射し、帰ってくるまでの時間差を計測するというToF(Time of Flight)というものです。国内でも静岡大学などで以前から研究されているようです。

 実用レベルに達するまでには、まだまだ時間が必要と思われますが、今後注目して参りたいと思っております。

木曜日, 2月 23, 2012

人の心をいやすこと

日経新聞の、十選というコーナーに写真家ハービ一山口氏選んだ絵が連載されている。今日はローレンス・アルマ・タデマの見晴らしのよい場所という写実絵の紹介であったが、その中に氏の言葉、『芸術は人の心をいやすこと』という言葉が目にとまった。


 芸術というと如何にも敷居が高い印象を受けるので敢えて芸と言うが、芸というものの本質はそこにあるのではないかと思っている。自己の満足に走るのではなく、人の心を癒すことにこそ真の芸の価値が存在すると思える。


 芸は人間の生活にとって必須のものではない。働いて、食べたり着たり雨露凌ぐ場所を手に入れたりすることは本質的に人間に課せられたことではあるが、それだけでは耐えきれないこともあるのが現実。芸はそういう人の心をいやし、生きて行く活力を与えてくれるものなのだろう。戦国の武将が戦いの日々のなかでも芸を愛して止まなかった理由も同じようなところにあったからではないか。


 写真も撮る人がその行為で癒されればよいし、芸としてそれを生業とするのであれば、人の心をいやすことができる写真が撮れることが必要なのだろう。(終わり)


土曜日, 2月 18, 2012

ミラーレスはパンドラの箱か?


 日経エレクトロニクスの最新号に、『ミラーレスはパンドラの箱』という記事が載っていた。ミラーレス化により、①各種制約がなくなって一眼レフではメジャーになれなかったメーカが台頭すること、②そのために一眼レフ同等又はそれを超えた機能が搭載されつつあること、③コンパクト機が一方でスマホと競合しもう一方でミラーレスと競合し生き残りを模索せざるを得なくなっていること、④一眼レフの市場も食われてくること などでパンドラの箱を開けたという表現になるのだろう。

 ただ、これは如何にも日本的な考え方と言っていいのではないか。パンドラの箱という表現はマイナスイメージが強い。筆者もプラス面を強調しているが、如何せんパンドラの箱と言ってしまえばそれが全てをもの語ってしまっている。

 以前から何度も書いているが、流れはミラーレスにある。少なくともこの流れを積極的に攻めたメーカが生き残る。特に今後は海外メーカが大挙して押し寄せてくると思っていた方が良い。一眼レフまではカメラは日本のお家芸であった。しかし、ミラーレスの出現でその時代は終わった。カメラは光学があるから海外は追いつけないというのは理由にもならない。現に多くの日本メーカが海外でレンズも生産している。

 もっと考えられるのは、ボディ互換メーカが出てくる可能性すらある。一眼レフはレンズ互換メーカが居て、各社用のレンズを安く供給していた。中には本家本元より良いレンズを作っているところすらある。この逆で、ミラーレスはもはや精密機械ではなくなった。本体はもうエレクトロニクスのみと言っても良い。そうなると、システムの開発能力の差が出てくる。レンズは安いものからツァイスに代表されるような高級なものまでいくらでもある。それさえ外部調達すればなんとでもなる。

 私は、日本的な考え方ではカメラもテレビと同じ運命をたどると考えている。まあ、ニッチな一眼レフ(日経エレクトロニクスでは、一眼レフはニッチに領域になると言っている)だけは残るだろうが、その結果どうなるかは火を見るより明らかである。下手をすると、国産ミラーレスもニッチな領域に追い込まれるかもしれない。

 追いついてくるものを意識する暇があったら、来るべき時代の製品を考えていた方が良い。カメラは、ある意味では現時点でどこかが抜きんでているということはない。ミラーレスと言えども、一眼レフからミラーを外したレベルである。本当にこれから市場をリードして行くのであれば、今のミラーレスの延長では生き残れない。もっとユーザの使い勝手を追求する必要があるし、デザイン性もなんとかしてほしい。物づくりさえしっかりしておれば売れるという時代では無くなった。アイデアと対顧客において妥協を排した製品でなければ生きては行けない。これは欲しいと思わせる何かが必要になる。そこに最初に手を伸ばすのはどこのメーカであろうか。

金曜日, 2月 10, 2012

CP+



 昨日、CP+に行ってきました。

 最初に感じたのは入場者の持っているカメラでミラーレスが増えたことです。もちろん一眼レフは多いのですが、予想以上にミラーレスを持っている人が増えたことです。直前に、オリンパス、ペンタックスの新ミラーレスが発表されたということもあって、ニコンの一眼レフ新製品とともに人だかりがしてました。逆に気になったのがキャノンです。一眼レフは1DXが10月に発表されただけで、ミラーレスは相変わらずダンマリを決め込んでいます。ちょっと最近のキャノンはおかしい感じがします。だから社長が変わったのでしょうか。

 昨日の新聞でも、ミラーレスが一眼レフの販売台数を超えたという報道もありました。ミラーレス化はもう止まりようが無いという状況です。気のせいでしょうか、一眼レフがやたら大きく見えてしまいます。ミラーレスのコンパクトさはやはり魅力です。

 全体的に、まだカメラは活況という印象です。日本メーカがシェアを持っている数少ない産業の一つということになります。せめてカメラぐらいはお家芸として残して欲しいものです。

月曜日, 1月 30, 2012

ミラーレスの行方


 キャノンを除いてミラーレスがほぼ出そろってきたわけですが、業界の方向性は2つの流れに分かれてきました。ひとつは、一眼レフに代わる高画質という方向、もうひとつは、一眼レフとは一線を画しレンズ交換式のコンパクトという方向です。これは、各社の従来の製品戦略と非常に強い関係があって興味深いことです。一眼レフに力を入れてきたメーカは、後者の戦略を取っているいるようです。当然かもしれません。一方で、一眼レフを持たないメーカあるいは一眼レフを持っていてもシェアー的に劣勢に立たされているメーカは前者の戦略を採っています。ミラーレスで一気に逆転を狙おうという姿勢です。

 この流れで行くと、キャノンは後者の戦略を採ると考えられます。後者の戦略は、コンパクトカメラの利益率の低さということも背景にありそうです。スマホに市場を奪われているという現実もあると思われます。当然、レンズ交換式にすれば価格は上がりますから利益に貢献することになります。しかも、レンズ単独でのビジネスチャンスも広がるということになります。また、海外勢力の参入障壁も高くなります。

 ただ、どちらの戦略も市場の声が入ってないのが気になります。そして未だに斬新なカメラは出てきてないとも思います。ただ、ミラーレスの存在が大きくなってきていることは間違いない事実です。

月曜日, 1月 16, 2012

コダック上場廃止か


 少し前のニュースですがコダックが危なくなっているようです。

 コダックと言えば、コダクロームが頭に浮かびます。一眼を買って、最初に買ったフィルムがコダクロームでした。コダクロームを使っているということが、喜びであり誇らしくもあったのです。今でもその時に撮ったフィルムが残っていますが、30年以上経っても殆ど色あせしてません。ポールサイモンの歌にも出たきたこのフィルムは、まさに一世を風靡したフィルムであったと言っていいでしょう。

 フィルムだけではなく、プリントも好きでした。同僚からカメラ店でわざわざ東洋現像所に依頼するということを教えてもらって、いつもそうしていました。そんかことが頭の中をよぎって行きます。

 それが無くなってくなってしまうとしたら、実に寂しいことです。

 デジタル化の波に乗り遅れたということでしょう。スチル写真も殆どがデジタル化し、ムービーもデジタル化されてしまったので、フィルムだけではどうしようもないという状況です。デジカメも売ってはいましたが、とても本腰を入れて開発していたとは思えませんでした。

 成功は失敗の序章だったのです。

 フィルムがどこかに移管されるのかどうかわかりませんがフィルム派にとってはますます選択肢がなくなることになりそうです。いくらなんでも、フィルムをこれ以上継続生産するというのは無理があると思います。写真ではない世界で、フィルムの技術を展開できればまだ生き残る余地はあるように思います。ブランドも残るのかもしれません。しかし、それはもはやあのコダックではないでしょう。それは仕方のないことです。人と同じで、企業だって永遠に続くものではないと思います。いつかは終焉の時が訪れるのでしょう。それはまた新しいものを作りだす素になるのですから。

木曜日, 1月 12, 2012

ニコン D4


 ニコンのフラグシップ機、D4が発表されました。キャノンの1DXのブログでも書きましたが、フラグシップ機というものの扱い方が少し変わってきたのではないかと感じます。プロ用のカメラ、それも特に報道向けのカメラという様相を帯びてきました。画素数を上げるのではなく、かといって携帯カメラ以下の画素では流石にフラグシップとは言えませんからそこそこの画素数(報道写真では、画素数はそれほど必要とされないのでしょう)、スピード重視(連写性能はスポーツ報道には重要)、画質重視という姿勢です。

 このあたりの方向性は、プロの写真家(報道写真家を除く)とも違うような気がします。

 全体的にみると、D3S(1200万画素、感度12800)→D3X(2450万画素、感度1600)→D4(1620万画素、感度12800)という変遷は、意地悪な見方をすると、迷いがそのまま表れているという感じがしないでもありません。

 最初にも書いたように、フラグシップがけん引していく時代ではなくなったということなのでしょう。一眼については、プロ写真家・ハイアマチュア向け、報道写真家向け、中級アマチュア向け、初級向けというような目的・ニーズに応じたカメラの分類が必要になってきているということでしょう。同時に、いよいよ一眼デジカメの開発も大きな壁にぶつかってきたのではないかと感じます。過去の範疇では、ミラーレスへの置き換えが確実に進行しつつあります。それとは別に基本コンセプトの全く違うカメラが出現する予兆かもしれません。パラダイムの変革が起き始めているのでしょう。

水曜日, 1月 11, 2012

フジフィルムのミラーレス X-Pro1


 フジフィルムがミラーレスをアメリカのCESで発表しました。

http://www.fujifilm.com/products/digital_cameras/x/fujifilm_x_pro1/

 スペックを見て、まさにミラーレス一眼のメリットを生かしたカメラと言えると思います。そしてとにかく画質にこだわり抜いていることが強く感じられます。特に、レンズを非常に明るいもので揃えていることです。ミラーレスだからこそ出来ることですが、やっと本格的なミラーレスが出てきたと実感しました。

 いままでどちらかと言うと失礼な言い方かもしれませんがミラーレスは女性や初心者向けのカメラというイメージが強かったし、いくつかのメーカは明らかにそちらの方向に走っています。ミラーレスだからコンパクトに出来て、女性でも持ち運びが簡単だ、だから女性がとっつきやすいものにしようという発想だと思います。この路線には、画質優先というコンセプトはありません。そういう意味では私個人としては非常に不満でした。

 その中でソニーはどちらかと言うと高画素化で画質優先派であったと思います。そこに新たに参入したフジフィルムは高画素化というよりも写真の技術を生かした画質優先のカメラを作ってくれたと言えると思います。何しろ発表したレンズのF値が1.4、2.0、2.4と非常に明るいレンズをそろえてきたということが驚きでした。ミラーレスだからこそ出来るわけで、考えようによっては、一眼レフでネックであったミラーを外したことを最大限に生かしたカメラであると言えるでしょう。しかも、センサーを工夫しローパスフィルター(解像度低下要因)を外してしまったというのですから、画質に対する拘りが強く感じられるのです。フジフィルムではフルサイズの一眼を超える画質だと言っているそうですから、相当自信をもっていそうです。フジフィルムのXシリーズは本当に頷けるものばかりです。

 ミラーレスは、明確に2つの方向に分かれたと言っていいでしょう。おそらく、この方針は、各社簡単には変更できないと思います。なぜなら、方針の変更はマウントの変更になるからです。今まで一眼レフが受け入れられてきたのは、このマウンドを大きく変えなかったからです。

 最後に残ったキャノンがどちらの道を選択するのか、非常に楽しみです。

月曜日, 1月 09, 2012

この時期のかっこう


  1月3日の写真です。鎌倉八幡宮です。この時期にアルバイトの警備員さんがこの赤いトングコートの恰好をします。本当は、気付かれないように撮ろうと思っていたら、気付かれてしまい、おまけにポーズまで取ってくれましたので、こうなるとシャッターを切らざるを得なくなって仕方なくカシャッとやったわけです。だから、こんな超ベタな写真になってしまいました。女性の警備員も居て、赤いベレー帽をかぶっていました。初めて初詣に行った時は、一瞬右翼の街宣かと疑ってドキッとしたのですが、このように結構やさしいお兄さんが多く、愛想の良い警備員さんたちです。


日曜日, 12月 11, 2011

六義園・・・の前のアンパンマン


 六義園に行ったのですが、正門の反対側にアンパンマンの銅像がありました。

   銅像になると、なんだかアンパンマンらしくないです。鼻の色も青銅ですから、なんか違和感があります。銅像になって違和感が無いのは、柴又の寅さんの銅像ぐらいでしょう。あれは、みんな横に立ってピースサインで写真を撮ります。やっぱり銅像が似合う似合わないの差でしょうか。


木曜日, 11月 24, 2011

カメラの形2


 最近、40年程前に買ったレンズをデジタル一眼レフに取りつけてみました。マウントが基本的に共通ですから、オートの撮影をしないのであれば問題なく使えます。昔のレンズですから、AFはついていませんし、単焦点のレンズです。(昔は、ズームよりも単焦点が主体でした。)

 取りつけて、先ず感じたのはカメラとしてのバランスの良さです。ボディとレンズの大きさのバランスが良いのです。この差は何と言っても最近のレンズが大きくなっていることです。その一番の原因はAF機構が入っていることでしょう。他にも、ブレ防止がレンズ側に入っている場合は、余計に太くなくる可能性があると思います。

 カメラのボディは昔に較べればコンパクトになってきておりますので、余計にバランスが悪くなっているのだと思います。これは、ミラーレスにもそのまま影響が出てしまっています。ミラーレスでは、ミラーが無い分更にボディが小さくなっていますが、レンズはAF機構が入って太くなっていますので、単焦点の広角、いわゆるパンケーキレンズ以外のものでは非常にバランスの悪い形になっています。カメラを首からぶら下げると、レンズが下を向いてしまうことになります。よく報道カメラマンが望遠付の一眼レフを2台位首からぶら下げて写真を撮っていますが、だいたいレンズは下向きになってしまいます。そんな恰好になってしまいます。その方が邪魔しないということにもなりますが。

 オートフォーカスは確かに便利ですが、マニュアルフォーカスのレンズもあっても良いように思います。フォーカスが合っているか合っていないかというインジケータでも付けてくれれば、それで良いと思います。その分、レンズを多く持ち歩けるというメリットもあります。

水曜日, 11月 09, 2011

庚申塔

 横浜戸塚区の舞岡公園の近くで、偶然庚申塔を見つけた。庚申塔を見つけたというより、見つけた時はなんだか分からなかった。何やら怖そうな人物が子供の髪を左手でつかんでぶら下げているのが彫られている。右手には剣のようなものを持っている。ただならぬ形相の石碑が気になって帰って調べてみたら、庚申塔であることが分かった。


 調べたところでは、庚申塔とは60年ことに巡ってくる庚申(こうしん・かのえ猿)の年に建てたのもらしく、青面金剛(しょうめんこんごう)が彫られている。6本の手があるとされるが、3本程度は分るがその他は消えてしまっている。青面金剛は疫病をはやらせたそうで、つまりこの庚申塔は疫病がはやらないことを願って建てたのだろう。右手1本目は剣を持っている。左手1本目は子供の髪の毛をつかんでぶら下げている。 右には『寛政七(乙)卯九月吉日』となっている。1795年に建てたことになる。左側には『上講中九人』とある。講の仲間九人で建てたということか。正面下には庚申ということで三猿が見える。舞岡公園は、いわゆる谷戸を生かした公園。つまり江戸時代の谷戸で耕作していた農民たちが疫病を恐れて建てたものなのだろうか。舞岡公園は、横浜の少し南部に位置する公園であるが、周りは殆どが住宅街となっている。横浜の真ん中にこのようなものが残っているというのが驚きでした。

月曜日, 10月 24, 2011

カメラの形


 以前からカメラの形に疑問を持っています。フィルムカメラであった時の形が未だに多くのカメラに継承されているのですが、どう考えても最適な形とは思えないのです。カメラにも、大判のカメラ、中版のカメラ、二眼レフ、一眼、コンパクト、それにビデオカメラといろいろあります。それぞれ必然性があったのですが、今の一眼(レフ)デジカメ、コン(パクト)デジの必然性というのはよくわかりません。

 私は個人的には円筒形(直筒形)のカメラが欲しいと思っています。筒の前がレンズ、後がファインダーかモニター(モニターはビデオカメラのようになっていても良い)、というのが自然なのではないかと思います。

特に、コンパクトカメラではどう考えても今の形は持ちにくいのです。私は結構実用的な用途でコンデジを使いますが、片手で撮って、片手は別の用途に使います。その際、片手でコンデジを持ってシャッタを切るには非常に使いづらい形です。

 以前紹介したライトロ(撮った後で自由にフォーカスが変えられるカメラを開発http://photosepia.blogspot.com/2011/06/lytro.html)がいよいよカメラの発売するよう(2012年に発売)ですがhttp://www.wired.com/gadgetlab/2011/10/lytro-camera/
円筒ではないのですが、同じような考え方です。そろそろカメラの形を変えても良いのでは。

土曜日, 10月 22, 2011

畠山直哉展


 東京写真美術館(http://syabi.com/)で畠山直哉展が開催されていたので、見て参りました。ほんとにすばらしい作品ばかりで圧倒されてしまいました。なにがすごいかというと、被写体の捉え方とその表現力もすごいのですが、私が一番感心してしまったのは、大きな画面で遠近感もあり、なおかつどこにも焦点がきっちり合っているということからくる迫力です。

 やはり写真はレンズがしっかりしていて、焦点がきっちり合っているというのが先ず必要なのだと強く感じた次第です。大きく引き伸ばしても細かいところまできっちり焦点が合っているということが、離れてみても人を引き付ける力を持っているのだということなのではないかと感じています。遠く離れて見るのであれば、細かい部分で多少ボケていても関係ないというのは理屈では分かりますが、そういう写真は遠く離れてみてもなにか迫力に欠けるものあります。この差をどう表現して良いのか判りませんが、やはり高精細で写真を撮るというのは非常に重要なのだと実感しました。

水曜日, 10月 19, 2011

Canon 1DX


 久しぶりにキャノンからフルサイズ一眼レフの発表がありました。 今回の仕様を見ると、画素競争に走ることなく、カメラの基本性能を重視するという姿勢が見えてきます。特に、ISO感度を51200まで高めたというのが注目に値します。これだけ感度が高くなれば、ストロボを使わなくても良い機会が増え、写す選択肢が増やせます。

 1Dシリーズはプロ用を意識したカメラですから、実際にカメラを使う側の要望を取り入れた選択だと思います。この考え方は一般のカメラにも広めて欲しいと思います。

 ISO感度というのは明確な規定はなく、増幅率さえ上げてしまえば高い値を仕様にすることは出来てしまうのですが、カメラメーカの良心が現れる場所でもあります。実際にはノイズだらけであっても感度が高いと謳っているカメラもあります。ですからこの51200という値は使える感度であれば素晴らしい値です。

 感度を左右するのは第一にセンサーですが、基本的にどのメーカであってもセンサーの原理的な部分は変わりませんので、あとは光の取込効率を上げたり、一つの画素をどこまで大きくできるかというところでしか差別化できなかったわけです。しかし、最近は画像処理エンジンの性能が飛躍的に向上し、ノイズを大幅に低減することが出来るようになってきました。つまり、カメラは画像処理能力の競争の時代になってきたということだと思います。

 一方で、今後カメラは何をターゲットにして行くのかというのが問題です。一般用のカメラはまだいろいろな方向性があると思いますが、フラグシップ機というのはどこに向かうのでしょうか? 大きな変革が必要な時期に来ているような気がします。今後の動向を見守りたいと思います。

木曜日, 10月 06, 2011

ジョブズ


 アップルのスティーブ・ジョブズが亡くなりました。とてつもない才能を持った人だったということは、いろいろなところで指摘されていますが、なによりもコンセプトやデザインに徹底的にこだわり抜いて妥協を許さなかったという点でこの人の右に出る人は居なかったと思います。エンジニアでありながら、デザインにもひいでた才能を発揮していたという点では珍しい人物であったと思います。

 新しい製品のコンセプトという点ではこれほど注目された人物は居なかったし、今後も同じような人が出てくるとはとても思えません。

 巨星が落ちたとはこういうことでしょう。

火曜日, 10月 04, 2011

コダックのジレンマ


 写真フィルムの老舗であるコダックが非常に厳しい状況に置かれている。フィルム写真の時代は、コダックを使うことにあこがれがあった。わけもわからずコダクロームを買い、写真を写し、スライドを覗いて喜んでいた。そのコダックが倒産の危機にあるという。(もちろんコダックは否定している。)

 しかし、フィルムの時代は終わった。映画でさえデジタルの時代になってしまった。コダックもデジカメには手を出してはいるが、日本のカメラメーカには太刀打ちできるはずがない。デジタル化の波に飲み込まれてしまったのである。フィルムメーカでもう一方の雄であるフジフィルムは、フィルムという技術を別の形で展開することで生き延びている。工業用のフィルム製品や、フィルムで培った技術を使った化粧品などでうまくフィルムから脱却したと言ってよいのであろう。

 残念ながら、コダックはフィルムの横展開が出来なかった。写真フィルムの素晴らしさだけを訴え続けている間に世間が変わってしまった。どんな工業製品でも同じようなことがおきる。どんな事業でも陳腐化は起きる。成功は失敗の始まりなのだ。もっと正確には、成功にしがみつくことが失敗の始まりなのだろう。

木曜日, 9月 29, 2011

イングリッシュガーデン



 我が家の庭と言いたいところですが、横浜の観光名所ということになっている平沼橋近くのイングリッシュガーデンです。そもそも横浜にイングリッシュガーデンがあること自体知らなかったのですが横浜市の観光ガイドに載っていました。とは言っても、市の施設ではありません。入場料800円と少々高めです。花がたくさんあればよかったのですが、台風の後で、殆ど散ってしまっていました。そのせいかどうかわかりませんが、見物客もまばらでした。2000坪の広さですから、手入れは大変だと思います。やっていけるのかどうか心配になってしまいますが、余計なお世話かも。



木曜日, 9月 22, 2011

ニコン ミラーレス一眼発表

 昨日、ニコンがうわさになっていたミラーレス(ニコンはミラーレスという表現を敢えて避けているようです)を発表いたしました。私にとってはとても意外な性能のカメラでした。センサーがAPS-Cの半分のサイズ(面積で言えば1/4)です。画素数が1010万。そして、ISO感度は100-3200となっております。

 ターゲットを所謂『カメラ女子』に設定しているのでしょう。そのため、価格を徹底的に抑えることを優先したのかもしれません。価格はオープンになっていますがダブルズームで8.8万という値段が一部でついていますから安いという印象はありません。小型化という点ではペンタックスQには及びません。

 もうひとつ考えられるのは、一眼レフとの社内競合を避けたということが考えられます。裏を返せば、一眼レフは残ると考えているということになります。

 私のような少し絵に拘りがある者にとっては、ちょっと意外な内容でした。しかし、先日のペンタックスQにもあるように、レンズ交換さえできればよいというものなのかもしれません。ミラーレスは、ソニーの高画質・高性能という方向と、軽量小型化+ファッション性という2つの方向にはっきり分かれてきたということです。どちらが中心になるのか、注目して参りたいと思います。

土曜日, 9月 10, 2011

コスモス


 浜離宮恩賜公園のコスモスです。圧倒的な数のコスモスの群生です。

コスモスというと、淡いピンクや深紅の花が頭に浮かびますが、ここはオレンジ色
のコスモスが沢山咲いていました。

金曜日, 9月 09, 2011

ニコンのミラーレス参入


 今日の新聞にニコンもミラーレスに参入することが書いてありました。年内に出るようです。ニコン発表ではありませんが、否定もしておりませんので、確実性は高いと思います。8月にミラーレスが一眼デジカメの中の40%を超えたというニュースが以前にありました。スマートフォンによってコンパクトカメラの価格が大幅に低下し、利益が出せなくなっています。このような背景で、これ以上放置しておけないという判断なのでしょう。ニコンが参入すれば、間違いなくキャノンも参入するはずです。

 私は一眼レフはいずれミラーレスに置き換わるだろうと思っていますが、それが徐々に近づいてきているようです。おそらく、ニコン、キャノンはAPS-Cサイズ以上のセンサーを使用するはずです。そうなると、まず影響を受けるのがAPS-Cサイズの一眼レフです。一眼レフとミラーレスで差が付けられるかということです。ミラーレスは当然のこととして新しいマウントになりますから、過去の交換レンズの遺産は引き継げません(現実には、レンズはデジカメに適合した設計を行うようですので、遺産はあるようで無いものなのかもしれません)。一眼レフメーカがミラーレス参入を遅らせてきたのは、この点も一つの要因ではないかと思います。ボディはセンサーと画像処理エンジンで性能が決まります。つまり、センサーが同じであれば、一眼レフの優位性は殆どないということになります。

 次に予想されるのが、フルサイズの一眼の消滅です。デジタル一眼リストのブログでも示しましたが、フルサイズの一眼の開発周期が長くなっています。また、性能がAPS-Cサイズの一眼と逆転している部分もあります。各社フラグシップ機と銘打っていますが、フラグシップ機にはなっていないのです。フラグシップ機のセンサーは半導体としては、非常識な程バカでかいのです。APS-Cサイズのセンサーと比較しても2倍以上の大きさです。このセンサーを開発し続けるのは容易なことではありません。しかも、致命的なことに生産数が少ないのです。半導体を量産する上で致命的なのは数がそろわないことです。一方、APS-Cサイズのセンサーはミラーレスの増加でますます増える方向になります。量産効果ではますます差が開くことになります。フィルム式のカメラの場合は、ボディだけ作ればよかったのですが、デジカメはそうはいきません。つまり、フルサイズはカメラメーカにとっては非常に重い負担になってくるということです。以上のような理由で、フルサイズの一眼レフはいずれ消滅する運命にあると思っています。

 デジタル一眼は、大きな転換期を迎えようとしています。これからのカメラは、従来にない斬新な機能やコンセプトが問われることになると思います。

火曜日, 9月 06, 2011

カメラの無線LAN対応

 東芝が無線LAN機能のついたSDカードを発表しました。同等のもので有名なのがEye-Fiのカードです。選択肢が増えたということは、可能性として標準的に使える可能性が出てきたということです。なによりも、現有のカメラが無線LAN対応できるというところが嬉しいことです。ただ、本体に入れた状態で無線が上手く通信できるのかが不安です。

 9月1日にはパナソニックが無線LAN対応のデジカメを発表しました。本体に無線LANが搭載されれば、安いSDカードが使えるわけですからメリットがあります。本体に入れることで、無線の品質もある程度確保することが可能だと思います。無線LANのスピードが有線並みに高速になってきたため、カメラに無線LANが搭載されるのが今後の標準になって行くものと思います。(フォトセピア 間 潤治)

月曜日, 9月 05, 2011

デジタル一眼リスト

 デジタル一眼の最新機種のリストを作ってみました。今後、新機種が発表される度に更新して行くつもりでおります(こちら)。リストは、ボディとしての基本性能のみをリストアップしました。写真を写す機械としての本来の性能を明確にしたかったためです。一眼とは言えレンズの性能は含まれておりません。ボディの基本性能、即ち感度、センサーサイズ、画素数の比較となります。センサーの種類も入れてあります。

 リストアップしてみてわかったことは、フルサイズのデジタル一眼の新製品が少ないことです。基本性能ではAPS-Cの方が上回ってしまっていることがよくわかります。レンズの性能が十分にあれば、APS-Cサイズで十分ということになるのでしょう。唯一、ボケ味のみの差ということになるかと思います。
 フルサイズは各社フラグシップ機と称してますが、性能的にはフラグシップ機になってないということです。デジタル特有の現象と言ってよいと思います。

 もうひとつ大きな違いは、感度が良くなってきていることです。おそらく画像処理エンジンの性能向上に負うところが多いと思います。一眼ではセンサーとして裏面照射CMOSと謳っているところが見当たりませんでしたが(見落としているかもしれません)、コンパクトでは主流になっております。今後更に感度が向上する可能性があるのかもしれません。(フォトセピア 間 潤治)

木曜日, 9月 01, 2011

写真保存サイトと写真のキャプション


 写真データを無料で保存してもらえるサイトが徐々に増えています。東日本大震災で写真を無くした方が多く、その影響もあるのでしょう。今までは、自分でPCに保存し、バックアップをDVDなどで保存するということしかできなかったのですが、外部に保存できると非常に助かります。外部に保存できれば、写真のデータの共有もできますので、親戚とかグループの中で自由に見ることができるわけです。もちろん、公開することも可能になります。

 こうなると、メインは外部に、バックアップとして自宅にというスタイルになるのではないでしょうか。

 写真のデータ化とかデジタル写真がここまで進んできて、一つ不便なことがあります。それは写真のためのキャプション機能が充実していないことです。現状でも写真にコメントを入れることは出来ないわけではありませんが、ユーザインターフェースが不十分であるということと、表示、互換性も含めてアプリケーションが充実していないことです。カメラ業界もこのあたりの標準化にはあまり熱心ではないようです。こういうケースでは、だいたい海外での動きがないと国内はまとまらないというのが従来の動きです。こんなところにも外圧頼みということなのでしょうか。(フォトセピア 間 潤治)

火曜日, 8月 30, 2011

高倍率コンパクト


 コンパクトカメラはいずれスマートフォンに置き換わるだろうということを以前書きましたが、コンパクトの中で唯一高倍率ズームのコンパクトだけは残ると思います。さすがにスマートフォンで何十倍もズームを変えられるものは作られないでしょう。

 高倍率のコンパクトは以前からありますが、最近はズーム比率がどんどん高くなってきています。これは、そういうニーズがあることはもちろんですが、光学技術の進歩によるところが大きいのでしょう。最初のころは倍率さえあればよいという製品も結構あったのですが、最近は性能もきっちり確保した上での高倍率ズームを搭載したカメラが多くなりました。35ミリ換算で1000ミリ近い望遠を実現しているのですから驚きです。友人がコンパクトで撮った月の写真です。

photo by murano

 従来のコンパクトカメラもズーム比率がどんどん高くなってきています。昔は3倍程度のズーム比率のコンパクトが多かったのですが、最近は10倍以上は当たり前です。これは、スマートフォンとの差別化でそうせざるを得ないという面が大きいのではないかと思います。

木曜日, 8月 25, 2011

ソニーのミラーレス


 ソニーがNEX-7を発表しました。2430万画素のボディです。いよいよ一眼は2000万画素時代に突入したということでしょう。と同時に、明るい単焦点レンズが2本発表されております。NEXシリーズは、いままでレンズの選択肢があまりにも少なかったので、どこまで本気かちょっと疑わしい感じがしていたのですが、マクロレンズも含めて新しく4本発表されましたので、ようやく一眼カメラの体をなしてきたという感じがします。レンズ交換の選択肢がなければ一眼のメリットはありませんから。これから9月にかけて各社の発表が続くと思いますが、どういうものが出てくるのか非常に楽しみです。(フォトセピア 間)

金曜日, 8月 19, 2011

デジカメの状況

 ミラーレスがあまり売れてないそうです。コンパクトもスマートフォンに押され、価格が低下する一方で、利益が出なくなっています。以前にもここで書きましたが
カメラは一眼とスマートフォンに分極化するということでしょう。問題は、ミラーレスです。個人的にはカメラはミラーレスにシフトしていくと思っておりますが、現在の動向はそうではありません。これは、ミラーレスの戦略が間違っているためだと思います。このことは、以前にも書きました。
どうも、いままでミラーレスを発売してきたメーカは、ミラーレスを女性、初心者向けと考えているようです。軽くしてコンパクトにすることに主眼を置いているのです。

しかし、一眼を使いたい人は写真に拘りがある人だと言うということを忘れているのではないでしょうか?そして、価格はコンパクト(平均1.7万)よりはるかに高く(平均5万)、一眼レフ(平均7.3万)より少し安い程度です。これではインパクトがありません。(価格は日経新聞2011.8.19より)

 カメラメーカは、一眼しか残らないことを考えないと生き残りは出来ないと思います。
(フォトセピア 間)

日曜日, 8月 14, 2011

トランスファージェット


 近距離無線通信のトレンスファージェットを国際規格化する動きがあるようです。トランスファージェットはソニーが開発した無線通信技術で、スイカのようにそばにかざすだけで画像などが自動的に転送される技術です。

 確かに、デジカメで撮った後の画像の転送は本当に面倒なものです。usbケーブルを用意(これも機種によってさまざまなケーブルがある)、中にはアダプターまで必要なものまである。やっとのことで接続して、そのあとは、どこに格納するかを決めて、フォルダー名を決めて・・・とにかく面倒です。

 これが、パソコンの近くにかざすだけで画像が転送されたら、どんなに便利でしょうか。Wifi(無線LAN)などが組み込まれたカメラがあれば、それで転送することも出来ますのでどちらでもよいのですが、とにかくカメラの無線化だけは標準的に対応してほしいものです。

 因みにトランスファージェットの利点は、近距離しか届かないことだそうで、余計なセキュリティなどが要らないということですが、なんとなくちょっとこじつけのような気も・・・。

http://www.sony.jp/transferjet/





月曜日, 8月 08, 2011

睡蓮

 睡蓮の季節です。紫色や青い睡蓮も涼しそうで好きですが、赤い睡蓮も魅力的です。いつまで見ていても飽きない花です。一年のうち、この季節だけで、栄養が足りないのか一輪咲けばよい方ですから、名残惜しさもあるのでしょうか。

木曜日, 8月 04, 2011

きょう一日

 テレビにニュースで、被災者が「五年、10年の先を見て生きろと言われても、そんな見通しは立てられない。でも、明日だったら目標を立てられる」とつぶやいていたのがとても印象的でした。期を同じくして日経新聞に五木寛之氏が、「きょう一日、きょう一日」で暮らしていけばよいということを言っておられました。

 その二つの言葉には、ビジョンとか展望などという歯の浮くような、そして大半が絵空事に終わってしまうようなことを発言する人に対する醒めた目と、そんなものに振り回されず決然と生きる意志のようなものを感じました。所詮、人間と言えどもこの世に生れた一つの生命にすぎません。全ての生命は、今を生きることが全てなのだとつくづく感じた次第です。

日曜日, 7月 31, 2011

二足歩行

 まだ二歳にも満たない子供の二足歩行です。

 お釈迦様ではありませんので、生れた途端に歩くなんてことは考えられないことですが、1年か2年の内には大体歩き始めるのですから、驚異です。ロボットの歩行よりよほど上手に歩きます。これが、殆ど全ての人間に出来てしまうのです。ロボットを作っている人がどうじだんだ踏んでも真似できっこない高等技能です。そう考えると、人間の技術なんてたかが知れてます。

 大体、今の最先端に技術にしたって、まだ100年も経ってない技術ですから。それに較べたら、生物は数十億年の歳月を経て獲得してきた能力です。おごれるものは久しからず。

土曜日, 7月 30, 2011

3Dの幻想

 猫も杓子も3Dに飛びついていましたが、少しほとぼりが冷めてきたようです。3Dのテレビがそれほど売れてません。NINTENDO 3DSも失速してしまい、早くも大幅な値下げに追い込まれています。3Dカメラというものも販売されておりますが、あまりぱっとしません。

 これには2つ理由が挙げられています。一つは、不便で見にくいこと(メガネが必要であったり、見るポイントが限定される)、もうひとつはコンテンツが貧弱であることです。
 しかし私はもうひとつ理由があると思います。あまり指摘されてないのですが、現状の3Dというのは、本当の3Dにはなってないことです。本当の3Dは今現在このブログを読んで頂いている方々の置かれている環境です。大半の方が両方の眼で回りの景色をご覧になっていると思いますが、それだけが3D効果を生んでいるわけではないのです。試しにご自分の頭を動かして見てください。前景と背景の位置関係が変わります。ビルの正面からビルを見ると側面は見られませんが、体を動かせば側面が見られます。これも3Dにとっては重要なファクターなのです。

 しかし、現在の3D映像は、頭を動かしても状況は変わりません。それは固定したカメラ2台で映像を記録しているからです。

 つまり似非3Dであるわけです。人間の3D感覚というのは2眼視だけで成り立っているのではないのです。

 技術というのは、作り手の勝手な思い込みで突っ走ってしまうことが結構多いのですが、その典型的な現れではないかと思います。

 そしてもっと大事なことは、消費者がそれほど3Dであることに執着してないということではないかと思います。

木曜日, 7月 28, 2011

不健全なビジネス

 スマートフォンの値段が200ドル位にすぐ下がるそうです。将来は50ドルにもなるとのこと。確かに、今は4万円とか5万円ですから、いくらなんでも高すぎでしょと言いたくなります。買う段になると、0円というのもあるようですからわけがわかりません。携帯電話の値段、特に日本においてはデタラメです。販売業者と通信業者が一緒だからこういうことがおきてくるのでしょう。4万も5万もするものがタダなわけありません。つまり、そのあとでじっくりと通信料を絞りとられるということになるわけです。結果的には高い値段を払わされているということになるのでしょう。

 どこで買おうが、カードさえ差し込めば使えるというのが海外のスタイルですから、端末と通信業者を別々に選択できるというのは羨ましく思えます。端末は端末で競争し、通信業者も通信業者間で競争する。双方が伸びて行くことになるのです。不健全な市場では不健全な商品しか育たないと思います。余計な機能がいっぱいついた日本の端末が海外で売れないのは、そういうことだと思います。

 ガラパゴスは相変わらず生き延びているということでしょう。

日曜日, 7月 17, 2011

カメラのパラダイムシフト

 先日、スマートフォンのカメラがコンパクト並みになってきたと書きましたが、昨日の新聞にスマートフォンがコンパクトの市場を奪っているという記事がありました。似たような機能のものをいくつも持ちたくないというは理解できます。どちらを持つかと言われたら、スマートフォンを選択するに決まっています。


 コンパクトデジカメには先が見えてきたということでしょう。これがどういうことに繋がるかというと、カメラ業界の再編ということになるかと思います。そして、残るのは一眼カメラとなるわけです。もちろん、コンパクトデジカメ陣営も黙って見ているわけではないでしょうから、何か手を打って、この流れが変わる可能性も十分にありますが、その可能性は少ないと私は思います。

 一方、一眼はスマートフォン的な機能が入ってくると思います。現在、一眼でWiFiが入っているものはまだないと思いますが、データ入力機である以上、無線のインターフェースが入ってくるのは間違いないと思います。

 カメラにとってはまさにパラダイムのシフトが来たということでしょうか。

土曜日, 7月 16, 2011

神武寺というお寺

 神武寺という駅があります。隣の駅ですから、良く知っていたわけですが、駅名ということしか頭になかったのですが、お寺という字が付く駅というものおかしなもので、当たり前ですが、神武寺というお寺が近くにあるわけです。近くとは言っても、歩いて40分程度の山道です。

 石の苔が美しく、印象的でした。最近は、ゼニゴケが多いというか、ゼニゴケの侵略で、こういう表面にうっすらと生えたビロードにような苔はあまり見なくなってしまいました。鎌倉時代に創設されたとは言え、鎌倉からも距離があり、孤立したお寺ですし、山道を登ってたどり着く古刹ですので、観光客は殆ど来ません。ハイキングを兼ねた人位でしょうか。(医王山神武寺)

土曜日, 7月 09, 2011

スマートフォンカメラと一眼

 アメリカで写真共有サイトのフリッカーに載せる写真でiPhone4が1位になったそうです。2位がニコンのD90、3位がcanon EOS5DMarkⅡとなっています。写真枚数ではなく、写真をアップロードする回数での統計です。写真枚数ではD90が1位、iPhone4が2位。また、コンパクトデジカメの平均価格が1.05万、一眼は05年に7万程度であったものが4万程度に下がっている。つまり、携帯によってコパクトの存在が脅かされているということになります。そしてその価格低下が一眼にも及んでいるということなのかもしれません。(一眼の価格低下は、ミラーレスの影響もあると思われます。)


 かなり前にコンパクトは携帯に置き換わるかもしれないと書きましたが、その可能性が高くなってきたようです。その一番の理由は、iPhone4に見られるように、画質を改善していることだと思います。つまり、画素数競争ではなく、画質にこだわっていることではないでしょうか。他の携帯メーカは、カメラが付いていることが重要で、画質よりも画素数で勝負しているようです。一方iPhone4ではレンズを明るくしたり(一般のコンパクトデジカメのF数よりも小さいF2.4)、デジカメで最近多く採用されている裏面照射型のCMOSセンサーを使っていることなど、目立たないのですが、明らかに画質の改善に向かっています。ズーム機能が付いたらコンパクトの領域と完全に重なってしまいます。(デジタルズームで我慢すれば殆ど差は無くなっているかもしれません)。携帯にカメラを入れることにより、撮った画像を瞬時にワイヤレスで転送したり、アップロードすることができるのですから、考えようによってはコンパクトデジカメよりも有利ともいえます。しかもスマートフォンはパソコンのようなものですから、画像の加工でも有利です。

 カメラは、両極端に分離していくかもしれません。スマートフォンカメラと一眼という方向です。すでにフリッカーの投稿状況がそれを物語っています。そして、アップルはすでに世界最大のデジカメメーカになっていたのかもしれません。

木曜日, 7月 07, 2011

APSフィルムの生産中止

 フジフィルムがAPSフィルムの生産販売を終了するそうです。1996年から生産していたのですから、わずか15年で終了するということになったわけです。

 APSサイズのフィルムというのは、なぜこの時期に発売されたのでしょう。フィルム方式の写真の延命策だったと思います。デジタルカメラとして最初に発表されたのがソニーのマビカでした。これは当時では画期的でしたが、結果的には一般には受け入れられませんでした。フロッピーディスクを使用していたこともあったのですが、早すぎたということもあったと思います。しかし、デジタル化への大きな一石を投じたことは間違いありません。

 衝撃的であったのは、1995年に発売されたカシオのQV-10というデジカメです。これが現在のデジカメの原型ともいえます。なにが衝撃的であったかというと、液晶画面を搭載したことです。今では当たり前になっていますが、これがデジカメの使い方を切り開いたという意味で画期的だったのです。撮った直後に確認できるというのが非常に大きなメリットだったのです。QV-10は、良く売れたのですが、10万画素にも満たない画像ですから、粗い画像であったのは言うまでもありません。一番喜んだのはビジネスの現場だったと思います。いままで、レポートなどに写真を入れるとしたら、簡単にできるのはポラロイド位でした。しかし、ポラロイドは電子化ではありませんので、それを一旦スキャナーに読取って文書に入れるという方法しかなかったと思います。それが、QV-10の出現で、即座に文書に写真を貼り付けることができるようになったのです。文書に貼り付ける写真であれば、10万画素以下でも十分でした。これで文書に写真を組み込むことが圧倒的に楽になったのです。

 では、なぜこの状況で翌年にAPSが発売されたのでしょう。それはフィルムメーカの危機感と、カメラメーカのデジタル化への時間かせぎだったと推測します。QV-10はデジカメでしたが、画質はフィルムとは比べようのないものでした。カメラメーカとしては画質を優先せざるを得なかったのだと思います。その間に少しでもフィルムを延命し、そのフィルムに対応できるカメラを提供することでデジタルへの繋ぎにしようという試みだったのではないでしょうか。

 結果的には、APSカメラは殆ど浸透しませんでした。結果論ですが、動機が不純であったということでしょう。そこをユーザに見透かされたともいえます。APSという名前がAPS-Cというデジタル一眼用センサーの標準サイズとして生き残ったというのは皮肉なものです。

月曜日, 7月 04, 2011

キャノンの一眼レフ増産とミラーレス参入

 台湾でキャノンが一眼レフの増産に踏み切る。一眼レフは金額ベースで68%にもなっている。台数で23%。ここから言えることはコンパクト1台に対し、一眼1台は売上で7倍強ということになる。当然利益も大きい。従って、当面ミラーレスに本格参入する可能性は低いのだろう。もし、他社の製品と大して差が無いミラーレスを出したら、多くのユーザはがっかりしてしまう。そうなると、キャノンあるいはニコンが発売するミラーレスはとんでもないミラーレスであることが条件になる。そういうことを期待したいし、否が応でもそうなってしまう。

土曜日, 7月 02, 2011

ペンタックス

 ペンタックスがリコーに買収されれるそうです。Hoyaに買収され、リコーに買収されるという厳しい環境にさらされているわけです。買収したリコーもカメラでは非常にシェアの少ないメーカですから、まだ業界の再編はこれからでしょう。

 カメラ業界の状況は、①ミラーレス一眼の登場で一眼レフの技術があることが価値として小さくなっていると思います。②高級カメラの代名詞である一眼レフは、メーカの数も多すぎます。③また、コンパクトも含めてメーカの数が多いのも気になります。④半分くらいはカメラ事業として赤字です。⑤日本では売られてませんが、サムソンはシェアーとして非常に大きくなってきており、意欲的に製品を投入しています。

 これだけ見ても、再編はまだまだ続くと予想されます。一眼レフも将来は、カメラ店のケース内にしか置かれないないようなマニア向けのみが残るのではないでしょうか。

水曜日, 6月 29, 2011

ビデオカメラ

 ビデオカメラ(カムコーダー)の市場が随分縮小してしまっています。全世界で1308万台でデジカメの1割程度です。90%近くが日本メーカ製品。最近はYouTubeなどにアップするための簡便なビデオカメラにおされているようです。特にアメリカでは1.6万円程度のものが売れ筋だそうで、日本の1/3です。携帯、スマートフォンの影響もあるようです。JVCケンウッドが普及品から撤退するというのもうなずけます。動画そのものは投稿サイトなどで以前よりはるかに多くの人が使っているのですが、メーカが市場を見ていなかったこと、新たな市場を作り出せなかったというのが衰退の理由だと思います。

 その中で、ソニーが事業的にも黒字を出しているという点に注目しました。生産の上流から下流までを社内で扱っているということと、デジタルカメラとの部品の共通化を行っているということだそうです。これが本来のソニーの生産の姿だと思います。(製品開発は別として)

火曜日, 6月 28, 2011

LYTROカメラ

 とんでもないカメラが出現しました。アメリカのベンチャーLYTROが作ったライト・フィールド・カメラと呼ばれているもの。先ずは下のリンクでご覧いただきたい。写した後で好きなところに焦点が合わせられるカメラです。

http://www.lytro.com/picture_gallery

 原理はまだよくわからないのですが、カメラに入ってくる全ての光情報を別々に捉えて画像に変換するものだそうです。今までのカメラは、光の入ってくる方向は限定的に制限したりすることは出来たのですが、フィルムやセンサーに入った状態では、どの方向から飛んできた光かという情報は捨ててしまっていました。それをセンサーで別々に捉えてフォーカス情報として取り出すという考えのようです。

 多分、いろいろと制約がありそうです。サンプル画像で見る限り画像が粗いとうい印象がありますが、デジカメが最初に出てきたころの画質程度にはなっているようです。焦点方向の分解能もまだ低いようです。

 それにしても、こういうアイデアが出てくるというのはさすがにアメリカです。3Dカメラよりも、面白さがあります。まさにイノベーションとはこういうことかもしれません。今後が楽しみです。

土曜日, 6月 25, 2011

ペンタックス Q

 ペンタックスQが発表されました。ペンタックスとしては初めてのデジタルミラーレス一眼になります。驚いたのは、センサーがコンパクトカメラと同じサイズのものを使っているということです。早い話が、レンズ交換可能なコンパクトカメラということになります。

 一眼の一番の特徴は、レンズ交換できること、大きなセンサーで画質を優先することと、ボケ味を出すことです。従って、この特徴の大半を真っ向から否定したカメラということになります。ボケに関しては、ボケコントリールという機能でボケを出すそうです。

 レンズもおもちゃレンズを搭載できるようになっていて、美しい画像を楽しむというよりは、画像のバリエーションを楽しむというコンセプトのようです。

 私は、一眼レフを超えるようなミラーレスを期待しているのですが、私の期待するカメラとは正反対のものです。私の期待が無理なんでしょうか。大手2社が相変わらず静観しているのが気になります。

火曜日, 6月 21, 2011

アメリカの中の日本文化

 新聞ネタですが、アメリカの議会図書館6階(通称DECK6)には110万点の日本関連の蔵書があるそうです。昔、日本人司書の坂西志保さんという方と当時の大使の斎藤博之さんという方の尽力で集められたそうです。今では宝の山だそうです。これに限ったことではないのですが、日本の美術品などが大量に海外に集められています。ボストン美術館などの浮世絵も有名です。

 この集める文化というのは一体どこからくるのでしょうか。日本にはアメリカやイギリスの文化を蒐集している場所があるという話は殆ど聞きません。アメリカやイギリスはそういうことに熱心です。日本にも個人レベルでそういうことをやっておられる方はいらっしゃいますが、国とか県というレベルでは非常に少ないと思います。自国のものですらろくに集めてませんから。

 日本人がどうのこうのという話はヘドが出るほど聞かされてますからどうでもよいのですが、文化というものに対する思い入れというようなものが彼我の違いなのでしょうか。そういえば、私自身も自分の文化に対しては無頓着極まりないのです。せめて写真くらいは大切にしたいと思います。

日曜日, 5月 22, 2011

ホキ美術館

 写実画専門の美術館、ホキ美術館(写真)の超写実絵画を見てまいりました。お客様より、ホキ美術館の存在を教えて頂いたのが始まりですが、その少し前にも別のお客様から出展作品の写真のデータ化のお話があり、偶然の重なりで気になっていたので、少し遠い場所(千葉市土気)でしたが行ってまいりました。

 超写実という世界があるというもの実は知らなくて、先日NHKで放送されていた超写実の野田弘志画伯の特集を見て、そういう領域があるのを知った次第です。

 超写実ですから、まるで写真です。写真よりリアルかもしれません。写真よりリアルという表現はおかしな表現かもしれませんが、写真は被写体をストレートに機械を介して写し込むのに対し、超写実は、画家の感じた現実が入っている分違いがあるのでしょうか?

 私はどうも不純は性格のせいか、女性をモデルにした絵には多分横に写真が並んでいたとしたらその写真よりももっと艶かしいものを感じてしまうと思いました。

 ただ、正直言って、こういう絵を描くという衝動は理解できないのです。写真という手段があり、最近は写真も写真家によってはデータを加工する場合もあるので、その差が何なのかという疑問が解けないのです。

 ただ、間違いなく言えることは、その精緻な仕事から発せられる圧倒的な迫力だけは感じることができます。それは、写したのではなく、描いたのだという事実によって伝わってくるものですが、ちょっと作家の方には失礼な表現かもしれません。

 この美術館、建物が非常にユニークです。写真の部分も展示室になっているのですが、下に支えがないのです。内部は、細い廊下のような感じのギャラリーが何本も走っているのです。このギャラリー、結構見やすいのです。普通は四角い部屋の周りに絵が貼ってあって、結構ウロウロするのですが、この廊下のようなギャラリーは、歩いていくと両側に絵があり、まっすぐ進んで行けばよいのですから、見落としてしまうこともなく、楽に見られます。ただ、完全な一筆書きにはなって無かった部分があったのが少し残念です。戻ってくる人が絵の前を通りますので、ちょっと鬱陶しいのです。でも、絵を見るためだけの建物ということで、本当に100%そのことだけを考えて作ったという意味では大拍手です。

木曜日, 4月 07, 2011

理研のカメラ?

 今日の新聞の理研がES細胞から網膜の組織を生成したというニュースはすごいことですね。マウスの眼の水晶体とかレンズの部分を除いて眼の形になっているものが出来てしまうのですから驚きです。もちろん、まだ眼球の代わりに使えるというものではないようで、出来た細胞の一部を切り取って移植するということらしいのですが、複雑な組織を作ったということがすごいことです。特に、神経組織で現実の網膜組織と同じ構造のものを作ったというのが、単なる臓器の細胞を作ったというレベルと大きく異なっていることです。カメラでいえば、センサーの部分を培養してしまったということですから信じられないことです。震災関連のつらいニュースばかりの中で久しぶりに明るいニュースで、励まされます。

水曜日, 3月 16, 2011

思いでが無くなってしまった

 今もテレビで延々と東北関東大震災のニュースが流れています。今回、震災で被災された方には本当に何と申し上げてよいのか、心が痛みます。昨日、テレビにニュースで一人の老人が『子供も孫も無くしてしまった。写真一枚残ってない。思いでが無くなってしまった』と涙を流しておられるのを目にし、もし傍に居たらなんと声をかけて良いのか本当に悲しい思いをしました。家族、家、家財・・・全てを無くした方にとってせめて写真一枚でもあればとは思うですが、ガレキの山と化した被災地の中でそれを探すことなど出来るはずがありません。

 とにかく、一日も早い復興を祈るばかりです。

月曜日, 3月 07, 2011

呼び覚まし

 古い写真には、昔の姿が裏に隠れています。色あせてしまった写真にもかすかな痕跡は残っているものです。中には、痕跡も殆ど残ってないような写真もありますが、9割以上は残っています。

 そのかすかな痕跡を頼りに写真の復元を行うのですが、それが本当に正しいかどうかは別として、蘇った色というのは、忘れかけていた記憶を呼び覚ましてくれるものです。古い写真をそのまま見ているのも勿論それはそれで良いのですが、色が復元できた時は、『そうそう、こういう色だったんだよ!』という、上手く言えませんが後出しじゃんけん的な言葉が口をついて出てきます。

 つまり、もし復元しなかったら思い出すことはなかった色に巡り合えるということです。失われた記憶を取り戻すことができるのです。

 着ていた服の色、カバンの色・・・今はもう手元にないものの色は、実は写真と一緒に記憶になかで色あせていたのです。

木曜日, 2月 24, 2011

携帯カメラ

  今日の日経新聞に、高機能カメラ付き携帯の特集が載っておりました。携帯にカメラが搭載されてから、画素数などで随分進化してきたのですが、その勢いは停滞気味という感じがしております。携帯になんでも入れてしまおうという風潮の中でカメラ機能もその一つであったわけですが、いわゆるコンパクトカメラとしての機能という意味ではそれほど主流にななりませんでした。

 私は、コンパクトカメラは携帯に置き換わってしまうと思っていたのですが(http://photosepia.blogspot.com/2008/02/aflan.html)、間違いでした。私自身、携帯とカメラを両方もつというのが煩わしいと思っていて、光学ズームなどのついたカメラ付き携帯が発売されたらいまの携帯を変えても良いと思っていたのですが、価格が高いということもあるのですが、コンパクトカメラとしても中途半端な存在になってしまっていたように感じるのです。

 一方、携帯はスマートフォンへの流れが止まりません。ご存知のようにiphoneに代表されるスメートフォンはパッドタイプが主流であり、薄さが勝負です。高機能カメラ機能を搭載する方向ではないわけです。

 携帯のカメラの使い方と、コンパクトカメラの使い方というのは重なる部分はもちろんあるのですが、重ならない部分の方が多いのでしょう。携帯は、情報端末という位置づけがますます高まってきているわけです。実用性と嗜好性の違いというものが意外と大きなものであったと気付かされた次第です。

 かく申す私自身、いまだにカメラ機能さえない消えゆく第二世代携帯を使っております。

日曜日, 2月 20, 2011

色の認定

 最近見た新聞記事で、DIC(旧大日本インキ化学)が色の再現能力の認定を行うというニュースがありました。

 写真のデータ化を行っていると、色に対しては非常に気を使います。入力時の色ずれ、調整時の色ずれ、お客様がご覧になる環境に依存した色ずれという3段階の色ずれ可能性があるからです。更に、データを再プリントされる場合には、プリント時の色ずれも発生するはずです。三番目以降は我々にとっては手の及ばない範囲ですが、それでも対策はあります。但し、お客様にそこまで要求するのは現実的ではないと思います。

 一番目と二番目は我々が解決すべき問題です。1番目はスキャナーの色ずれです。スキャナーの色ずれは、かなりあります。メーカによっても違いますし、同じメーカでも機種によって異なります。極端には、一台一台でも微妙にずれがあります。一度メーカに問い合わせたことがあるのですが、『その程度の色ずれは、弊社の規格範囲内です』と言われておしまいでした。これが規格内なら、規格は無いに等しいというのが私の感覚ですが、致し方ないことです。従って、その色ずれは自分たちで補正するということにしております。

 二番目はモニターの色ずれです。モニターを見ながら色の補正を行いますから、モニターの特性が入ってしまうわけです。従って、現在はキャリブレーション機能のついたモニターを使っております。

 こういう作業をしなければならないというのは、手間も問題ですが、本当に合っているかという問題が常に付きまといます。なぜかというと、色には絶対的な評価基準がないからです。

 写真の場合を例にとりますと、晴れた日の窓から入ってくる太陽光で見る写真と、室内の蛍光灯の光で見る写真では明らかに色味が違うからです。

 ですから、いろいろな条件を考えると、本当に正しい色とは何かというのが分からなくなってしまうのです。

 もし、使っている装置が、規格をパスしたものであれば、この規格に準拠した装置を使っていますということで全てが解決してしまうのですが、そういう認証システムが無かったので今は色に関しては野放しと言ってもよいかもしれません。先ほどのスキャナーメーカーの対応を見ていても実にいい加減であるということがよくわかります。

 今回、そういう認証システムができるというのは有り難い話なのですが、気になるのは一メーカの認証ということです。日本は、なぜか公的認証という方向に動かないのかが不思議です。ヨーロッパであれば、なからず公的認証という方向になります。そして、そういうビジネスが生まれてくるのですが、日本ではいつも規格が私的なものからスタートしてしまい、複数の規格が併存してしまうのです。多分、競合するメーカはそのメーカの認定を出したりするんでしょうね。まあ、日本的と言えば日本的です。ヨーロッパの動き方もなにかもっとスケールの大きな下ごころのようなものを感じてしまいますから。

金曜日, 2月 11, 2011

CP+

 昨日、CP+というカメラの展示会に行って参りました。私が感じた今回の目玉商品はフジフィルムのX100です。クラシックな外観、35mm単焦点レンズ搭載(固定)で なによりもAPS-Cサイズのセンサーを採用していることです。ファインダーは光学とEVF(電子ビューファインダー)の両方が使えるようになっています。会場ではファインダーを覗きたいという人が長蛇の列で、残念ながら私は諦めましたが、会場に展示されていたパネルの写真の写りはさすがに素晴らしいものでした。ミラーレスのデジタル一眼と言って良いのですが、新しいカメラのあり方を提案した良い商品だと思います。APS-Cサイズのセンサーを使ったことでボケ味も一眼に匹敵する感触です。

 今回は、他社はそれほど斬新なものを出していませんでしたので、余計に目立ったということかもしれません。デジタル一眼がどちらかというと、女性向けとか、初心者をターゲットとして開発されてきたというのが私の不満でもあったのですが、それを払しょくしてくれるような製品です。

火曜日, 11月 23, 2010

カモメとかっぱえびせん

 観光遊覧船というものに乗ってみました。チケット売り場で、カモメのエサ(¥50) とありましたのでの、小魚でも出てくるのかと思ったら、キップ売り場の小さな窓からぬっと差し出されたのが『かっぱえびせん』でした。それも、そこいらで売っているカルビーのえびせんです。

 いよいよ出航となり、船が動き始めるとどこからともなく一羽、また一羽とカモメが集まってくる。で、船員の方がおもむろにかっぱえびせんを3等分ぐらいにして空中に放り投げます。そうすると、もうカモメがわれ先にとそのえびせんに向かって集まってくるわけです。観光船の船尾は、カモメが乱舞してもう大変です。そうやってしばらく慣れさせると、今度はかっぱえびせんを1個惜しげもなく手に持って高く掲げます。そうすると、カモメがそれを手から取りに来るというわけです。その時の写真が下の写真です(正確には、カモメにエサを取られたあと)。

 ところで、船員さんが言うには、カモメのエサは全国共通でかっぱえびせんだそうです。かっぱえびせんの需要がこういうところにあったとは知りませんでした。

 そして、私がこの遊覧船の観光で見たのはカモメだけでした。カモメだけでも商売になるような気がするんですけどね

金曜日, 11月 19, 2010

ピクトグラム

 接骨医の窓に下のような絵が貼り付けてありました。これも一種のピクトグラムなのでしょう。ピクトグラムというと非常口などの表示でよく見かけるものです。言葉よりイメージで直感的に判るようにしたイラストです。

 絵にすると妙にリアルです。骨折なんて、むちゃくちゃ痛そうです。これ見て入ってくる人いるんでしょうか? 居たとしたら、相当肝のすわった骨折患者です。


















月曜日, 10月 11, 2010

ゴッホ展

 ゴッホ展に行って参りました。私の最も好きな画家です。27歳で画家になることを決意。37歳で自らその命を絶ってしまう。生涯売れた絵はたったの一枚。これだけでもドラマチックな生涯であることが十分に伝わってきます。その間ひたすら自分の求める絵を描き続けていたというのですから、余計にその作品に思い入れが入ってしまいます。

 なんと言っても、その色使いの素晴らしさには何度みても感心してしまいます。普通では考えられないような色を使いこなしているのです。普通、同系の色を使うというのが絵を落ち着かせるには効果的なのですが、ゴッホの作品には補色(例えば青と黄色)を使ったものが結構あります。補色どころか、原色を全て配置したような絵もあるのです。それでいて、散漫にならないのですから実に不思議です。また、現実にはあり得ないような色を入れてそれでいてさもその色があったかの如く見せてしまったりするのですから本当に不思議です。

 ゴッホの例を見ても、人の評価というのは如何にあてにならないかということが良くわかります。ゴッホのような芸術家、あるいは芸術家ではなくても評価されない作家や詩人あるいは写真家はまだたくさんこの世の中に埋もれているのでしょう。もちろん、芸術とは関係のない市井の中にもそういう人はいっぱいいるのでしょう。もともと、人が人を評価するということ自体がおかしなことです。

土曜日, 10月 02, 2010

ドガ

 ドガ展(横浜美術館)に行ってまいりました。印象派と言われていますが、初期の作品には古典的な描き方も残っています。この時期の印象派の一つの大きな特徴ともいえます。それよりも、私が驚いたのは、明らかに写真の画角と思われる作品があったことです。『メニル=ユベールの屋敷のビリヤード室』と題する絵です。その絵の説明には書かれていませんでしたが、明らかに広角レンズでとらえた写真を見て描いたとしか思えない作品でした。丁度、ドガが活躍した頃は、写真が世の中に現れた時代です。ドガは、実際に写真を多くのこしており、また、写真を見て絵を描いています。

 もうひとつ驚いたのは、その写真の構図です。写真を撮る常識からは、全く外れた構図を採用している点です。普通、人物を撮る時に、人物が左を向いていたら、左の空間を大きく取ります。右の空間は狭く設定します。こうすることで、見ている人に、人物が見ている何かを想像させることができるのです。それが何であるかということは問題ではありませんが、そこに何かがあるということが分かるので、ある意味で安心して見ることができるのだと思います。ところが、ドガの撮った写真は、これと全く反対の構図なのです。そして、人物の後ろ側は必ずと言っていいほど暗い空間が設定されているのです。だから、人物の左の明るい空間とのコントラストが見事なのです。これには、本当に驚いてしまいます。絵の中にも、同じような構図のものがありましたので、きっとドガのお気に入りの構図だったと思います。

 そして、私が一番すばらしいと思ったのは、あの有名なバレーを描いた『エトワール』です。実物は、全く違った印象でした。いままで良く印刷物で見かける絵でしたが、実物の印象は衝撃的でした。しばし、その前から動けませんでした。言葉では語りつくせないものです。ドガを語るのであれば、この作品ひとつで十分ではないかとさえ思えてしまいます。この絵は、初めて日本に来たそうです。ぜひ、見に行ってください。

月曜日, 9月 13, 2010

ラジオ塔

 灯篭のようなものですが、『ラジオ塔』だそうです。手前の説明文には、『このラジオ塔はラジオの聴取契約者が百万人を超えた記念に日本放送協会が昭和七年に全国の著名な公園や広場に建てる計画が進められ昭和七年度から昭和八年度中に41か所が完成してその中に野毛山公園も選ばれ建塔されたものです』とありました。正式名称:公衆用聴取施設と書いてあります。どうも、昔はここからラジオが聞こえたようです。ラジオ体操もこれを使っていたのでしょうか?

水曜日, 9月 08, 2010

灼熱地獄のオアシス

 35℃の地獄が続いている。横浜美術館の前にある木陰、ベンチには人が結構座っています。



35℃にも関わらず、屋外でひと時を楽しんでいるのです。木陰ゆえ、周りの比べると涼しいのです。ほんのちょっとの木があるだけで、人を引き寄せるなにかがあるのです。その近くでは同じ人類が、コンクリートと鉄の塊の建物を作り続け(下の写真)、エアコンで人工的な環境を作り、そしてその排熱はさらに自然を地獄への追いやっているのです。


もう、いい加減にしませんか?と言いたくなります。

土曜日, 7月 17, 2010

マン・レイ展

 昨日、マン・レイ展をみてまいりました。マン・レイという人、写真家と呼ばれるよりも、画家で評価されたいとずっと思っていたそうです。ですから、展示物も写真よりも、ドローイングなとの方が多いように思いました。写真も、自分の作品を記録するという目的で撮っていたようです。


 最終的には、画家としての評価も得られたようですが、私は写真の方が気に入っています。とくに、芸術家を中心としたいろいろな人のポートレイトはとても印象的です。当時、1920年代で人物を正面から撮らないようなポートレイトを撮る人はあまりいなかったのではないでしょうか。

 画家としてのマン・レイは写真の中に絵画を取り入れたのではないでしょうか。感心したのは、光を本当に上手く使っていることです。被写体の人物の特徴を一番よく引き出しているといってもよいのかもしれません。画家としては、ダダイズムやシュールレアリズムに傾倒していたようですが、ポートレイトはそれとはまったく無縁といってよいほどのものであり、シュールとは対極にあるような写真だと思います。芸術作品というより、ビジネスとして考えていたのかもしれません。

 逆に、絵画の方はあまり印象に残ってないのです。もともとの絵を描く才能は、若いころの素描などをみるとすごいものがあると感じましたが、その後は抽象画が多く、私はあまり引きつけるものを感じることはありませんでした。私は絵を見るときは、最初に色使いを見てしまいますので、多種多様な色を使ったマン・レイの作品に魅力を感じなかったのかも知れません。

 もっと多くの写真を見たかったのですが、そう感じさせること自体がマン・レイの生涯を表現しているようにも思いました。