土曜日, 6月 08, 2013

ビルカニンガム&ニューヨーク

 ニューヨークを中心に活躍するファッション写真家(本人は写真家ではなく、記録をしているだけだと)ビル・カニンガムのドキュメンタリー 「ビル・カニンガム&ニューヨーク」を見てきた。  ビル・カニンガムは、ニューヨークの路上で一般の人のファッションをスチルカメラで撮影し、ニューヨークタイムズにOn the streetというコラムを連載している84才のカメラマンです。清貧を貫き、パリの清掃員の真っ青の制服を着、食べることには全く無頓着、台所もトイレもない狭いアパートに住み、自転車でニューヨークの街を動き回ってファッション写真を撮っている老人です。興味のある方はhttp://www.bcny.jp/をご覧ください。  私はファッションのことは解りません。ビル・カニンガムという人を知ったのもこの映画があったからです。でも、この人の生き方にはとても共感するところがあります。好きなことをやっている、金に執着しない、見てくれにも拘らない、有名人というようなステータスにも関心がなく一切先入観を持たない。言葉にしてしまうととてつもなくつまらなくなってしまうのですが、こういう人だから共感するということではないのです。そういう人なら他にもいっぱい居ます。それよりも、彼の人間的な面とそれを引き出したこの映画そのものに共感するのです。  それは、監督がインタビューした場面で、『答えたくなければ答えなくてもいいです』と断った質問に対するシーンでした。その質問の一つは、毎週通っている教会に関するものでした。(あなたにとって教会とは?というような質問だったとおもいます。) 長い沈黙の後で、涙こそ見せなかったのですが、明らかに動揺していたのです。それまでのあくまでも明るく、嬉々として写真を撮り、皆に愛されている主人公とは対照的でした。  私は、そこに彼の長い人生の中での葛藤を見たのです。それは、捨てた者にしか理解できない葛藤かもしれません。そしてその葛藤に疲れた心を癒す場所、あるいは、葛藤に対する答えを導いてくれる場所として教会があったのではないかと思います。もちろん、そこは監督は敬意を払って教会までは取材の対象とはしてません。その必要もないでしょう。しかし、捨てることによって、初めて自分のやりたいことに徹することができたのですから、その代償は決して小さくなかったはずです。同じ質問の中になぜ結婚しなかったのかという質問もありました。彼にとっては、結婚も捨てる対象であったのだと思います。そこまで犠牲を払ってまで自由に生きることを選択しているのです。  なにもそこまでしなくてもというのが凡人の思いですが、それほどまでにしても、自分の好きなことをやりとおしたいというの姿勢を貫くために敢えて厳しい道を選んでいるのだと思いました。そしてそこを引き出した監督にも敬意を表したいと思います。

0 件のコメント: