火曜日, 11月 23, 2010

カモメとかっぱえびせん

 観光遊覧船というものに乗ってみました。チケット売り場で、カモメのエサ(¥50) とありましたのでの、小魚でも出てくるのかと思ったら、キップ売り場の小さな窓からぬっと差し出されたのが『かっぱえびせん』でした。それも、そこいらで売っているカルビーのえびせんです。

 いよいよ出航となり、船が動き始めるとどこからともなく一羽、また一羽とカモメが集まってくる。で、船員の方がおもむろにかっぱえびせんを3等分ぐらいにして空中に放り投げます。そうすると、もうカモメがわれ先にとそのえびせんに向かって集まってくるわけです。観光船の船尾は、カモメが乱舞してもう大変です。そうやってしばらく慣れさせると、今度はかっぱえびせんを1個惜しげもなく手に持って高く掲げます。そうすると、カモメがそれを手から取りに来るというわけです。その時の写真が下の写真です(正確には、カモメにエサを取られたあと)。

 ところで、船員さんが言うには、カモメのエサは全国共通でかっぱえびせんだそうです。かっぱえびせんの需要がこういうところにあったとは知りませんでした。

 そして、私がこの遊覧船の観光で見たのはカモメだけでした。カモメだけでも商売になるような気がするんですけどね

金曜日, 11月 19, 2010

ピクトグラム

 接骨医の窓に下のような絵が貼り付けてありました。これも一種のピクトグラムなのでしょう。ピクトグラムというと非常口などの表示でよく見かけるものです。言葉よりイメージで直感的に判るようにしたイラストです。

 絵にすると妙にリアルです。骨折なんて、むちゃくちゃ痛そうです。これ見て入ってくる人いるんでしょうか? 居たとしたら、相当肝のすわった骨折患者です。


















月曜日, 10月 11, 2010

ゴッホ展

 ゴッホ展に行って参りました。私の最も好きな画家です。27歳で画家になることを決意。37歳で自らその命を絶ってしまう。生涯売れた絵はたったの一枚。これだけでもドラマチックな生涯であることが十分に伝わってきます。その間ひたすら自分の求める絵を描き続けていたというのですから、余計にその作品に思い入れが入ってしまいます。

 なんと言っても、その色使いの素晴らしさには何度みても感心してしまいます。普通では考えられないような色を使いこなしているのです。普通、同系の色を使うというのが絵を落ち着かせるには効果的なのですが、ゴッホの作品には補色(例えば青と黄色)を使ったものが結構あります。補色どころか、原色を全て配置したような絵もあるのです。それでいて、散漫にならないのですから実に不思議です。また、現実にはあり得ないような色を入れてそれでいてさもその色があったかの如く見せてしまったりするのですから本当に不思議です。

 ゴッホの例を見ても、人の評価というのは如何にあてにならないかということが良くわかります。ゴッホのような芸術家、あるいは芸術家ではなくても評価されない作家や詩人あるいは写真家はまだたくさんこの世の中に埋もれているのでしょう。もちろん、芸術とは関係のない市井の中にもそういう人はいっぱいいるのでしょう。もともと、人が人を評価するということ自体がおかしなことです。

土曜日, 10月 02, 2010

ドガ

 ドガ展(横浜美術館)に行ってまいりました。印象派と言われていますが、初期の作品には古典的な描き方も残っています。この時期の印象派の一つの大きな特徴ともいえます。それよりも、私が驚いたのは、明らかに写真の画角と思われる作品があったことです。『メニル=ユベールの屋敷のビリヤード室』と題する絵です。その絵の説明には書かれていませんでしたが、明らかに広角レンズでとらえた写真を見て描いたとしか思えない作品でした。丁度、ドガが活躍した頃は、写真が世の中に現れた時代です。ドガは、実際に写真を多くのこしており、また、写真を見て絵を描いています。

 もうひとつ驚いたのは、その写真の構図です。写真を撮る常識からは、全く外れた構図を採用している点です。普通、人物を撮る時に、人物が左を向いていたら、左の空間を大きく取ります。右の空間は狭く設定します。こうすることで、見ている人に、人物が見ている何かを想像させることができるのです。それが何であるかということは問題ではありませんが、そこに何かがあるということが分かるので、ある意味で安心して見ることができるのだと思います。ところが、ドガの撮った写真は、これと全く反対の構図なのです。そして、人物の後ろ側は必ずと言っていいほど暗い空間が設定されているのです。だから、人物の左の明るい空間とのコントラストが見事なのです。これには、本当に驚いてしまいます。絵の中にも、同じような構図のものがありましたので、きっとドガのお気に入りの構図だったと思います。

 そして、私が一番すばらしいと思ったのは、あの有名なバレーを描いた『エトワール』です。実物は、全く違った印象でした。いままで良く印刷物で見かける絵でしたが、実物の印象は衝撃的でした。しばし、その前から動けませんでした。言葉では語りつくせないものです。ドガを語るのであれば、この作品ひとつで十分ではないかとさえ思えてしまいます。この絵は、初めて日本に来たそうです。ぜひ、見に行ってください。

月曜日, 9月 13, 2010

ラジオ塔

 灯篭のようなものですが、『ラジオ塔』だそうです。手前の説明文には、『このラジオ塔はラジオの聴取契約者が百万人を超えた記念に日本放送協会が昭和七年に全国の著名な公園や広場に建てる計画が進められ昭和七年度から昭和八年度中に41か所が完成してその中に野毛山公園も選ばれ建塔されたものです』とありました。正式名称:公衆用聴取施設と書いてあります。どうも、昔はここからラジオが聞こえたようです。ラジオ体操もこれを使っていたのでしょうか?

水曜日, 9月 08, 2010

灼熱地獄のオアシス

 35℃の地獄が続いている。横浜美術館の前にある木陰、ベンチには人が結構座っています。



35℃にも関わらず、屋外でひと時を楽しんでいるのです。木陰ゆえ、周りの比べると涼しいのです。ほんのちょっとの木があるだけで、人を引き寄せるなにかがあるのです。その近くでは同じ人類が、コンクリートと鉄の塊の建物を作り続け(下の写真)、エアコンで人工的な環境を作り、そしてその排熱はさらに自然を地獄への追いやっているのです。


もう、いい加減にしませんか?と言いたくなります。

土曜日, 7月 17, 2010

マン・レイ展

 昨日、マン・レイ展をみてまいりました。マン・レイという人、写真家と呼ばれるよりも、画家で評価されたいとずっと思っていたそうです。ですから、展示物も写真よりも、ドローイングなとの方が多いように思いました。写真も、自分の作品を記録するという目的で撮っていたようです。


 最終的には、画家としての評価も得られたようですが、私は写真の方が気に入っています。とくに、芸術家を中心としたいろいろな人のポートレイトはとても印象的です。当時、1920年代で人物を正面から撮らないようなポートレイトを撮る人はあまりいなかったのではないでしょうか。

 画家としてのマン・レイは写真の中に絵画を取り入れたのではないでしょうか。感心したのは、光を本当に上手く使っていることです。被写体の人物の特徴を一番よく引き出しているといってもよいのかもしれません。画家としては、ダダイズムやシュールレアリズムに傾倒していたようですが、ポートレイトはそれとはまったく無縁といってよいほどのものであり、シュールとは対極にあるような写真だと思います。芸術作品というより、ビジネスとして考えていたのかもしれません。

 逆に、絵画の方はあまり印象に残ってないのです。もともとの絵を描く才能は、若いころの素描などをみるとすごいものがあると感じましたが、その後は抽象画が多く、私はあまり引きつけるものを感じることはありませんでした。私は絵を見るときは、最初に色使いを見てしまいますので、多種多様な色を使ったマン・レイの作品に魅力を感じなかったのかも知れません。

 もっと多くの写真を見たかったのですが、そう感じさせること自体がマン・レイの生涯を表現しているようにも思いました。

日曜日, 6月 27, 2010

デジタル一眼

 一眼というと一眼レフとほとんど自動的に口に出てしまいますが、レフのない一眼が注目されています。レフ、つまり反射がない一眼です。一眼レフは、レンズから入ってきた像をファインダーに導くための反射光学系が入ってますが、これが無いタイプです。


 メリットは、その分小さくできること、ミラーをバタバタ動かさなくてもよいので、電子化が一層進み、コストも抑えられること、ミラーを入れるという制約がなくなり、レンズの設計に自由度が増えその分よりよいレンズが作れることなどです。一方、光学ファインダーがないので、液晶画面をみて写すということになり、コンパクトカメラのような持ち方、写し方になるわけで、手ぶれを起こしやすいということにもなります。電子的なファインダーを付ければ、従来の一眼レフと同じように扱えますが、電子的なファインダーと光学的なファインダーでは厳密な意味では完全に同じであるとは言えないと思います。撮影者としては、生の像を見て、その雰囲気をいかにデジタル画像に残すかということに拘りたいのですが、電子ビューファインダーではすでに加工されてしまった像を見ることになり、印象が変わってしまうような気がします。レンズに関しては、従来の一眼レフレンズとの互換性がなくなるという点もメーカによってはデメリットであり、逆にメリットになるメーカもあると思います。

 そういった違いを頭に描いて先日S社のものを見てきました。ターゲットは、どのあたりなのかがちょっと私にはわかりませんでしたが、コンパクトさだけは飛びぬけていました。中型のデジカメ(高性能コンパクト)、一眼レフが融合したようなものです。レンズ交換のできる中型のデジカメでしょうか。

 しかし、私には何か違和感がありました。というのも、この新しい方式は考えようによってはカメラにとって非常に大きな変革であり、これを生かすのか殺すのかという考え方次第では、現状の一眼レフの市場にも大きな影響を与えるものになる方式だと思っているのですが、いままで出てきた製品にはそこまで踏み込んだインパクトというものが感じられないからです。単にコンパクトであるということしか伝わってこないのです。確かにコンパクトさは大きな魅力です。しかし、高性能コンパクトと同じでは魅力を一手に引き受けるほどの特徴にはなりません。過去、APSという規格で小型化を狙ったカメラが出たことがありましたが、フィルムではメジャーにはなりませんでした。

 私には一眼レフを凌ぐようなものを期待していました。とくに、一眼レフで後塵を拝しているメーカが出すのであれば、この方式は市場を席巻するまたとないチャンスであったはずです。レンズの互換性というものを考えなくてもよい方式だからです。もちろん、アダプタを付けて従来のレンズと互換性を保った形でのデジタル一眼を作ることも可能でしょうが、それではコンパクトさは犠牲になってしまいます。

 動画に対する考えかたもなにやら手探りのような感じがします。動画を重視していることは分りますが、動画主体でないのは明らかです。しかし、その動画を前面に押し出しているのも気になります。動画は、今回の方式とは直接関係のない機能です。このあたりにメーカの戸惑いというかいやらしさが出てしまっているような感じがします。

 もうひとつ気になるのは、レンジファインダー方式のデジカメとの関係でしょう。レンジファインダーデジカメはあまり世の中に普及しておりませんが、レンズ交換ができ、しかも、ライカレンズを搭載することができるため、光学性能は優れており、趣味性の強いカメラになっている。できれば、この領域に迫って欲しいと思っているのですが、それを低価格で実現してくれることを強く願っているのです。

 流れとしては、35ミリフルサイズの高性能一眼と動画重視というより動画主体のコンパクトさ重視、ビデオカメラとの融合のようなカメラという2つの方向に行くような気がしていますが、どうなるか楽しみです。

 現状では大手一眼レフメーカがまだ参入してませんので、この方式がどういう方向に進むのかがわかりませんが、もう少し待って様子を見たいと思います。

土曜日, 6月 05, 2010

オルセー美術館展

 昨日、オルセー美術館展に行ってまいりました。本などで見たことのある絵画の本物を見ることができ、やはり実物のもつ迫力を感じます。色合いなども印刷とはすこし違った感じがします。


 印象派以降の絵画でしたが、印象派がそれ以前の写実的な絵画に対し如何にドラスティックな変化をもたらしたかがわかりますし、その画風はいまだに続いているともいえます。私はルノワールからゴッホくらいまでの絵が気に入っています。それ以降は抽象画の世界が入ってきていますので、私にはなかなか理解できない絵が多くなってしまいます。そういえば写真の世界もだんだん抽象的なものが増えてきているようです。

 絵を見るというのは、写真を見ることと共通したものがあります。なぜかわかりませんが、見た時に瞬間的に引き込まれるものがあるのです。

 基本は、色使いと構図なのでしょう。だから、写真と絵画を区別することは私にとっては意味無いことです。そして、画家たちが本当に構図(三角構図が多いように感じました)や色合い、筆のタッチにこだわって絵をかいていたというのがよくわかります。だから、絵画を見るというのは、写真の勉強にもなります。ひとつ大きな違いは、写真はあくまでも写実の世界です。絵画はそういう意味ではもっと自由な表現が可能です。一つの絵のなかに、それぞれの物体が違った角度で描かれていたりします。そういう手法が後のピカソに代表されるキュビズムに結びついたとも言えるのでしょうか。

 写真もデジタルの時代になりましたので、自由な表現を手にいれつつあるともいえます。

木曜日, 5月 27, 2010

どうして印刷するのか

 写真はプリント(印刷)するものだと思っている人は結構多い。これはとっても不思議なことです。昔は、写真はプリントで見るしかなかったから、プリントするのが当たり前であったわけで、その習慣がついているといわれればそれまで。でも、今は、パソコンで見られるので、プリントする必要は本当はない。


  昔、インターネットというかLANが普及し、仕事にメールというツールが入ってきた時、やたらと届いたメールを印刷する人がいた。インターネットになったら、紙の文書は減って、みんな電子文書になってしまうので、紙の消費は減ると言われていたが、蓋をあけてみたら紙の消費は却って増えてしまった。それは、上に書いたように、紙で保存していたからだった。電子という媒体を信用してなかったのか、保存するなら紙と思っていたのかもしれない。

 写真にも同じようなことがあるのだろう。しかし、トータルとして、プリントする写真の枚数は増えてはいない。むしろ減ってきている。デジカメになって、写す枚数は圧倒的に増えた。従って、従来のように写したものはすべてプリントするということになると、やたらと経費がかかる。そこで、選んでプリントするようになったということかもしれない。徐々にプリントするという習慣が抜けつつあるのだろう。

土曜日, 5月 22, 2010

ベレニス・アボット

 横浜美術館のコレクションの中のベレニス・アボットの写真を見てまいりました。1930年代に撮ったニューヨークの写真でしたが、思わず息を呑む美しさです。実に細かいところまでシャープで、精緻な写真です。アングル、構図も素晴らしいのですが、私が驚いたのはやはりその精緻な美しさです。多分、いまのデジカメでは表現できないのではないかと思います。おそらく8×10の大判フィルムを使っていると思いますが、プリントは、ゼラチン・シルバー・プリントと書いてありましたので、普通のプリントということになります。それにしても、1930年代に、あれだけの解像度のレンズと、あれだけ美しい現像焼き付け技術を持っていたというのはさすがです。 やはり、写真はピントと解像だと改めて感じた次第です。


 7月にはアボットの師でもあるマン・レイの写真展が新国立美術館で開かれる予定ですので、いまから楽しみです。

水曜日, 4月 07, 2010

デジカメの海外生産

 今日の新聞に、デジカメの生産が台湾などのEMSにどんどんシフトしているという記事がありました。日本で同じような役割を担っていたのが三洋電機でした。しかしデジカメメーカである松下に吸収されたことにより、三洋電機はEMS的なビジネスができなくなってしまったわけです。これが、台湾などのEMSへの製造流出につながっているようです。

 つまり、国内のカメラメーカは企画、設計、販売ビジネスか、あるいは商社のようなビジネスになりつつあるということになります。利益率の高いデジタル一眼に生産を絞るという狙いもあるようです。

 世間で一般に言われている製造の空洞化ですが、恐らく、設計も同様に空洞化する可能性は高くなっていると思います。典型的な例が台湾パソコンのACERです。ここは、設計も含めてEMSに出しているそうです。ACER本体としては、企画営業に集中しているわけです。しかし、これは台湾の中での話ですから、それほど深刻ではありません。

 カメラの海外EMSへの生産シフトは、製造付加価値を捨てるということですから、残った付加価値は開発付加価値と営業付加価値のみになります。日本は、資源を輸入して勤勉な労働力で品質の高い商品を作って発展してきた国ですから、国の利益を生む構造そのものが変化しつつあるということになります。企画、開発、営業のみで生きていくという選択肢もあるとは思いますが、それほど創造力の豊かな人が多くなっているとは思えません。むしろ他国に比べて比率は低下してきているのが実態ではないでしょうか。

 結果的には、自国の利益の流出ですから、国内の購買意欲は低下してしまいます。自らの首を自らの手で絞めているというのが実態なのではないでしょうか。その結果として、開発付加価値も低下していくのは目に見えています。営業付加価値のみになったら、もはや産業とは呼べなくなります。先に見えているものは、海外ブランドのカメラばかりという世界なのでしょうか。

月曜日, 3月 22, 2010

クリストとジャンヌ=クロード展

 先日、クリストとジャンヌ=クロード展を見てまいりました。とてつもないことを考える芸術家です。巨大な建造物を布で覆ってしまったり、万里の長城のような長い布のフェンスを作ったり・・・と、想像を絶する芸術を見せてくれます。オブジェ(かれらはプロジェクトと呼んでいます)を作っている最中はある意味では建造物の建設現場の雰囲気であり、とても芸術を行っているという雰囲気ではありません。

 しかも驚いたことに、それらのための費用は自分たちが書いたスケッチなどを売って貯めたもので賄い、一切の公共からの援助などを仰いでないそうです。

 プロジェクトは30年位かけたものもざらで、いまだに進行中のものもあるようです。ジャンヌは既に他界してしまったため、クリスト一人で継続しているとのことです。

 私は、これを見たとき、芸術の本質を見たような気がしました。巨大なビルを布ですっぽり覆ってしまう、万里の長城のような長い布のフェンスを作ること、これらは現実の世界では全く意味のないことです。しかも、完成して2週間後には跡形もなく片づけてしまうのですから、せいぜい写真とかスケッチでしか残らないものです。つまり、残すことは目的ではないのです。彼らにとっては、それを行うこと・表現することに意味があったのだと思うのです。

 人間のこころの中に生ずる衝動が行動させているとしか言いようがありません。そのことが芸術の本質なのだと思えるのです。

月曜日, 3月 15, 2010

CP+

 CP+というカメラと写真映像のショーがあり、行って参りました。以前はカメラショー、最近はPIEという名前で展示会を行っていたのですが、PIEが分裂消滅して、代わりにCP+という展示会になったそうです。場所も今までは東京ビッグサイトでしたが、CP+は横浜パシフィコです。

 展示会の規模としては、PIEより一回り小さくなった感じです。何故かはわかりません。不景気のせいでしょうか? カメラは日本のお家芸で、現状でもまだ世界的には主流の位置を占めているのですが、それでも少し元気がないように見えたのは気のせいでしょか?

 とういよりも、カメラとして新たな機能を入れる余地がなくなってきたということかもしれません。以前もここで書きましたが、FULL HDの動画撮影ができるカメラが出現して、それが話題になっていますが、静止画のカメラという点では、これといった話題がないのです。

 ひとつあるとすれば、コンパクトであっても画質にこだわりのあるカメラが出てきていることです。コンパクトでレンズ交換ができるカメラが出てきていて、一眼レフとコンパクトの中間のようなもので、しかもコンパクトのメリットを活かしたものということでしょう。一眼のミラーレスと似たようなポジションかもしれません。ただ、これも大きな流れになるとは思えません。

 全体を見ていて感じたのは、カメラという枠に縛られているという印象です。図らずもCP+という名称になってしまったことが、そのことを端的に表しているように感じました。なによりも、創造力が欠如しているとしか感じられないのは残念なことです。私が期待しているようなものが出てくるのは当分先かもしれません。

木曜日, 3月 04, 2010

ミラーレス一眼

 先日のニュースでソニーもミラーレスの一眼に参入するという。ミラーレスはすでに国内シェアーの20%に達しているという。ミラーレスの最大のメリットはケメラの小型軽量化である。将来的に一眼はミラーレスに置き換わるのであろうか。私個人としては、ミラーレスに期待している。何しろ、小型軽量はどんな時にも助かる。その分、少しでもレンズの性能向上、センサーの性能向上に回してほしい。なにしろ、大きなミラーをバタバタ動かしているというのは、時代錯誤も甚だしい。ある意味では苦し紛れの機構であったはずだ。そんなカメラが半世紀近くも高級カメラの主流を占めていたというのもおかしな話である。

 この流れというのは時代の潮流なのだろう。主流は間違いなっくミラーレスに向かっていくと思っている。もちろん、一部の顧客のために一眼レフは残るとは思う。しかし、超高級レベルのカメラの話である。

 今は、単に一眼レフからミラーを外したに過ぎない。しかし、ミラーレスには全く新しいカメラのコンセプトが展開できる可能性を秘めている。そこに向かって突き進むのは、どこのメーカだろうか。期待で胸が膨らむ。

金曜日, 2月 12, 2010

増上寺のお地蔵さん

 先日、東京港区芝増上寺に行ってまいりました。境内にお地蔵さんが沢山並んでいたのですが、そのお顔がなんとも癒されるお顔で、それをご紹介することにしました。何十体も並んでいたのですが、基本的に同じものでした。セメントで型に入れて作っただと思うのですが、年月が経って、顔の造作が風化したせいか、表情に丸みがでてきているのです。多く並んでいたものの中に最近作られてものもあったのですが、型が違うということもあるのでしょうが、新しいものは、それほど癒されるような表情ではありませんでした。水子供養のお地蔵さんだそうです。
毛糸の帽子や頭巾をかぶせてもらって、風車がそばにお供えしてあり、供養された方の優しさが伝わってくるようです。それにしてもいい表情です。

日曜日, 2月 07, 2010

デジカメとデジタルビデオの融合

 最近発表されたコンパクトデジカメで、フルHDの動画がとれ、ズーム倍率も10倍くらいのものが出てきました。デジタルビデオカメラと遜色ない仕様になってきています。一方のデジタルビデオカメラでも静止画撮影モードは当たり前になってきています。将来的には、外観の違いだけ、持ち方の違いになってしまうのではないかとさえ思います。両方を手掛けているメーカは事業の一体化に進むのは間違いないでしょう。

 もともと、コンパクトカメラを使う人は、静止画とか動画というこだわりは無いようです。どちらも使っているようですし、うまく使い分けていると言った方がよいのかもしれません。私は、従来静止画しか撮っていなかったのですが、動画を撮りたいと思うこともしばしばです。そんな時に一台のカメラで両方の機能(もちろんある程度の性能で)があれば、と思っていました。ですから、この流れは非常にありがたいのです。

 一眼に同じような機能が必要かどうかというのは微妙です。ちょっと使い方が違うのかなという気がします。それに重いものをずっとホールドするというのもちょっとつらいです。ついでの機能としてあるのは構わないのですが、それよりも操作性・性能をよくする方に力を入れてもらいたいと思います。