水曜日, 10月 23, 2013

EVF勝負の時代が来るか

 前回も書きましたが、一眼レフと競合するミラーレスが出てきました。それではこの先を予測すると何か起きるのでしょうか。私は最終的にはミラーレスに置き換わると思っていますが、一つだけ条件があります。それはEVFです。電子ビューファインダーです。これが現状よりももっと進化することではないでしょうか。もっと進化というのは、EVFのメリットを生かすということです。今までにもEVFと光学ファインダーを両方備えた機種がありました。これは、別の見方をすると、EVFが物足りないということです。

 一番気になるのは、リアルなイメージとの差です。ザラつき感やギラつき感でしょうか。もっとしっとりとした画像になって欲しいと思います。それと、応答や諧調も気になります。明るい部分によって暗い部分がつぶれてしまうとか、その逆のようなことが起きます。写す写真と同じようなレベルではEVFミラーレスは一眼レフに近づけません。もっと人間の目を研究する必要があると思います。

 更に注目しているのは、EVFにすることによりファインダーからの情報をカメラが取得できる可能性が広がることです。人間の瞳孔の動きを観察するには光学ファインダーよりも制限が少なくなります。人間の瞳孔の動きをみて焦点合わせの位置を選択したり、露出を部分的に変えたりすることが出来るはずです。

 光学ファインダーを取り外して、それに代わるものがEVFというのが従来の考えですが、EVFという新しい表現手段と、新しい入力パーツが得られたという発想があれば、可能性はもっと広がると思います。光学ファインダーに近づけるというより、EVFだからこそ実現できるような機能を入れることによって本当のミラーレスが完成するのではないでしょうか。

ホーム

木曜日, 10月 17, 2013

ソニーα7R、α7 Aマウントは消滅?

 ソニーがフルサイズのミラーレスを発表しました。α7Rは3640万画素で、ミラーレスとしてEVF(電子ビューファインダー)を搭載しましたので、完全に一眼レフの領域に踏み入れたことになります。今までは、一眼レフを共食いしないようなスタイルがミラーレスへのスタンス(一眼レフを持ってないメーカは最初から一眼レフを喰おうという姿勢)でしたが、ソニーはAマウントとぶつかる領域に足を踏み入れたわけです。というより、Aマントが無くなるのは時間の問題です。おそらす、α7のスタイルでこれから低価格モデルを出し来ると予想されます。

 もともとソニーのAマントは一眼レフとは言えないものでしたし、シェアー的にも苦しい状況でしたから、一眼レフと競合する製品を出すことに殆ど戸惑いは無かったと思います。ミラーレスが出てきた時に、いずれこういう方向に行くとは思っていましたが、思ったよりも時間がかかったというのが私の印象です。

 ミラーレスはコンパクトの形から入ったのですが、私はコンパクトのようにファインダーレスで一眼を使う気にはなれませんでした。どうしてもブレが大きいし、狙った被写体からどうしてもズレてしまうからです。それに年を取ると液晶パネルは見ずらいし、明るいとことではさらに見づらくなりどうしよもないのです。そこにスマホのカメラ機能がコンパクトに重なってきたので、やはりカメラとしては御本尊(一眼レフ)の領域をなんとかしなければ立ち行かなくなるという危機感はあったのだと思います。

 一眼レフの2大メーカも追従せえざるを得なくなるでしょう。本格的一眼ミラーレスの戦いの火ぶたが切って落とされたとも言えます。

水曜日, 9月 11, 2013

OM-D E-M1とオリンパス一眼レフ撤退

 オリンパスがOM-D E-M1発表と同時に、一眼レフからの撤退を発表した。ミラーレスに資源を集中する。これで一眼レフは実質キャノン、ニコン、ソニー、ペンタックスの4社だけになったと言っていいが、おそらくソニーもその方向だろう。そもそもソニーの一眼レフは一眼レフとは言い難い。ファインダーは電子ビューファインダーになっており、『レフ』になっているのは、AFの為だけになっている。どちらかというと、ミラーレスに近いと言っても良い。つまり、本流一眼レフはキャノン、ニコン、ペンタックスということになる。オリンパスは一眼レフの新製品を発表したのは3年前であり、実質撤退していたに等しい状態であった。

 ところで、一眼レフの今後を占う上で見逃せないのが、像面位相差AFの存在。キャノンがEOS-70Dで一眼レフに初めて像面位相差AFを搭載した。交換レンズの制限はあるようだが、像面位相差AFの場合、一眼レフのミラーは機能しない。邪魔になってしまう。敢えて一眼レフのミラーを邪魔者扱いさせる像面位相差を入れたというのは、そのメリットがそれだけ大きいということだろう。しかも、中級モデルに搭載したことが大きい。この考えは、フラグシップ機以外にも敷衍すると思われる。つまり、今後の主流と見てよい。つまり、一眼レフのミラーレス化の流れが出てくる(ミラーが無くなるかどうかは別として)。

 以上のような観点から、オリンパスが一眼レフから撤退したというのは、非常に象徴的な出来事でもある。

月曜日, 9月 09, 2013

アンドレアス・グルスキー

 アンドレアス・グルスキー展を見てきた。圧倒的な迫力に押されっぱなしという印象で、見終わった後の何とも言えない疲労感をある意味心地よく感じた。ドイツの写真家でとにかくこの写真家は、細かい描写に拘っている。被写体の大半は、同じパターンの繰り返しのようなものが多い。そして、通常では考えられないような写り方をしている。通常では考えられないというのは、通常のレンズでは表現できない写真という意味である。全ての写真というわけではないが、多くは画面合成を使っているようだ。1点から撮っているものもあれば、カメラを並行シフトしながら複数の画像を合成しているものもある。それゆえ、圧倒的な精細度と同時に、不自然な絵でもある。それが最初に述べた疲労感ということに繋がる。

 面白いのは、訪れた人の多くの人(特に写真に関心がありそうな人)が、私も含めて『これどうやって撮っているのか?』ということをしきりに気にしながら見ている。寄ってみて、遠目にみて、また寄ってみて・・という行動に現れている。マクロな部分よりもミクロな部分に引かれてしまう。もうひとつ面白かったのは、殆どの人が会場で配られている出展リストに頻繁に目を落とす。通常の展覧会で出展リストを一所懸命見ながら展示を見るというのは未だかって見たことがない。むしろ殆ど見ないことの方が多い。今回の出展リストにはまばらに説明文が入っている。その説明文に出会えると安心できるのだ。説明のない場合は、作品番号から出展リストを探し、説明が無いと判ると少し落胆する。その繰り返しである。

 もともと私は、フォーカスが全面で合った写真が好きである。しかも精細度が高い程よい。クリアーな透明感のある写真に引きつけられるから、こういう写真はたまらない。ボケ味も時には良いが、好きという程ではない。何しろフォーカスがきっちり合っているのが良い。そして、美しさがあるのが大切だ。グルスキーの写真には造形美があり、そこを巧みに表現している。社会性などはどうでもよい。

 グルスキーの写真(アートと言った方が正確かもしれない)を見て改めて感じるのは、写真というものは人間の目と違った見え方をした時に引きつけられるということだ。多分、違った見え方の中にその被写体が持っている本質のようなものが強く表現されているからではないだろうか。

金曜日, 8月 30, 2013

レンズカメラ

 ソニーが近々『レンズカメラ』と言われている製品を発表するようだ。レンズとセンサーが一体になっており、それ自体には液晶がついていない。スマホに付けて使用すると、スマホの画面がファインダーになるという代物らしい。アイデアとしては面白いが、売れるかというと疑問だ。画質にこだわるのであれば、高級コンパクトや一眼を持つだろう。レンズを持ち歩いて必要になったらスマホに付けて撮るというのは私なら面倒に感じる。それになによりスマホのカメラの一番の不満は、起動の遅さだ。いちいちソフトを起動し、画面でズームなどを設定するのも、決してやりやすくない。シャッターだってタッチすると画面が揺れてしまって被写体からずれてしまうこともある。そんなことをしている間にシャッターチャンスを逃がしてしまう。だからスマホのカメラは時間があって、カメラを持っていなくて、画質はそれほどこだわらなくてよいという時にしか使わない。  とにかく、レンズカメラは私にとっては中途半端だ。だいたい、ファインダーの代わりに液晶画面を使うというのが好きではない(大半のコンデジも同じだが・・・)。特に私のように年を取った者には、近くの液晶画面を見るというのがつらい。遠くに離すと小さくて見えない。遠近両用のメガネを使っているが、正面では見えない。視界の下の方しか使えないから、顎を上げて液晶画面を見る(年寄りはだいたいこの恰好をして写真を撮る)。このスタイルはやたら疲れる。ファインダーならそういうことはない。ホールドもしっかりするので、ブレにくい。つまり、ちゃんとした写真を撮りたい時は、ファインダーを使いたい。そしていつでもすぐに写真が撮れることが大切なのだ。普段写真を撮りにどこかに行くときは、常時シャッターボタンの上に指を置いているのだから、液晶画面を擦っている暇はない。まあ、そういう時は一眼を持って歩いているが。  スマホに奪われたコンデジの市場を少しでも取り戻そうというのであれば、スマホとの違いをもっと出すことが重要とは思わないのだろうか?

土曜日, 6月 08, 2013

ビルカニンガム&ニューヨーク

 ニューヨークを中心に活躍するファッション写真家(本人は写真家ではなく、記録をしているだけだと)ビル・カニンガムのドキュメンタリー 「ビル・カニンガム&ニューヨーク」を見てきた。  ビル・カニンガムは、ニューヨークの路上で一般の人のファッションをスチルカメラで撮影し、ニューヨークタイムズにOn the streetというコラムを連載している84才のカメラマンです。清貧を貫き、パリの清掃員の真っ青の制服を着、食べることには全く無頓着、台所もトイレもない狭いアパートに住み、自転車でニューヨークの街を動き回ってファッション写真を撮っている老人です。興味のある方はhttp://www.bcny.jp/をご覧ください。  私はファッションのことは解りません。ビル・カニンガムという人を知ったのもこの映画があったからです。でも、この人の生き方にはとても共感するところがあります。好きなことをやっている、金に執着しない、見てくれにも拘らない、有名人というようなステータスにも関心がなく一切先入観を持たない。言葉にしてしまうととてつもなくつまらなくなってしまうのですが、こういう人だから共感するということではないのです。そういう人なら他にもいっぱい居ます。それよりも、彼の人間的な面とそれを引き出したこの映画そのものに共感するのです。  それは、監督がインタビューした場面で、『答えたくなければ答えなくてもいいです』と断った質問に対するシーンでした。その質問の一つは、毎週通っている教会に関するものでした。(あなたにとって教会とは?というような質問だったとおもいます。) 長い沈黙の後で、涙こそ見せなかったのですが、明らかに動揺していたのです。それまでのあくまでも明るく、嬉々として写真を撮り、皆に愛されている主人公とは対照的でした。  私は、そこに彼の長い人生の中での葛藤を見たのです。それは、捨てた者にしか理解できない葛藤かもしれません。そしてその葛藤に疲れた心を癒す場所、あるいは、葛藤に対する答えを導いてくれる場所として教会があったのではないかと思います。もちろん、そこは監督は敬意を払って教会までは取材の対象とはしてません。その必要もないでしょう。しかし、捨てることによって、初めて自分のやりたいことに徹することができたのですから、その代償は決して小さくなかったはずです。同じ質問の中になぜ結婚しなかったのかという質問もありました。彼にとっては、結婚も捨てる対象であったのだと思います。そこまで犠牲を払ってまで自由に生きることを選択しているのです。  なにもそこまでしなくてもというのが凡人の思いですが、それほどまでにしても、自分の好きなことをやりとおしたいというの姿勢を貫くために敢えて厳しい道を選んでいるのだと思いました。そしてそこを引き出した監督にも敬意を表したいと思います。

金曜日, 3月 01, 2013

GoPro

GoProというカメラが評判になっています。スカイダイビングやサーフィン、あるいは自動車レースなどに使われているようです。カメラの仕様はよくわからない(わからないといところが一番従来のカメラと違っている)がとにかく超広角で、前から操作するようになっているようです。自分のヘルメットなどにつけて、例えばスカイダイブ中の画像をネット経由で投稿するというような使い方だそうです。 

 こういうカメラというのは、一体どういう発想から出てくるのか不思議です。社長がサーファーだそうですから、自分の趣味が昂じた結果なのでしょう。でも、普通はそういうカメラを探すということはしますが、作って売ってしまうという発想には結びつきません。

 普通に考えると、この種の製品は単発かそれに近い形で終わってしまうと思ってしまいます。売れるとなるとすぐにいろいろなところが参入してきますから。それでも作ってしまうというところがすばらしいのです。

 また、決しておもちゃのような代物でありません。画像が非常に綺麗なのです。被写体はスポーツマンが身につけてますから、もうそれだけで迫力満点です。いわゆるカメラマンでは撮れない映像です。脱帽というしか他に言葉が見つかりません。

ホーム

日曜日, 2月 03, 2013

ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 写真展

 横浜美術館で開かれているロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家という写真展を見てきました。改めて、ロバート・キャパという人のすごさを感じました。単に、危険な場所に行って命を張って写真を撮るということではなく、必ずそこには人が居て、その人の気持ちや、置かれている状況を、一枚の写真の中に一瞬にして切り取ってしまうというすごさです。しかもその人を如何にも人間的なやさしい眼差しで捉えているのです。

 とにかく、人を撮ることに徹しています。写真展の写真の中に人が写ってないものは多分なかったのではないかと思います。そして、上でも述べたようにその人と一緒にその人が置かれている状況を表すものを必ずと言っていいほど一緒にフレームの中にある時は大仰に、ある時はさりげなく入れ込んでしまいます。それは、写真を撮る技術やテクニックということではないと思います。そういうものはあまり感じられません。数少ないポートレートの中にはそれらしきものもありますが、大半は、そういう小賢しいものとは無縁であることを感じさせます。そして、なによりも見る人を写真がひとりでに語り出しているような錯覚に陥れてしまいます。

 カメラやレンズにしても、当時は今とは比べようもない程制約のあった時代ですから、その中で、これだけの密度の濃い作品をたくさん残せたというのは、本当にすごいとしか言いようがないのです。

ホーム

日曜日, 1月 27, 2013

フィルムでしか表現できないもの

 昨日の日経新聞に、映画のフィルムが無くなり、一部の監督さんから大切な表現手段がなくなってしまったということが書かれていました。写真も同じようなこと言えます。未だにフィルムに拘って写真を撮り続けている人もいます。

 しかし、新聞に書いてあったのは、デジタルではどうやっても表現できないということではなかった。むしろデジタルでは後でなんとでも加工ができてしまうので、撮影の緊張感が無くなるとか、選択肢が多くなりすぎるとか、デジタルをコントロールできるノウハウがない、などという消極的見方が主体でした。フィルムの方が優れているという理由ではない。中には、デジタルには中身がないなどという意見もあり、ここまでくると何をかいわんやである。その他にも、『フィルムは粒状性があり、光の影を描くことができる、見る人の想像力をかきたてる・・・』もはや宗教の世界である。写真に限れば、特殊な芸術写真は粒状感を強調することもあるが、一般的には粒状感は邪魔者扱いになっている。ネガのプリントなどは、わざわざ粒状感を出ないように処理している。ネガそのものを見るとはるかに解像度があってキレが良いが、プリントにするとそれをボカしてしまってきたのが今までのフィルムに対するスタンスなのです。

 確かにフィルムは光の深さ方向(諧調)がデジタルよりも深いかもしれません。それが関係するような被写体もあるには違いない。しかし、デジタルも以前に較べればはるかに明るさのレンジは広がってきています。デジタルが黎明期であったころのプリントは、ノッペリした写真が多かった。明らかに諧調が不足していたので、それを無理やり補正していたのでしょう。しかし、最近はそういう写真は見なくなりました。

 私は何もデジタル信奉者ではありません。しかし、フィルムに拘る人々の上のような理屈にはついていけません。フィルムの信奉者から、もう少しまっとうな意見を聞きたいものです。このままではフィルムが無くなるのは間違いの無いことでしょう。フィルムカメラがただの置きものになってしまう時は、時々刻々と近づいてきているのです。フィルムだからこんなこととが出来る、だから高くてもフィルムが有り続けて欲しいという考えが通るような説得力のある意見が聞きたいものです。

ホーム

水曜日, 1月 09, 2013

サムソンの3D・2DカメラNX300

 サムソンがCES2013で2D/3D兼用のミラーレスNX300を発表しました。サムソンのカメラは日本では殆ど売られていませんから、国内では注目されないのですが、やる気は伝わってきます。個人的には3Dはあまり関心はないのですが、注目すべきは交換レンズで切り替えが可能ということ。方式は発表されておりませんから解りませんが、従来の3Dカメラは2つのレンズを搭載するというのが基本でしたので、なかなかチャレンジャブルな製品です。

 むしろ、こういう製品が日本のカメラメーカから発表されないのがおかしなことです。製品でなくても良いのですが、せめて試作品で発表する位の気概が欲しいものです。それともデジカメは既に成熟商品になってしまったというのでしょうか。

 サムソンは半導体や液晶に次いでスマホとタブレットを事業の柱にしてきました。しかし、それだけでいつまでも利益が出せるとは思ってないはずです。その次の稼ぎ頭とまでは言わなくても、確実に利益の出せる製品を追い求めているはずですから、これからの展開に興味があります。少なくともカメラ向けの光学という障壁は乗り越えつつあるのではないでしょうか。そこさえクリアーできれば、残った領域はむしろ日本のカメラメーカよりも得意であり、また部品の供給にも非常に有利な立場にいるということは明らかです。ミラーレスはサムソンにとっては格好のターゲット製品になっているということでしょう。

 2月にはCP+が開催されますので、斬新なカメラが出てくることを楽しみにしております。

ホーム