月曜日, 9月 09, 2013

アンドレアス・グルスキー

 アンドレアス・グルスキー展を見てきた。圧倒的な迫力に押されっぱなしという印象で、見終わった後の何とも言えない疲労感をある意味心地よく感じた。ドイツの写真家でとにかくこの写真家は、細かい描写に拘っている。被写体の大半は、同じパターンの繰り返しのようなものが多い。そして、通常では考えられないような写り方をしている。通常では考えられないというのは、通常のレンズでは表現できない写真という意味である。全ての写真というわけではないが、多くは画面合成を使っているようだ。1点から撮っているものもあれば、カメラを並行シフトしながら複数の画像を合成しているものもある。それゆえ、圧倒的な精細度と同時に、不自然な絵でもある。それが最初に述べた疲労感ということに繋がる。

 面白いのは、訪れた人の多くの人(特に写真に関心がありそうな人)が、私も含めて『これどうやって撮っているのか?』ということをしきりに気にしながら見ている。寄ってみて、遠目にみて、また寄ってみて・・という行動に現れている。マクロな部分よりもミクロな部分に引かれてしまう。もうひとつ面白かったのは、殆どの人が会場で配られている出展リストに頻繁に目を落とす。通常の展覧会で出展リストを一所懸命見ながら展示を見るというのは未だかって見たことがない。むしろ殆ど見ないことの方が多い。今回の出展リストにはまばらに説明文が入っている。その説明文に出会えると安心できるのだ。説明のない場合は、作品番号から出展リストを探し、説明が無いと判ると少し落胆する。その繰り返しである。

 もともと私は、フォーカスが全面で合った写真が好きである。しかも精細度が高い程よい。クリアーな透明感のある写真に引きつけられるから、こういう写真はたまらない。ボケ味も時には良いが、好きという程ではない。何しろフォーカスがきっちり合っているのが良い。そして、美しさがあるのが大切だ。グルスキーの写真には造形美があり、そこを巧みに表現している。社会性などはどうでもよい。

 グルスキーの写真(アートと言った方が正確かもしれない)を見て改めて感じるのは、写真というものは人間の目と違った見え方をした時に引きつけられるということだ。多分、違った見え方の中にその被写体が持っている本質のようなものが強く表現されているからではないだろうか。

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