日曜日, 1月 27, 2013

フィルムでしか表現できないもの

 昨日の日経新聞に、映画のフィルムが無くなり、一部の監督さんから大切な表現手段がなくなってしまったということが書かれていました。写真も同じようなこと言えます。未だにフィルムに拘って写真を撮り続けている人もいます。

 しかし、新聞に書いてあったのは、デジタルではどうやっても表現できないということではなかった。むしろデジタルでは後でなんとでも加工ができてしまうので、撮影の緊張感が無くなるとか、選択肢が多くなりすぎるとか、デジタルをコントロールできるノウハウがない、などという消極的見方が主体でした。フィルムの方が優れているという理由ではない。中には、デジタルには中身がないなどという意見もあり、ここまでくると何をかいわんやである。その他にも、『フィルムは粒状性があり、光の影を描くことができる、見る人の想像力をかきたてる・・・』もはや宗教の世界である。写真に限れば、特殊な芸術写真は粒状感を強調することもあるが、一般的には粒状感は邪魔者扱いになっている。ネガのプリントなどは、わざわざ粒状感を出ないように処理している。ネガそのものを見るとはるかに解像度があってキレが良いが、プリントにするとそれをボカしてしまってきたのが今までのフィルムに対するスタンスなのです。

 確かにフィルムは光の深さ方向(諧調)がデジタルよりも深いかもしれません。それが関係するような被写体もあるには違いない。しかし、デジタルも以前に較べればはるかに明るさのレンジは広がってきています。デジタルが黎明期であったころのプリントは、ノッペリした写真が多かった。明らかに諧調が不足していたので、それを無理やり補正していたのでしょう。しかし、最近はそういう写真は見なくなりました。

 私は何もデジタル信奉者ではありません。しかし、フィルムに拘る人々の上のような理屈にはついていけません。フィルムの信奉者から、もう少しまっとうな意見を聞きたいものです。このままではフィルムが無くなるのは間違いの無いことでしょう。フィルムカメラがただの置きものになってしまう時は、時々刻々と近づいてきているのです。フィルムだからこんなこととが出来る、だから高くてもフィルムが有り続けて欲しいという考えが通るような説得力のある意見が聞きたいものです。

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