土曜日, 12月 06, 2014

北鎌倉 長寿寺

 北鎌倉の長寿寺の紅葉が最高に綺麗な状態でした。鎌倉は、全体的に紅葉が少し遅いのですが、場所によてはこの時期でも綺麗なところがあります。
 このお寺は、非常に手入れが行き届いていて、その分雑然としたなかの美しさのようなものは全くないので、好き嫌いはあるかもしれませんが、こういうお庭も良いものです。特に私が気に入ったのは、苔です。スギゴケだけが庭一面をおおてっており、フカフカのソファーのような柔らかい雰囲気を醸し出しています。
 最近は、コケの庭もたくましいゼニゴケに覆われてしまうところ多く見られます。スギゴケだけでこれだけ覆うのは、大変な手間がかかっていると思います。本当は、庭を見ながら抹茶でも頂きたいのですが、参拝客が多くてちょっと難しいでしょう。北鎌倉へ来られたら、ぜひお立ち寄りください。
フォトセピア

土曜日, 10月 25, 2014

アポカリプス

 昔の白黒写真(動画)を着色する試みが行われている。最初に行われたのが、フランスのテレビ番組、アポカリプスであったそうだ。最近では、HNKで昔の東京の画像を着色して放送していた。色を付けることにより、対象物が明確になったり、奥行きが出てきたりする。写真の色の復元をやってきて、同じようなことを良く実感する。私がやっているのは着色ではないが、色あせた写真も白黒写真同様に、ポイントがはっきりしなくなり、被写体の奥行きもなくなってしまう。なにより、色あせたカラー写真はカラー写真というよりも白黒写真を見ているのとさほど違いがない。
 何れにしても、白黒をカラーにするというのは、画像の迫力が違い、つい見入ってしまう。反面、本来持っていない色を付けるというのは、原理的には無理なことであるため、調査や類推で着色をせざるを得ない。いくら技術が発達しても100%色情報の無い画像の色を復元することはできない。従って、言い方は悪いが、ウソが入ってしまう危険性も高い。ウソによって人の心が大きく動かされるとしたら、それはそれで問題である。
 やはり白黒の写真は、白黒で見るのが筋ではないのだろうか。せめて、既知の事実に基づいて判っている色だけ着色し、判らない部分は白黒のままにするというのが見識のように思う。

月曜日, 10月 06, 2014

多摩美プロダクトデザイン展示会

 東京都渋谷区の代官山T-SITE ガーデンギャラリーで多摩美のプロダクトデザイン専攻によるデザイン展が行われていた。通りがかりに偶然立ち寄ったのだが、いくつか面白いものがあった。その中でも、下の写真にあるカメラが気に入った。というのも、おなじようなコンセプトのカメラをこのブログで書いたことがあったからである。今回の展示は、虫などの接写ができるよう、表示部が折れ曲がるようになっていたので、私がブログに書いたものより進化している。
 キャノンが協力していいるようでキャノンのロゴが入っていたのは愛嬌だが、こういうコンセプトのカメラが出てきてもよさそうに思う。ソニーのレンズカメラもあるがまだ主流にはなりえない。何れにしても、旧来のカメラというスタイルからなかなか抜け出せない今のカメラは、余りにも滑稽にしか見えない。というのも、今までのカメラはあの形に必然性があったのであり、特にフルム時代のカメラは必要性からあのような形にしかなりえなかったと言ってもよかったのだが、今のデジカメが旧来のカメラの形をそのまま維持しようとしているのは、単なるノスタルジーの世界に浸っているだけとしか思えないからである。いや、形を変えることに恐怖心すらあるのかもしれない。それで、チマチマと些細なことに拘った型にしてしまっている。ミラーレスなのに軍艦をつけたりするというところまでくると、もう笑うしかないと言ってもよい。

 スティーブ・ジョブズは、『デザインとはいかに見せるかではなく、いかに機能させるかである』と言った。iPhoneもiPadも機能させることに徹底してこだわったからイノベーションが起きた。こういう風に操作したい、こういう機能を入れたいという要求を徹底的につきつめ、それを実現させるようにしたために、今のスマホが出来た。恰好から入ったら今のスマホは生まれなかっただろう。
 カメラは未だに如何に見せるかだけに拘っていて、もっと悪いことに復古調にすることで客を引き付けようとすらしている。この延長には、イノベーションはあり得ない。今のカメラ業界の元気の無さをまさに象徴していると言っていいだろう。

月曜日, 6月 23, 2014

マーク・ラスキーノ氏の意見

 週刊ダイヤモンドのオンラインに面白い記事があった。『新しいカメラの購入で明らかになったデジタルビジネスの抱える問題点』と題するガートナーブログネットワークのマーク・ラスキーノ氏の意見だ。要は、カメラメーカはカメラを作るところまでしかやらず、そこから後のビジネスチャンスを捨ててしまっているということを言っている。これが、デジタルビジネスに変わった時に、カメラメーカが気づくべきであったが、カメラメーカは、アナログからデジタルに変えることだけに執着し、未だにそこから変わっていないと言いたいのだろう。
 カメラメーカも、カメラを販売する上で、写真保存サービスや、写真加工ソフトの販売も行っていると反論すだろう。しかし、それは、あくまでもカメラを販売するという目的の領域から一歩も出てない。実際に、カメラメーカでオンラインのビジネスで成功しているメーカは私が知る限りでは存在しない。逆にGoProのようにオンラインの環境を上手く利用して、新たなカメラビジネスを構築したケースはある。
 氏の発言の本質は、アナログ写真からデジタル写真に変わった時に、写真の役割が根本的に変わったと言うことだろう。アナログ写真は記録であった。しかし、デジタル写真は、情報になった。つまり、情報は生かしてこそ情報であり、情報の入り口を牛耳っていたカメラメーカは、その後の情報を生かすビジネスをみすみす捨てている。代わってサードパーティーがそこに付け込んでビジネスを展開している。しかも、氏が例に出している保存共有やオンラインでの写真加工という比較的に写真に近い領域だけにはとどまらない領域がまだ大きく口をあけて待っている。
 今のカメラ業界の活気の無さは、まさにそこにあるのだろう。カメラ業界という言葉自体が、既に時代の流れについていけていないことを象徴している。

火曜日, 4月 01, 2014

カメラの通信機能

 前回、カメラに最新の通信機能をということを書きました。  カメラに通信機能というのは、単にスマホ対抗という意味だけではないのです。カメラそのものの変質が要求されているということです。通信機能というものは、あらゆるものに入ってくると考えます。現状はwifiという方法がありますが、これは決して使いやすいものではありません。野良wifiが無い外では使えないし、個々の家にwifiルータが必要になり、場合によっては一台では済まされないでしょう。結構不安定なものでもあります。個々の機器に通信機能があれば所詮不要な存在なのです。これはカメラだけに限った話ではないと思いますが、取りあえずカメラに限定します。
 カメラが直接にネットに繋がることで、クラウド化が可能になります。クラウド化というのは、単にカメラで撮った画像をクラウド上のサーバーに蓄えるということだけではありません。カメラの画像の加工も含めてクラウド化が可能になるのです。つまり、カメラ本体には複雑な機能がいらなくなるのです。

 カメラというのは情報入力機器です。従って、情報処理機能とどう結びつくかが大きなカギになるはずです。その情報処理をカメラの中に閉じ込めておくのはもはや時代遅れです。クラウド化した前提で、情報処理はどうすばよいのでしょう。情報処理は、カメラメーカが用意してもよいし、サードパーティーが提供することも考えられます。その分、カメラのコストは下げられます。しかも、機能のバージョンアップはクラウド上で実現できるはずです。カメラは単純な入(出)力であれば良いのです。但しカメラに情報処理機能を入れることを妨げるつもりはありません。

 カメラのビジネスモデルも変わってくると思います。今のカメラは売った段階で完結します。せいぜい、その後に交換レンズを買ってくれる程度です。しかし、クラウドカメラは、データの処理と蓄積をビジネスにできます。カメラは入力端末で良いのです。(図らずもフィルム時代まさにそういう存在でした。)従って、価格を抑え、データ処理で利益を出すというビジネスが可能になるのです。データは、カメラ自体、PC、携帯、パッド端末、テレビなどあらゆるもので瞬時に閲覧できるようになります。

 WIFIがあれば十分だと言う人がいるかもしれません。しかし、書斎に置いてあるプリンターならそれでもよいでしょうが、カメラは外に持ち出すものです。だからWIFIでは不十分なのです。撮ったデータが瞬時にカメラ以外に蓄えられるようにして欲しいし、どこでも瞬時に見られるようになっていて欲しいのです。つまり、リアルタイム性が欲しいのです。昔のカメラは、フィルムを現像して、プリントするまではどう映っているのか判りませんでした。だから、ポラロイドカメラが出てきたのです。デジカメでポラロイドはこの世からほぼ無くなりました。デジカメのリアルタイム性に負けたのです。スマホはデータ領域でコンデジより一歩先んずることができました。だからコンデジは死んだのです。一眼に欠けているのは、やはり共有性まで含めたリアルタイム性です。リアルタイム性を備えた一眼で出てくれば、一部の趣味人に限定されたカメラに留まることなく生き残ると思います。

 では、スマホのカメラとなにが違うのでしょうか?そのあたりは次回にします。
写真デジタル化復元

木曜日, 3月 06, 2014

カメラに第四世代通信機能を

 カメラの出荷が半減するというカメラ業界にとっては、明るいニュースが乏しい中で追い打ちを掛けるように、スマホのカメラ喰いが激しさを増しています。光学的な手振れ防止、光学ズームととどまるところを知らない状況です。
 カメラで撮った画像を、すぐ送れたり、SNSに貼り付けられるというのだから、この流れはそう簡単に変わらないと思います。不思議なことに、カメラに通信機能が付かないのが理解できません。wifiというレベルではなく、携帯と同じようなことが出来ないと携帯には太刀打ちができないのですが、なかなかそうはならないようです。コンデジは、以前からなんども書いているように、携帯にとって代わりつつあり、残すは一眼の世界です。テザリングを使えば良いというようなものではなく、ダイレクトに通信ができるようにすることが必要だと思います。2008年にそういうことを書いたのですが、趨勢は6年まえの予想通りになっています。誰が考えても同じ結論になると思うのですが、実に不思議なことです。
 技術的には、携帯電話とカメラの両方を持っているのは、日本ではソニーしか残ってない(海外ではサムスンも両方持ってはいます)と思うのですが、有利なはずのソニーがそういう方向に行かないのも不思議です。カメラ業界は、市場の縮小と同時に委縮してしまったのでしょうか。
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水曜日, 2月 05, 2014

一眼の潮目が変わったのか?出荷台数が海外で大幅落ち込み

 カメラの売れ行きに変調らしきものが起こっている。コンデジが売れなくなったのはもう当たり前のようになっていて、その傾向はますます強くなっている。来年には、コンデジの出荷台数と一眼の出荷台数が逆転するだろう。ところが、ここへきて一眼の出荷台数が落ちてきている。国内は増えているが、全体では減っている。つまり、海外は2012年に較べ2013年は19%落ちている。これは一体何を意味するのだろう。
 コンデジがスマホに食われているのは解る。しかし、その場合、高級機は却って売れると考えるのが自然。少しグレードの高いコンデジユーザがスマホと画質の違いが明確に出るカメラを指向すると思われるからだ。しかし、現実は逆になっている。スマホで十分と思い始めたのだろうか。ちょっとそれは考えにくい。もっと本質的な問題があるように思える。
 私は、カメラが余りにもカメラに固執してしまっているのが原因ではないかと考えている。カメラの枠から一歩も外に出ていないのだ。生活必需品なら別だが、嗜好品の場合は結構機能面や使い方なの点で変化をしている。変化することで生き延びてきたとも言える。例えパソコンが良い例だ。当初はインターネットとメール位にしか使ってなかった人が多かった。それがアプリの拡充で、いろいろな用途に拡がった。その一部はタブレットのように少し形を変えてきている。スマホだって、元はパソコンのようなものだ。テレビなんかは変化が少ないが、それでもインターネットを見ることだってできるし、制限はあるものの情報を放送局に送るなんてこともできるようになってきた。オンディマンドで映画館の代わりにもなるようになった。
 ところが、カメラはどうであろうか? 相変わらずカメラだけだ。せいぜい動画を撮れるようになった位だろう。だから攻めている製品にどんどん浸食されている。携帯は、カメラに進出し、テレビ会議も出来、ボイスレコーダにもなり、本(電子ブック)にもなる。リモコン代わりにもなる。歩数計にもなる。地図にも使える。私だって、スマホを電話として使うことは極めて少ない。大半を他の用途に使っている。
 カメラは相変わらずカ・メ・ラだ。図体が大きい割には、融通の利かない単機能の機械を持ち歩くのはもうたくさんだと思われたって仕方が無い。勿論カメラ愛好家にはそれで良いだろう。しかし、カメラ愛好家だけをターゲットにするのであれば、先は見えている。
 私は、カメラ屋が聞いたら頭に来るような使い方を結構している。異常な使い方だから使いづらいが仕方が無いと諦めている。しかし、そういう異常な使い方をカメラメーカは多分全く考えていないだろう。せいぜいクラシックなカメラの雰囲気を出して、液晶メニューに飽き飽きしたコテコテのカメラヘビーユーザが喜んでくれるような製品を開発することしか考えていない。いわゆる守りのカメラだ。一部熱狂的なカメラ愛好家には好まれる。だから日本では好調だ。しかし、海外の落ち込みは日本の考えが通用しないことを示しているのではないか?
 もちろんコテコテのカメラは有っても良い。写真家や報道カメラマンだったら、大半は今のままで満足するだろう。それでも、私が写真家だったらやっぱり不満だ。もう少しカメラの枠を外して考えた方が良いと思う。カメラ=写真の時代なのではないか。カメラが攻めの姿勢に入らないのであれば、一部の写真家と写真愛好家だけの製品になってしまうのは時間の問題だろう。10年後には、ニコンやキャノンも今のハッセルブラッドやライカのような存在になっているのかも知れないなんていうのは、見たくもない悪夢である。なにしろ一眼は日本製品が唯一と言って良いほど圧倒的なシェアーを誇っている工業製品なのだから。

土曜日, 1月 25, 2014

望ましいEVF(電子ビューファインダー)

 前回に引き続き、EVF(電子ビューファインダー)のことを書きます。現在のEVFは撮像素子で撮った画像をそのまま表示しているだけです。光学ファインダーは、ミラーやレンズを使ってはいるものの、基本は人間の目です。一番大きな違いは、明るさの範囲をどこまで許容しているかということです。例えば、周りが暗くて真ん中だけが明るい被写体を覗いたとします。人間の目には、暗い部分もそこそこ見ることができ(勿論程度にもよります)、しかも明るい部分もちゃんと見えます。一方、カメラの画像はどうでしょうか?明るい部分がちゃんと見えるようにすると、周りの暗い部分は真っ暗になります(つぶれてしまう)。周りの暗い部分が少しでもなにが写っているかを見極めるように設定すると、真ん中の明るい部分が飽和してしまいます(飛んでしまう)。
 最近カメラには部分的に露出を補正する機能があり、明るい背景で人物の写真を撮った時などに顔の部分の露出を増やし、顔が真っ暗にならないような機能があります。しかし、それは撮った写真の結果であって、ビューファインダーで見ている時は機能しません。
 人間の目のような機能をビューファインダー(実際には、カメラのセンサーと画像処理エンジン)に入れないと、人間の目の代わりになるビューファインダーは実現できません。ディスプレイでは、アップルがレチーナディスプレイと称していますが、レチーナは網膜ですから、本来ディスプレイに使うのは正しい表現ではありません。本当のレチーナビューファインダーが出てきてほしいのですが、そのためには、人間の目の構造をもっと知って取り組んでほしいと思います。

水曜日, 1月 08, 2014

現状の電子ビューファインダーEVFの問題点

 前回EVF(電子ビューファインダー)について書きましたが、現状の電子ビューファインダーはまだまだ未熟という感じです。問題点はいくつかあります。

 第一に、精細度が不足しているという点です。光学的なファインダーで見た場合はかなり細かい部分まで見ることができて、フォーカスも十分に確認できます。しかし、EVFは本当に細かいところがなんとなくごまかされてしまっているような感じです。それに、画像にしっとり感が無いのも気になります。解像度のせいかギトギトしているものもあります。

 第二に、応答が悪いことです。液晶画面でのライブビューと同じですから、撮像素子のレートの影響もあると思いますが、カメラを横方向に動かすと応答の遅さが目立ちます。購入される際には、横に動かして確認することをお薦めします。

 第三に色あいが違っていることです。これはカメラで被写体を写した時にも同じことが言えるのですが、撮ってしまったものを後から見て色合いが違うと判断するのは結構難しいことですが、現実に目の前にある景色や被写体が、EVFを通して見ると違って見えるのですから、どうしても気になってしまいます。

 第四に、覗いた瞬間に真っ暗になっていることがあるということです。これは機種にも依るようですが、一瞬一眼でキャップが付いているのかと思ってしまうことがあります。覗いた時にEVFを動作させるという機能のようですが、余りにも応答が悪いのでしょう。

 第五に、これは前回に書いたことと重複しますが、カメラの撮像素子の画像をそのままEVFに流せばよいという発想が間違っていると思います。撮像素子の出力を使うのは当然でしょうが、それをもう少し肉眼で見た画像に近づけるように工夫をしてほしいということです。これについては、また別途書くことにします。

   何れにしても、現在のEVFはどのメーカの製品も相当問題があります。ミラーレスで、EVFなしで液晶パネルのみというのは、私は使う気になりませんが、EVFを搭載するのであれば、もう少しまともなEVFを搭載してほしいと思います。今のEVFは液晶画面をファインダーでのぞけるようにしただけです。

水曜日, 10月 23, 2013

EVF勝負の時代が来るか

 前回も書きましたが、一眼レフと競合するミラーレスが出てきました。それではこの先を予測すると何か起きるのでしょうか。私は最終的にはミラーレスに置き換わると思っていますが、一つだけ条件があります。それはEVFです。電子ビューファインダーです。これが現状よりももっと進化することではないでしょうか。もっと進化というのは、EVFのメリットを生かすということです。今までにもEVFと光学ファインダーを両方備えた機種がありました。これは、別の見方をすると、EVFが物足りないということです。

 一番気になるのは、リアルなイメージとの差です。ザラつき感やギラつき感でしょうか。もっとしっとりとした画像になって欲しいと思います。それと、応答や諧調も気になります。明るい部分によって暗い部分がつぶれてしまうとか、その逆のようなことが起きます。写す写真と同じようなレベルではEVFミラーレスは一眼レフに近づけません。もっと人間の目を研究する必要があると思います。

 更に注目しているのは、EVFにすることによりファインダーからの情報をカメラが取得できる可能性が広がることです。人間の瞳孔の動きを観察するには光学ファインダーよりも制限が少なくなります。人間の瞳孔の動きをみて焦点合わせの位置を選択したり、露出を部分的に変えたりすることが出来るはずです。

 光学ファインダーを取り外して、それに代わるものがEVFというのが従来の考えですが、EVFという新しい表現手段と、新しい入力パーツが得られたという発想があれば、可能性はもっと広がると思います。光学ファインダーに近づけるというより、EVFだからこそ実現できるような機能を入れることによって本当のミラーレスが完成するのではないでしょうか。

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木曜日, 10月 17, 2013

ソニーα7R、α7 Aマウントは消滅?

 ソニーがフルサイズのミラーレスを発表しました。α7Rは3640万画素で、ミラーレスとしてEVF(電子ビューファインダー)を搭載しましたので、完全に一眼レフの領域に踏み入れたことになります。今までは、一眼レフを共食いしないようなスタイルがミラーレスへのスタンス(一眼レフを持ってないメーカは最初から一眼レフを喰おうという姿勢)でしたが、ソニーはAマウントとぶつかる領域に足を踏み入れたわけです。というより、Aマントが無くなるのは時間の問題です。おそらす、α7のスタイルでこれから低価格モデルを出し来ると予想されます。

 もともとソニーのAマントは一眼レフとは言えないものでしたし、シェアー的にも苦しい状況でしたから、一眼レフと競合する製品を出すことに殆ど戸惑いは無かったと思います。ミラーレスが出てきた時に、いずれこういう方向に行くとは思っていましたが、思ったよりも時間がかかったというのが私の印象です。

 ミラーレスはコンパクトの形から入ったのですが、私はコンパクトのようにファインダーレスで一眼を使う気にはなれませんでした。どうしてもブレが大きいし、狙った被写体からどうしてもズレてしまうからです。それに年を取ると液晶パネルは見ずらいし、明るいとことではさらに見づらくなりどうしよもないのです。そこにスマホのカメラ機能がコンパクトに重なってきたので、やはりカメラとしては御本尊(一眼レフ)の領域をなんとかしなければ立ち行かなくなるという危機感はあったのだと思います。

 一眼レフの2大メーカも追従せえざるを得なくなるでしょう。本格的一眼ミラーレスの戦いの火ぶたが切って落とされたとも言えます。

水曜日, 9月 11, 2013

OM-D E-M1とオリンパス一眼レフ撤退

 オリンパスがOM-D E-M1発表と同時に、一眼レフからの撤退を発表した。ミラーレスに資源を集中する。これで一眼レフは実質キャノン、ニコン、ソニー、ペンタックスの4社だけになったと言っていいが、おそらくソニーもその方向だろう。そもそもソニーの一眼レフは一眼レフとは言い難い。ファインダーは電子ビューファインダーになっており、『レフ』になっているのは、AFの為だけになっている。どちらかというと、ミラーレスに近いと言っても良い。つまり、本流一眼レフはキャノン、ニコン、ペンタックスということになる。オリンパスは一眼レフの新製品を発表したのは3年前であり、実質撤退していたに等しい状態であった。

 ところで、一眼レフの今後を占う上で見逃せないのが、像面位相差AFの存在。キャノンがEOS-70Dで一眼レフに初めて像面位相差AFを搭載した。交換レンズの制限はあるようだが、像面位相差AFの場合、一眼レフのミラーは機能しない。邪魔になってしまう。敢えて一眼レフのミラーを邪魔者扱いさせる像面位相差を入れたというのは、そのメリットがそれだけ大きいということだろう。しかも、中級モデルに搭載したことが大きい。この考えは、フラグシップ機以外にも敷衍すると思われる。つまり、今後の主流と見てよい。つまり、一眼レフのミラーレス化の流れが出てくる(ミラーが無くなるかどうかは別として)。

 以上のような観点から、オリンパスが一眼レフから撤退したというのは、非常に象徴的な出来事でもある。

月曜日, 9月 09, 2013

アンドレアス・グルスキー

 アンドレアス・グルスキー展を見てきた。圧倒的な迫力に押されっぱなしという印象で、見終わった後の何とも言えない疲労感をある意味心地よく感じた。ドイツの写真家でとにかくこの写真家は、細かい描写に拘っている。被写体の大半は、同じパターンの繰り返しのようなものが多い。そして、通常では考えられないような写り方をしている。通常では考えられないというのは、通常のレンズでは表現できない写真という意味である。全ての写真というわけではないが、多くは画面合成を使っているようだ。1点から撮っているものもあれば、カメラを並行シフトしながら複数の画像を合成しているものもある。それゆえ、圧倒的な精細度と同時に、不自然な絵でもある。それが最初に述べた疲労感ということに繋がる。

 面白いのは、訪れた人の多くの人(特に写真に関心がありそうな人)が、私も含めて『これどうやって撮っているのか?』ということをしきりに気にしながら見ている。寄ってみて、遠目にみて、また寄ってみて・・という行動に現れている。マクロな部分よりもミクロな部分に引かれてしまう。もうひとつ面白かったのは、殆どの人が会場で配られている出展リストに頻繁に目を落とす。通常の展覧会で出展リストを一所懸命見ながら展示を見るというのは未だかって見たことがない。むしろ殆ど見ないことの方が多い。今回の出展リストにはまばらに説明文が入っている。その説明文に出会えると安心できるのだ。説明のない場合は、作品番号から出展リストを探し、説明が無いと判ると少し落胆する。その繰り返しである。

 もともと私は、フォーカスが全面で合った写真が好きである。しかも精細度が高い程よい。クリアーな透明感のある写真に引きつけられるから、こういう写真はたまらない。ボケ味も時には良いが、好きという程ではない。何しろフォーカスがきっちり合っているのが良い。そして、美しさがあるのが大切だ。グルスキーの写真には造形美があり、そこを巧みに表現している。社会性などはどうでもよい。

 グルスキーの写真(アートと言った方が正確かもしれない)を見て改めて感じるのは、写真というものは人間の目と違った見え方をした時に引きつけられるということだ。多分、違った見え方の中にその被写体が持っている本質のようなものが強く表現されているからではないだろうか。

金曜日, 8月 30, 2013

レンズカメラ

 ソニーが近々『レンズカメラ』と言われている製品を発表するようだ。レンズとセンサーが一体になっており、それ自体には液晶がついていない。スマホに付けて使用すると、スマホの画面がファインダーになるという代物らしい。アイデアとしては面白いが、売れるかというと疑問だ。画質にこだわるのであれば、高級コンパクトや一眼を持つだろう。レンズを持ち歩いて必要になったらスマホに付けて撮るというのは私なら面倒に感じる。それになによりスマホのカメラの一番の不満は、起動の遅さだ。いちいちソフトを起動し、画面でズームなどを設定するのも、決してやりやすくない。シャッターだってタッチすると画面が揺れてしまって被写体からずれてしまうこともある。そんなことをしている間にシャッターチャンスを逃がしてしまう。だからスマホのカメラは時間があって、カメラを持っていなくて、画質はそれほどこだわらなくてよいという時にしか使わない。  とにかく、レンズカメラは私にとっては中途半端だ。だいたい、ファインダーの代わりに液晶画面を使うというのが好きではない(大半のコンデジも同じだが・・・)。特に私のように年を取った者には、近くの液晶画面を見るというのがつらい。遠くに離すと小さくて見えない。遠近両用のメガネを使っているが、正面では見えない。視界の下の方しか使えないから、顎を上げて液晶画面を見る(年寄りはだいたいこの恰好をして写真を撮る)。このスタイルはやたら疲れる。ファインダーならそういうことはない。ホールドもしっかりするので、ブレにくい。つまり、ちゃんとした写真を撮りたい時は、ファインダーを使いたい。そしていつでもすぐに写真が撮れることが大切なのだ。普段写真を撮りにどこかに行くときは、常時シャッターボタンの上に指を置いているのだから、液晶画面を擦っている暇はない。まあ、そういう時は一眼を持って歩いているが。  スマホに奪われたコンデジの市場を少しでも取り戻そうというのであれば、スマホとの違いをもっと出すことが重要とは思わないのだろうか?

土曜日, 6月 08, 2013

ビルカニンガム&ニューヨーク

 ニューヨークを中心に活躍するファッション写真家(本人は写真家ではなく、記録をしているだけだと)ビル・カニンガムのドキュメンタリー 「ビル・カニンガム&ニューヨーク」を見てきた。  ビル・カニンガムは、ニューヨークの路上で一般の人のファッションをスチルカメラで撮影し、ニューヨークタイムズにOn the streetというコラムを連載している84才のカメラマンです。清貧を貫き、パリの清掃員の真っ青の制服を着、食べることには全く無頓着、台所もトイレもない狭いアパートに住み、自転車でニューヨークの街を動き回ってファッション写真を撮っている老人です。興味のある方はhttp://www.bcny.jp/をご覧ください。  私はファッションのことは解りません。ビル・カニンガムという人を知ったのもこの映画があったからです。でも、この人の生き方にはとても共感するところがあります。好きなことをやっている、金に執着しない、見てくれにも拘らない、有名人というようなステータスにも関心がなく一切先入観を持たない。言葉にしてしまうととてつもなくつまらなくなってしまうのですが、こういう人だから共感するということではないのです。そういう人なら他にもいっぱい居ます。それよりも、彼の人間的な面とそれを引き出したこの映画そのものに共感するのです。  それは、監督がインタビューした場面で、『答えたくなければ答えなくてもいいです』と断った質問に対するシーンでした。その質問の一つは、毎週通っている教会に関するものでした。(あなたにとって教会とは?というような質問だったとおもいます。) 長い沈黙の後で、涙こそ見せなかったのですが、明らかに動揺していたのです。それまでのあくまでも明るく、嬉々として写真を撮り、皆に愛されている主人公とは対照的でした。  私は、そこに彼の長い人生の中での葛藤を見たのです。それは、捨てた者にしか理解できない葛藤かもしれません。そしてその葛藤に疲れた心を癒す場所、あるいは、葛藤に対する答えを導いてくれる場所として教会があったのではないかと思います。もちろん、そこは監督は敬意を払って教会までは取材の対象とはしてません。その必要もないでしょう。しかし、捨てることによって、初めて自分のやりたいことに徹することができたのですから、その代償は決して小さくなかったはずです。同じ質問の中になぜ結婚しなかったのかという質問もありました。彼にとっては、結婚も捨てる対象であったのだと思います。そこまで犠牲を払ってまで自由に生きることを選択しているのです。  なにもそこまでしなくてもというのが凡人の思いですが、それほどまでにしても、自分の好きなことをやりとおしたいというの姿勢を貫くために敢えて厳しい道を選んでいるのだと思いました。そしてそこを引き出した監督にも敬意を表したいと思います。

金曜日, 3月 01, 2013

GoPro

GoProというカメラが評判になっています。スカイダイビングやサーフィン、あるいは自動車レースなどに使われているようです。カメラの仕様はよくわからない(わからないといところが一番従来のカメラと違っている)がとにかく超広角で、前から操作するようになっているようです。自分のヘルメットなどにつけて、例えばスカイダイブ中の画像をネット経由で投稿するというような使い方だそうです。 

 こういうカメラというのは、一体どういう発想から出てくるのか不思議です。社長がサーファーだそうですから、自分の趣味が昂じた結果なのでしょう。でも、普通はそういうカメラを探すということはしますが、作って売ってしまうという発想には結びつきません。

 普通に考えると、この種の製品は単発かそれに近い形で終わってしまうと思ってしまいます。売れるとなるとすぐにいろいろなところが参入してきますから。それでも作ってしまうというところがすばらしいのです。

 また、決しておもちゃのような代物でありません。画像が非常に綺麗なのです。被写体はスポーツマンが身につけてますから、もうそれだけで迫力満点です。いわゆるカメラマンでは撮れない映像です。脱帽というしか他に言葉が見つかりません。

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日曜日, 2月 03, 2013

ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 写真展

 横浜美術館で開かれているロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家という写真展を見てきました。改めて、ロバート・キャパという人のすごさを感じました。単に、危険な場所に行って命を張って写真を撮るということではなく、必ずそこには人が居て、その人の気持ちや、置かれている状況を、一枚の写真の中に一瞬にして切り取ってしまうというすごさです。しかもその人を如何にも人間的なやさしい眼差しで捉えているのです。

 とにかく、人を撮ることに徹しています。写真展の写真の中に人が写ってないものは多分なかったのではないかと思います。そして、上でも述べたようにその人と一緒にその人が置かれている状況を表すものを必ずと言っていいほど一緒にフレームの中にある時は大仰に、ある時はさりげなく入れ込んでしまいます。それは、写真を撮る技術やテクニックということではないと思います。そういうものはあまり感じられません。数少ないポートレートの中にはそれらしきものもありますが、大半は、そういう小賢しいものとは無縁であることを感じさせます。そして、なによりも見る人を写真がひとりでに語り出しているような錯覚に陥れてしまいます。

 カメラやレンズにしても、当時は今とは比べようもない程制約のあった時代ですから、その中で、これだけの密度の濃い作品をたくさん残せたというのは、本当にすごいとしか言いようがないのです。

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日曜日, 1月 27, 2013

フィルムでしか表現できないもの

 昨日の日経新聞に、映画のフィルムが無くなり、一部の監督さんから大切な表現手段がなくなってしまったということが書かれていました。写真も同じようなこと言えます。未だにフィルムに拘って写真を撮り続けている人もいます。

 しかし、新聞に書いてあったのは、デジタルではどうやっても表現できないということではなかった。むしろデジタルでは後でなんとでも加工ができてしまうので、撮影の緊張感が無くなるとか、選択肢が多くなりすぎるとか、デジタルをコントロールできるノウハウがない、などという消極的見方が主体でした。フィルムの方が優れているという理由ではない。中には、デジタルには中身がないなどという意見もあり、ここまでくると何をかいわんやである。その他にも、『フィルムは粒状性があり、光の影を描くことができる、見る人の想像力をかきたてる・・・』もはや宗教の世界である。写真に限れば、特殊な芸術写真は粒状感を強調することもあるが、一般的には粒状感は邪魔者扱いになっている。ネガのプリントなどは、わざわざ粒状感を出ないように処理している。ネガそのものを見るとはるかに解像度があってキレが良いが、プリントにするとそれをボカしてしまってきたのが今までのフィルムに対するスタンスなのです。

 確かにフィルムは光の深さ方向(諧調)がデジタルよりも深いかもしれません。それが関係するような被写体もあるには違いない。しかし、デジタルも以前に較べればはるかに明るさのレンジは広がってきています。デジタルが黎明期であったころのプリントは、ノッペリした写真が多かった。明らかに諧調が不足していたので、それを無理やり補正していたのでしょう。しかし、最近はそういう写真は見なくなりました。

 私は何もデジタル信奉者ではありません。しかし、フィルムに拘る人々の上のような理屈にはついていけません。フィルムの信奉者から、もう少しまっとうな意見を聞きたいものです。このままではフィルムが無くなるのは間違いの無いことでしょう。フィルムカメラがただの置きものになってしまう時は、時々刻々と近づいてきているのです。フィルムだからこんなこととが出来る、だから高くてもフィルムが有り続けて欲しいという考えが通るような説得力のある意見が聞きたいものです。

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水曜日, 1月 09, 2013

サムソンの3D・2DカメラNX300

 サムソンがCES2013で2D/3D兼用のミラーレスNX300を発表しました。サムソンのカメラは日本では殆ど売られていませんから、国内では注目されないのですが、やる気は伝わってきます。個人的には3Dはあまり関心はないのですが、注目すべきは交換レンズで切り替えが可能ということ。方式は発表されておりませんから解りませんが、従来の3Dカメラは2つのレンズを搭載するというのが基本でしたので、なかなかチャレンジャブルな製品です。

 むしろ、こういう製品が日本のカメラメーカから発表されないのがおかしなことです。製品でなくても良いのですが、せめて試作品で発表する位の気概が欲しいものです。それともデジカメは既に成熟商品になってしまったというのでしょうか。

 サムソンは半導体や液晶に次いでスマホとタブレットを事業の柱にしてきました。しかし、それだけでいつまでも利益が出せるとは思ってないはずです。その次の稼ぎ頭とまでは言わなくても、確実に利益の出せる製品を追い求めているはずですから、これからの展開に興味があります。少なくともカメラ向けの光学という障壁は乗り越えつつあるのではないでしょうか。そこさえクリアーできれば、残った領域はむしろ日本のカメラメーカよりも得意であり、また部品の供給にも非常に有利な立場にいるということは明らかです。ミラーレスはサムソンにとっては格好のターゲット製品になっているということでしょう。

 2月にはCP+が開催されますので、斬新なカメラが出てくることを楽しみにしております。

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水曜日, 12月 19, 2012

一眼レフの下克上

 デジタル一眼レフの新しい機種と古い機種を比較していて気がついたことがあります。発売するタイミングによって、上位機種より下位機種の方が高い性能になっていることはこれまでにもありました。

 しかし、上位機種と下位機種を比較して、さほど大きな差がないことにも気がついたのです。もともと一眼(レフ)はレンズは別ですから、本体のみの比較になります。本体の最重要部品はセンサーですが、これは下手をすると上述したように逆転現象が発生しています。逆転していなくても、画素数では同程度になってしまっている場合が結構あります。上位機種だから画素数が多いというわけではありません。

 画像処理エンジンも上位機種と同じものを搭載している場合が結構あります。むしろそのことを売りにしているようです。

 そうすると、本体の機能の差だけになってしまうのです。ところが、カメラですから、機能を値段に比例して設定するわけにはまいりません。基本的な機能は下位機種でも必須です。そうすると、付加的な機能でしか差を付けられないということになってしまいます。 例えば、ブラケッティングが出来るか出来ないかというような差です。それらは多くはソフト次第です。速写性能などは、使用している部品の差となっているとは思いますが、それも一般的な使い方ではそれほど使うものではありません。

 確かにこの傾向はアナログの一眼レフでもあったことです。しかし、アナログ時代は、頑健さであるとか、耐寒性能であるとか、ちょっと普通ではない使い方が高級品にはありました。デジタルではもともと電気回路の都合で動作環境はどれも同じです。本体もプラスチックの多用でそれほど差はありません。

 要はハイエンド製品は特殊な使い方、ローエンド製品は一般的な使い方ということのようです。私の場合は特殊な使い方は殆ど無いので、ローエンド製品で十分すぎるのです。その分、レンズに投資したいと思います。

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