金曜日, 12月 04, 2009

写真のデータ化を行い始めた理由その5

 私の持っている写真には、私の父や母が持っていた写真が多く含まれています。
 大量のアルバムと整理されてないバラ写真やフィルム。これらの過去に撮られた写真をどうすればよいのかということが気がかりでした。核家族化がすすみ、写真もどんどん分散しているのです。そして、知らない間に廃棄されてしまっているのです。写真というのは、その家族にとっての貴重な文化遺産だと思っています。場合によっては、家族だけではなく、その国にとっても重要な文化遺産でもあり得ると思います。
 単に、写真が無くなっていくということももちろん気になることではありますが、もうひとつ気になるのは、そこに写っている人の情報も消滅しつつあるということです。現に私の持っている写真のなかの人物で、それが誰なのか、どういう関係でその写真に写っているのか、あるいはなぜその人物の写真が我が家にあるのか。そこには、些細ではあっても我が家の歴史が刻み込まれていたはずです。そういう情報を父や母に聞いておけばよかったと後悔していますが、いま何もしなければもっと情報は消えていくのです。世代が変わる毎に情報が消えていくのです。
 実は、私の母が亡くなって(父はその数年前にすでに他界しておりました)から、兄の所にあった昔の写真を私の所に送ってもらったのです。そして、その写真を少しずつデータ化したのです。データ化することによって、写真はコンピュータの画像として、兄の所にも戻すことができたのです。
 普通であれば、家族の誰かの家にひきとられ、代が変わる毎に散逸し、忘れ去られてしまうと思うのです。
 データにすることによって、引き継がれていくことが可能になったのです。そして、単なる画像の情報に加えて、映っている人物や情景に関する情報も付加していくとこができるようになったのです。私は、我が家にあった写真の情報の復元(画像としての復元ではなく、情報としての復元)を手掛けています。

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