日曜日, 2月 24, 2008

ロベール・ドアノー展

 昨日、東京銀座の杉江画廊http://www.gallerysugie.com/で行われているロベール・ドアノー展を見て参りました。とてもすばらしい作品で、こんなシャッターチャンスをどうやって見つけるのだろうと感心してしまう。ここに載せられないのが残念です。ネットでその一端が紹介されているのでぜひご覧ください。パリを背景にした写真で、パリの恋人たちですから、それだけで十分にお洒落なのですが、なんとも人間味にあふれた作品の前にこんな写真が撮れたら本当に楽しいだろうとうらやましくなってしまう。私は外出するときはなるべくカメラを持って出かける。面白いと思った場面に出会ったらシャッターを押そうと思って出かけるのです。が、大概落胆して帰ってこなければならない。多分1000回シャッターを押しても同じであろうとあきらめている。ドアノーの写真を見ていると、このタイミングしかないという写真もあるが、それ以上に人間に対する愛情というものが実によく出ている。だから私なんかにはとてもまねのできないような写真が撮れるのだと思う。まあ、不遜にも比較すること自体がはなはだ間違ってはいるが。 でもひとこと言わせていただくと、仕事柄一般の方のお写真を沢山見させてもらうが、その中に本当にすばらしい写真がときどき混ざっている。ほとんどがおそらく素人のスナップ写真である。それでも何百枚、何千枚に一枚ははっとするような写真にめぐり合える。これはおそらく偶然の技なのだろう。写真というのは、そういうところが面白い。勿論、プロはそういう写真を沢山とれるのだから、これは本当にすごいことなのだ。絵や彫刻ではそういうことは絶対に起きない。起きたらそれは偶然ではなく、天才である。でも、写真には偶然が起きる。ドアノーの写真もそれに近いものもあるように思うが、偶然を引き寄せる力を持っていると言った方が良い。そのためには数多くの経験と失敗、それにやはり撮る人の人間性が必要なのだろう。 だから私も下手な鉄砲の横好きで、そのうちすばらしい写真が撮れると信じて重いカメラを担いで街を歩き続けることにした。人間性を磨くのはちょっと置いておいて。 話は変わるが、訪問した際に画廊のご主人杉江隆氏がわざわざ今後展示する50作品の収納状態を見せていただけた。立派な木箱ではあるが、意外にぞんざいと言っては失礼だが仰々しくない格好で収納されていた。それでも作品は十分にきれいに保存されている。フィルムは既に寄贈されてしまっていて、今後新たにプリントされることはないそうである。写真の保存というのは結構難しくて、絶対に劣化して行くもの。この先どうやって保存するのだろうと心配になってしまう。多分、デジタル画像で残すことになるのであろうが、消えていくというのも写真の一つの運命なのかもしれない。 こぢんまりとした画廊ですから、作品はせいぜい10点程度。沢山見られると期待してはいけない。

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