金曜日, 6月 19, 2015

honor6 Plus の2眼カメラの性能

 2つのカメラで奥行き情報を取得し、撮影後に焦点位置を自由に変えることができるカメラモジュールを開発している会社をアップルが買収したということを前回のブログで書きました。その直後のファーウェイが2つのカメラを持ったスマホを発売しました( honor6 Plus )。そのカメラを使って実際に写してみた結果の記事がありました。http://labaq.com/archives/51852047.html
 結論から申し上げると、まだまだという状況です。おもちゃと言ったら怒られそうですが、強引に作ったという印象で、一眼には遠く及ばないレベルです。何がダメかというと、あまりにも粗削りの一言です。とにかく作ってみたというレベルです。本質的に2眼では全ての位置の焦点方向の情報を取得することはできないのですが、その欠けている部分を何も対処していないのです。ですから、焦点が前後で大きく変化する部分、たとえば、近くに花、背景が山というシチュエーションで、背景までの距離が花に隠れて測れない部分があるのですが、その部分はうまくぼかすことができないのです。そこは一工夫が必要なはずですが、何も対処されてないようですので、前景と背景のつなぎの部分が不自然です。このあたりが改善されないと、とても使う気になりません。アッップルが買収した会社は3眼とか4眼のカメラも開発していますので、当然そのあたりは対応すると思います。やはりアップルが出すまで待つ必要がありそうです。

水曜日, 5月 13, 2015

アップルがLinXImagingを買収、3次元情報カメラが携帯に?

 1カ月程前のことですが衝撃的なニュース飛び込んできました。アップルがイスラエルのLinxImaging (現在トップページしか表示されないようです)というカメラ技術会社を買収するというのです。この会社は複数のカメラを持つ携帯電話用、携帯パッド用のカメラを開発している会社です。その特徴は、立体的なイメージを合成できることにあります。判りやす表現すれば、人間の眼と同じで2つのカメラを持つことによって奥行き情報を含む画像情報を取得するというものです。
 2つのカメラで立体画像を作るというのは何ら新しいものではありません。立体画像を作るカメラも市販されています。しかし、今回のカメラ(モジュール)は、それを目的としているだけではなく、カメラに奥行き方向の情報をもたらすことによって、格段にその処理範囲を増やすことにあるのです。
 例えば、画像から特定の焦点位置に合わせて大きな開口で撮った時のボケ画像を合成することができるのです。少し前に、ライトフィールドカメラのことを紹介しました。ライトフィールドカメラは一つのカメラで3次元の情報を取得するという画期的なカメラでした。ただ、その欠点は解像度が低いということです。しかし、今回のカメラモジュールは、解像度は一つのカメラの性能で決まります。少し前に書いたように、スマホ用のカメラ、特にiPhone6のカメラは非常に優れた性能を持っています。その画像は一眼カメラに引けを取らない高い画質です。ですから高い画質のカメラを2台組み合わせることによって、高い画質のままで3次元の情報を保存できるのです。
 これは、とんでもないことです。一旦3次元の画像を取得してしまえば、あとはバーチャルな世界でレンズを交換して好きなような画像を合成することができるからです。ボケ味を楽しむのも容易なこととなります。癖のあるボケを作ることも可能でしょう。大きなセンサーでボケ味を楽しむという一眼カメラの最大の特徴を豆粒のような小さなカメラで実現しようというのですからとんでもないのです。アップルは一眼デジカメの牙城すらも突き崩そうとしているのでしょう。
 それにしても、これだけ危機的な状況にあって、既存のカメラメーカは何も手を打ってこないというのは不思議なことです。カメラの通信機能すら大半がWIFIかブルートゥースです。3G、4Gの通信機能を持たせたカメラは、フォトキナで発表されたパナソニックのDMC-CM1くらいでしょうか?一眼カメラのボケ味まで携帯が持つようになったとしたら、残っているのはノイズの優位性程度でしょう。それだって技術の進歩はすさまじいものがあり、携帯カメラで同じ程度のノイズに抑えるこだっていずれ実現できると思います。一眼が、ハッセルブラッドやゼンザブロニカのようにごく一部のマニアのためのカメラになる時代が来たのかもしれません。そう言えば、最近の一眼カメラが、復古調デザインを追求しているのも自らの先行きを予感してのことかもしれません。

木曜日, 4月 16, 2015

ニコン coolpix P900

 ニコンのcoolpix P900が話題になっている。ズーム比率がこの種のカメラで一番大きいというだけではなく、画質が抜群に良いことが評判になっています。 例1 例2
 従来のズーム比の高いカメラは、比率を競って上げていただけで、望遠側では画質が犠牲になっていたものが多かったと思います。ところがP900は望遠側(35mm換算2000mm相当)でも非常に綺麗に撮れているのです。ひと世代前の機種と較べてみるとその差は歴然。 コントラストがとても良い。いままでは、なんとなく、霞がかかっているような、あるいはエッジがボケているネムイ絵になることが多く、またそういうものだと思っていたのです。これだけズーム比率を上げれば仕方が無いと諦めていました。ところが、このカメラでそういう考えが180度変わってしまったのです。
レンズの性能が良くなったのであろうし、ブレ補正が良くなっている点も見逃せないでしょう。画像処理も相当改善したものと思われます。
 一方このカメラはセンサーが1/2.3インチという所謂コンパクトカメラのセンサーです。近頃はは高級コンパクトカメラと呼ばれ、1インチ以上の大きなセンサーを用いたコンパクトカメラが人気を集めています。コンパクトカメラでありながら、解像度が高く、一眼カメラのようにボケ味が楽しめるというメリットがあるのです。しかし、単焦点やズーム比率の小さなものが主体なのです。なぜなら、ズームを大きくすると、レンズがバカでかくなってしまうからです。
 P900の特徴は、センサーの小ささを逆手に取った発想と言って良いでしょう。そして、こんなもんだという画質の壁を越えたところです。ただ、性能を優先したためか、コンパクトカメラとは呼べない大きさです。重さだって900g近くありますから、APSC一眼にそれなりのズームレンズを付けたもの並みになっています。なにしろ35ミリ換算で2000ミリのレンズに相当するのだから、仕方が無いと思います。
 少し前にiPhone6のカメラでその性能に驚いたということをここで書きましたが、P900もそれに劣らない衝撃でした。カメラはセンサーのサイズでも、画素数でもないということが、身にしみて判りました。

土曜日, 3月 28, 2015

久良岐能舞台

 横浜磯子区の久良岐公園の中に能舞台がある。大正6年に日比谷に建てたものが昭和59年にこの地に移設されたもの。中に入れていただいたら、懇切丁寧にいろいろ説明していただけた。能と言えば、横浜では、称名寺の薪能が有名だが、能舞台はその都度臨時で設営している。常設の能舞台が市の管理下にあるのは実は私は知らなかった。ところが、話を聞かせていただいた方の話では、能はめったに上演できないとのこと。理由は費用が膨大で、とても採算が取れないのだそうだ。横浜には別に横浜能楽堂があるので、観客席の少ない久良岐能舞台では確かに厳しいのであろう。時々、イベントも催されているが、能舞台としては殆ど利用されていないというのは残念なこと。能自体が武家の庇護によって伝統が維持されてきたという経緯からすれば、能舞台を活用することも難しい時代なのであろう。時代とともに受け入れられるように変遷する芸能であれば良かったのだが、どちらかというと伝統を維持する方向にしか動かなかったことが能を衰退させる原因になっていたのだろう。舞台の写真は、パンフレットより借用。下の写真は、入口です。
 そろそろ久良岐公園の桜も満開になりそうですから、散歩と花見がてらに能舞台をご覧になるのもいかがでしょうか?庭には水琴窟もあり、良い音色を響かせています。

火曜日, 3月 24, 2015

iPhone6カメラ

 最近、iPhone 6の宣伝で、新聞2連版全面広告が掲載されることがしばしばあります。iPhone 6で撮影となっています。いつも感心してしまうのですが、これだけ拡大して、これだけ撮れているというのは、やはりたいしたものです。ネット上にも、過去のiPhoneカメラの比較なども載っていますが、iPhone6はレベルがかなり高くなっています。ここまでの絵が出せるとなると、確かにコンデジが売れなくなるのもむベなるかなと思います。いや、それどころか、下手な一眼以上の性能かもしれません。私の持っている一眼レフカメラとズームレンズのセットよりも、良く撮れているように思っています。iPhoneは単焦点レンズですから、直接の比較は難しいと思いますが、かなり近い領域にいることは間違いありません。しかも、ワールドギャラリでは多くのユーザ(写真家?)の写真からピックアップしていますので、これまでにない効果をもたらしています。従来のカメラメーカで掲載している写真は、特定の一流のプロの写真ばかりです。ですから、一般ユーザにとっては逆効果で「こんなのは私には撮れない」と思ってしまうのです。しかし、アップルの手法は、「あなたでも撮れるのですよ」と語りかけているのです。圧倒的に綺麗な作品を惜しげもなく大量に提示し、撮り方まで解説しているのですから。この戦略は、実に憎いほど上手な方法です。
 アップルにはスマホにカメラが付いていさえすれば良いという発想ではなく、既存のカメラを追い越そうという気迫を感じます。本当に一眼レフやミラーレスは本腰を入れて対抗策を出さないと、かなりヤバイ状況になっていると思います。

日曜日, 3月 22, 2015

子規庵

 台東区、鴬谷駅の近くに子規がその人生の最後の時を過ごした庵がある。NHKの坂の上の雲でも出てきたシーンがまさにそのまま甦ったような質素な家であった。戦災で焼けてしまったが、その後かなり忠実に再現したものとのことである。庭もさほど広いものでもなく、8畳、6畳、4畳半、3畳と台所という平屋の作り。部屋は明るい日差しに照らされていて、健康の為にはよさそうであった。最後を迎えた部屋には、指物師に特別にあつらえさせた机が置かれてあり、その机は、手前側に15センチ四方程度の切り欠きが作ってあった。足が悪くて立膝で書き物をするためであった。
 この小さな庵から病気と闘いながら、数々の作品を生み出していったという。子規にとってはこの庵が全宇宙であり、この小さな空間からあらゆるものを感じ取って、句や随筆にしていたのだろう。
 わたしの心を打ったのは、一角の展示室に、子規の食事の内容が展示されていた部分。とてつもなく、多くのものを口にいれ、滋養に富んだものを摂っていたのだ。体のためを思って、栄養を取れば直す事が出来ると思っていたのだろうが、なんともいじらしいというか、胸が締め付けられる思いをしてしまった。
 帰り道に、近くにあった三平堂という林屋三平の邸宅があった。その対照があまりにもとてつもなく、却って子規が哀れに思えて仕方が無かった。

金曜日, 3月 20, 2015

JFK―その生涯と遺産

 先日、国立公文書館で開催している「JFK―その生涯と遺産」展を見てきました。第35代大統領ジョン・F・ケネディです。
 ケネディが凶弾に倒れたのは、まだ私が中学生の時でした。初めての衛星放送で送られてきたのがケネディ暗殺のニュースで、丁度私の友人が私の家に来て一緒に学校の宿題か何かをやっていた時のことでした。14インチの白黒のブラウン管に映し出された映像は、一生忘れられない記憶として焼き付いたままです。
 ケネディは、当時の日本の政治家と較べようがないほどに恰好のよい政治家でした。中学生でしたから、政治のことは全く判っていなかったのですが、政治家の恰好の悪さだけは印象に残っていました。
 今回の展示で、一番私の気を引いたのは、ケネディの演説です。今もし彼が生きていて演説をしたら、世界のどのリーダーも太刀打ちできないでしょう。まして、日本の政治家の演説ときたら、もうどうしようもないとしか言いようがありません。50年を過ぎてもその演説の輝きは全く失われていないのです。オバマが演説がうまいと言いますが、それはレトリックとして上手いだけで、中身がないのです。
 ケネディの演説は、民衆を引きつけ、民衆を動かす力があるのです。政治家の演説は一歩間違うとヒットラーのように間違った方向に導いてしまうのですが、そういう導き方ではない力強さがあるのです。彼の演説で一番有名なのは『アメリカ国民諸君。国家が諸君のために何をなしうるかを問うのではなく諸君が国家に何をなしうるかを問い給え。』という演説です。彼は、私がやるとは言ってないのです。民衆に勇気を与え、民衆が自らの力で世界を変えていけるように鼓舞しているのです。
 もうひとつ、着目したのは、彼の演説には、難しい言葉が出てこないのです。いわゆる政治用語がないのです。いま、日本の政治家の演説を聴いてみると、言葉だけでは何を言っているのか判らない単語があふれています。『三位一体の改革』『新三要件』『三本の矢』など、それだけでは何か全くわかりません。それは政治家の世界では通用する言葉ですが、民衆には判らない言葉です。(それにしても、三という数字が好きですね。)民衆に判ってもらうのではなく、民衆を煙に巻く演説が非常に多いことに気が付くと思います。ケネディの演説には、民衆を煙に巻くような言葉は出来てきません。自慢もしません。 ケネディの清新さはそういったところにもあったのかもしれません。