火曜日, 8月 30, 2011

高倍率コンパクト


 コンパクトカメラはいずれスマートフォンに置き換わるだろうということを以前書きましたが、コンパクトの中で唯一高倍率ズームのコンパクトだけは残ると思います。さすがにスマートフォンで何十倍もズームを変えられるものは作られないでしょう。

 高倍率のコンパクトは以前からありますが、最近はズーム比率がどんどん高くなってきています。これは、そういうニーズがあることはもちろんですが、光学技術の進歩によるところが大きいのでしょう。最初のころは倍率さえあればよいという製品も結構あったのですが、最近は性能もきっちり確保した上での高倍率ズームを搭載したカメラが多くなりました。35ミリ換算で1000ミリ近い望遠を実現しているのですから驚きです。友人がコンパクトで撮った月の写真です。

photo by murano

 従来のコンパクトカメラもズーム比率がどんどん高くなってきています。昔は3倍程度のズーム比率のコンパクトが多かったのですが、最近は10倍以上は当たり前です。これは、スマートフォンとの差別化でそうせざるを得ないという面が大きいのではないかと思います。

木曜日, 8月 25, 2011

ソニーのミラーレス


 ソニーがNEX-7を発表しました。2430万画素のボディです。いよいよ一眼は2000万画素時代に突入したということでしょう。と同時に、明るい単焦点レンズが2本発表されております。NEXシリーズは、いままでレンズの選択肢があまりにも少なかったので、どこまで本気かちょっと疑わしい感じがしていたのですが、マクロレンズも含めて新しく4本発表されましたので、ようやく一眼カメラの体をなしてきたという感じがします。レンズ交換の選択肢がなければ一眼のメリットはありませんから。これから9月にかけて各社の発表が続くと思いますが、どういうものが出てくるのか非常に楽しみです。(フォトセピア 間)

金曜日, 8月 19, 2011

デジカメの状況

 ミラーレスがあまり売れてないそうです。コンパクトもスマートフォンに押され、価格が低下する一方で、利益が出なくなっています。以前にもここで書きましたが
カメラは一眼とスマートフォンに分極化するということでしょう。問題は、ミラーレスです。個人的にはカメラはミラーレスにシフトしていくと思っておりますが、現在の動向はそうではありません。これは、ミラーレスの戦略が間違っているためだと思います。このことは、以前にも書きました。
どうも、いままでミラーレスを発売してきたメーカは、ミラーレスを女性、初心者向けと考えているようです。軽くしてコンパクトにすることに主眼を置いているのです。

しかし、一眼を使いたい人は写真に拘りがある人だと言うということを忘れているのではないでしょうか?そして、価格はコンパクト(平均1.7万)よりはるかに高く(平均5万)、一眼レフ(平均7.3万)より少し安い程度です。これではインパクトがありません。(価格は日経新聞2011.8.19より)

 カメラメーカは、一眼しか残らないことを考えないと生き残りは出来ないと思います。
(フォトセピア 間)

日曜日, 8月 14, 2011

トランスファージェット


 近距離無線通信のトレンスファージェットを国際規格化する動きがあるようです。トランスファージェットはソニーが開発した無線通信技術で、スイカのようにそばにかざすだけで画像などが自動的に転送される技術です。

 確かに、デジカメで撮った後の画像の転送は本当に面倒なものです。usbケーブルを用意(これも機種によってさまざまなケーブルがある)、中にはアダプターまで必要なものまである。やっとのことで接続して、そのあとは、どこに格納するかを決めて、フォルダー名を決めて・・・とにかく面倒です。

 これが、パソコンの近くにかざすだけで画像が転送されたら、どんなに便利でしょうか。Wifi(無線LAN)などが組み込まれたカメラがあれば、それで転送することも出来ますのでどちらでもよいのですが、とにかくカメラの無線化だけは標準的に対応してほしいものです。

 因みにトランスファージェットの利点は、近距離しか届かないことだそうで、余計なセキュリティなどが要らないということですが、なんとなくちょっとこじつけのような気も・・・。

http://www.sony.jp/transferjet/





月曜日, 8月 08, 2011

睡蓮

 睡蓮の季節です。紫色や青い睡蓮も涼しそうで好きですが、赤い睡蓮も魅力的です。いつまで見ていても飽きない花です。一年のうち、この季節だけで、栄養が足りないのか一輪咲けばよい方ですから、名残惜しさもあるのでしょうか。

木曜日, 8月 04, 2011

きょう一日

 テレビにニュースで、被災者が「五年、10年の先を見て生きろと言われても、そんな見通しは立てられない。でも、明日だったら目標を立てられる」とつぶやいていたのがとても印象的でした。期を同じくして日経新聞に五木寛之氏が、「きょう一日、きょう一日」で暮らしていけばよいということを言っておられました。

 その二つの言葉には、ビジョンとか展望などという歯の浮くような、そして大半が絵空事に終わってしまうようなことを発言する人に対する醒めた目と、そんなものに振り回されず決然と生きる意志のようなものを感じました。所詮、人間と言えどもこの世に生れた一つの生命にすぎません。全ての生命は、今を生きることが全てなのだとつくづく感じた次第です。