日曜日, 12月 20, 2009

写真のデータ化を行い始めた理由その6

 6番目の理由は、写真に写っている被写体の情報の保存です。わたくしのところにある写真で、古いものは誰が写っているのかわからないものが多く存在します。どこで写したのかもわからない写真も多くあります。生前に私の両親に訊いておけばよかったのですが、後の祭りです。機会があるときに、親類などに訊いてみるのですが、なかなか解決しません。写真に写っている被写体の情報というのも貴重な財産です。昔はよく写真の裏などに手書きで書いていたものですが、そういう情報も写真と一緒に消えていく運命にあるのです。
 そういう写真の情報(誰、何処で、いつ)を保存しておくことによって、いろいろなものがわかってきます。祖先の歴史を紐解く材料になるかもしれません。アルバムに貼って、そのわきに書いておくのも一つの方法ですが、その整理は結構大変なことです。
 コンピュータのデータにすると、これらの情報の保存が簡単にできるわけです。私は、この情報の保存のために、画像のファイル名を有効に活用しています。特に、ウィンドウズの場合、ファイル名は全角で127文字まで使えます(光学メディアに書き込む場合は少なくなります)。127文字というのはちょっとした文章が書けるとうことです。但し、マックの場合は全角では15文字までですし、ウィンドウズと共用する場合は文字化けが発生する可能性があります。
 画像ファイルの形式にexif(イグジフ)という形式があります。これは、標準化された画像情報形式ですがから、デジカメなどで撮影した場合は、大体この形式で保存されます。この情報には撮影日時や、撮影条件など以外にコメントや場合によってはGPS情報なども入れられます。この情報を活用する方法もありますが、書き込みや読み取りがそれほど簡単ではありません。ユーザインターフェースとしてカメラメーカがもう少し使いやすいものを用意してくれればよいのに・・・と思っているのですが、残念ながらあまり熱心に対応していないようです。
 ですから、私はファイル名を活用するようにしております。127文字フルに使う必要はありあませんが、日付、場所、被写体情報などをなるべく短くしてファイル名にしておくことで、画像と画像以外の情報を一緒に保存することができるわけです。ファイル名のつけ方などは
こちら
にも記載しておりますので、参考にしてください。

金曜日, 12月 04, 2009

写真のデータ化を行い始めた理由その5

 私の持っている写真には、私の父や母が持っていた写真が多く含まれています。
 大量のアルバムと整理されてないバラ写真やフィルム。これらの過去に撮られた写真をどうすればよいのかということが気がかりでした。核家族化がすすみ、写真もどんどん分散しているのです。そして、知らない間に廃棄されてしまっているのです。写真というのは、その家族にとっての貴重な文化遺産だと思っています。場合によっては、家族だけではなく、その国にとっても重要な文化遺産でもあり得ると思います。
 単に、写真が無くなっていくということももちろん気になることではありますが、もうひとつ気になるのは、そこに写っている人の情報も消滅しつつあるということです。現に私の持っている写真のなかの人物で、それが誰なのか、どういう関係でその写真に写っているのか、あるいはなぜその人物の写真が我が家にあるのか。そこには、些細ではあっても我が家の歴史が刻み込まれていたはずです。そういう情報を父や母に聞いておけばよかったと後悔していますが、いま何もしなければもっと情報は消えていくのです。世代が変わる毎に情報が消えていくのです。
 実は、私の母が亡くなって(父はその数年前にすでに他界しておりました)から、兄の所にあった昔の写真を私の所に送ってもらったのです。そして、その写真を少しずつデータ化したのです。データ化することによって、写真はコンピュータの画像として、兄の所にも戻すことができたのです。
 普通であれば、家族の誰かの家にひきとられ、代が変わる毎に散逸し、忘れ去られてしまうと思うのです。
 データにすることによって、引き継がれていくことが可能になったのです。そして、単なる画像の情報に加えて、映っている人物や情景に関する情報も付加していくとこができるようになったのです。私は、我が家にあった写真の情報の復元(画像としての復元ではなく、情報としての復元)を手掛けています。

水曜日, 12月 02, 2009

カメラ女子

 今日のNHKニュースで、カメラをいつも持ち歩き、日常を写している女性が増えているというニュースが紹介されていました。日々感じたことを残すためだそうです。自分のブログなどに掲載するのだそうです。なぜ女子なのかというのはよくわかりませんが、アマチュアカメラマンに男性が多かったからでしょうか。ただ、日常を写しているというところが一般のアマチュアカメラマンとは違っているような気もします。

 カメラマンというと、大仰なカメラバックと三脚をかかえ、ポケットだらけのチョッキを着込んで、帽子をかぶったオッサンというイメージが定着しております。長靴履いたらカンペキなツリキチです。獲物を狙っているという意味では共通しているので、同じような格好になるのでしょうか。カメラ女子はもっとスマートな感じがしてセンスがよさそうです。女性で、ツリキチルックはいただけません。

 カメラがものを記録として写すという時代から、散文的な表現手段になってきているのでしょうか。新しい写真の息吹を感じます。

木曜日, 11月 19, 2009

写真のデータ化を行い始めた理由その4

 大量にある写真、それを保存しておくスペースも無視できないものでした。簡単に取り出せる場所においておくにはスペースを取りすぎるのです。かと言って、たとえば物置のような場所にしまい込んでしまったら、写真を見るのも却って大変なことになってしまうわけです。

 そこで、パソコンですべての写真を管理することを始めようと思ったわけです。最初に、自分の持っている写真を実際にパソコンに取り込んでみて、これは結構いけると思ったのです。何しろ、写真を見るのがとても簡単になったからです。パソコンがそういう用途に使えるようになったということも大きな理由です。私が最初に購入したパソコンは、アップルのMacitosh LCでした。1990年だったと思います。ハードディスクはたったの40Mバイトでした。でもその時は、「40メガもある!」と思っていたのです。当然のことながら、40メガバイトでは写真などのデータは保存できません。

 それが、20年後の今は、この数万倍の容量のディスクを持ったパソコンがあふれています。写真の管理をパソコンで行うことが現実に可能になったのです。しかも、高い画質で保存できるようになったのです。

 パソコンに保存し、必要な時に瞬時に見られ、必要な時にプリントする。そして、重くて、かさばって、埃っぽいアルバム写真とようやく決別できる時が来たのです。

月曜日, 11月 09, 2009

写真のデータ化を行い始めた理由その3

 私の持っている写真には、大正時代に写された写真もあります。その写真は、ひどく汚れ、セピア色に色あせ、しかも、ものによっては消えてしまいそうなほどにコントラストがなくなっている写真が多く含まれています。銀塩写真ですから、銀が析出してしまって、白っぽく光っているものも多くあります。

 写真というのは、この世に生まれてせいぜい100年程度です。一般の家庭に普及しだしたのは、それこそ大正時代以降ではないでしょうか。もちろん、当初は、写真屋さんがうつした写真が大半ですから、品質としては結構良いものが多いということはあります。しかし、その保存という意味では大げさな言い方をすれば、写真がこの世に生まれてきて、人々が初めて経験していることなのです。

 一つは、プリントそのものの保存技術。間違いなく劣化していく運命にある写真を今後どう保存するかということです。写真の保存法については、あまりこれと言った方法が確立しているわけではないのです。好ましいと思える方法は提案されておりますが、それとて本当に正しいのかわかりません。何しろ実績がないのですから。それに、提案されている方法は、普通に一般家庭で所有されている写真を保存するための方法ではありません。プロが写した高価な写真の保存方法でしかないのです。それ以上に、写真が現像された時の条件によっても左右されるようです。ついでですが、ネガならちゃんと保存できているとお考えの方が結構多いのですが、私の経験では、よほど意識して保存しておいたものでなければ、プリント以上に悲惨な状況になっています。

 その唯一の解が、データ化(デジタル化)でした。そして、劣化した写真を少しでも復元した上で保存できればと思ったのです。データとして保存することができれば、原本もそれなりによいと思われる方法で保存することができるわけです。これが、私が写真のデータ化を手掛けるようになった3番目の理由です。

日曜日, 11月 08, 2009

お金の話

 お金の話というと、儲かる話と思われるかもしれませんが、残念ながらこれを読まれる方にとっては、一銭の儲けにもならない話です。

 何かと申しますと、やっとのことでフォトセピア、略してPSの料金見積りができるようになったという話です。とりあえず、デジタル化の見積りができるようになりました。スライドショーも近日堂々公開です。
 つまらない話だとお思いでしょうが、ここに至る道のりは、結構長くて、険しい道のりでした。皆さんのお目にかかるということは無いのですが、PSの受注管理はこの1年で大きく変わっているのです。今までは、ほとんど人力に頼った管理の仕方をしていたのです。それがようやくIT化にたどりついたということです。それを実現するのに、PHPという(雑誌ではありません!)言語を使ってプログラムを使って動かしております。その一環として今回料金見積りができるようにしたというわけです。

 ネットのビジネスでは、いわゆる買い物カゴ形式の電子取引ソフトが主流です。それは、定価が決まっていて、何をいくつ買うというような物販用には十分なのですが、PSのように全てが特注のようなケースでは電子商取引に使えるソフトというのはほとんどないのです。
 ですから、皆さんの目にする部分はほんの些細な部分なのですが、隠れた部分で結構な労力をかけてシステムを作ってきたのです。

 とにかく、少しでもわかりやすく、安心して使っていただけるよう、これからもPSのホームページを改善してまいりたいと思っております。

水曜日, 11月 04, 2009

写真のデータ化を行い始めた理由その2

 世の中には写真をデータ化したものを結構よく見かけます。一番多いのは、テレビのニュースです。いろいろな人物の写真がニュースなどで扱われた時、写真から引用することが多いのです。しかし、その写真の品質は、どうしようもないものばかりです。ニュースに使うものですから、そんな品質にこだわる必要もないのはわかっているつもりです。

 しかし、それを仕事にするのであれば、綺麗にデータ化するのは当然です。写真をデータ化するというのは、プリントに代わるものとして残すというのが狙いです。ですから、実物の写真より汚くなるというのは、私にとっては許せないことです。写真のデータ化にはスキャナーが用いられます。しかし、スキャナーというのは、ゴミに敏感に反応するのです。人物写真の回りに夜空の満天の星のよなものがちりばめられている画像をよく見かけます。これでは、大事な写真が台無しです。

 せめて、写真と同じレベルの品質が欲しい。できれば、元の写真よりももっときれいにしたい。そういうことに気を配ってデータ化してくれるところはなかなかありません。それなら、自分でやるしかないと思ったのです。これが、二番目の動機でした。

木曜日, 10月 29, 2009

写真のデータ化を行い始めた理由その1

 写真のデータ化を行い始めて、丸4年です。古い写真をデータとして残しておきたいというのが、きっかけです。自分で、少しやってみて、パソコンの画面で初めて見たとき、単に写真を見たときとは違った印象を持ったのです。いままで、見ているようで、見てなかったものが視界に飛び込んできたのです。
 なぜだかは今でもわかりません。見方が変わっただけです。モニターの画面いっぱいに出てきた写真は、今までと写っているものは同じです。でも、30cm先にある名刺版やL版の写真と、同じく30cm先にある19インチの画面の写真とは、明らかに違うものでした。
 たとえて言えば、雑誌に載っているピカソの絵画を見ているのと、美術館で展示されているピカソの絵画を目前で見ている違いに近いものかもしれません。もちろん美術館ではホンモノを見ているわけですから、そういうことが見るスタンスに影響していることはあるかと思いますが、ホンモノということを抜きにして考えても、違いがあると思うのです。
 違いは、大きさだけなのですが、大きいからこそ、違って見えるということがあると思うのです。画家が大きなカンバスに向かって絵を描くというのも、なんとなくわかるような気がします。
 そういうことが味わえるということを一人でも多くの人に知ってもらいたいと思ったのが、一つの理由でした。

月曜日, 10月 05, 2009

カメラのちょっと変わった使い方

 普通、カメラは写真を撮るものと考えます。でも、それはフィルムカメラ(ポラロイドも含む)時代の考え方ではないでしょうか。
 私は、瞬時に画像を「記録」する機械と捉えています。そういう定義を考えると、いろいろな使い方が出てきます。そして、「記録」という目的を考えてみると、残すため、記憶するため、人に情報を伝えるため、比較するため、コピーするため、データ化するためなどが考えられます。
 これだけいろいろな目的に使えるようになったのは、デジタルカメラの出現です。たとえば、コピーというのはコピーマシンの領域ですが、何も紙にコピーするだけではないわけです。残しておきたい書類などを写真に撮っておく、場合によっては、ソフトさえあればpdfファイルに変換しておくこともできます。今のデジカメは、そういうことが可能な領域に達しています。(pdfファイル変換機能付きのカメラを作れば売れるかもしれません。) もちろん、照明などは結構難しいので、多少のムラは生じますが、読めればよいという用途であれば、十分に使えます。スキャナーで取り込んでパソコンに入れておくというのが、品質良く保存する方法ですが、読めればよいのであれば、カメラで撮っておく方がはるかに短時間で処理できます。 私は、照明と資料台を備えたコピー用の台を自作してしまいました。普段使うカメラをセットするだけで、コピーが簡単にできます。
 一時的に残しておきたい情報の蓄積にも使います。電化製品などが故障した時、分解してみることがあります。このとき、分解したものの、組立ができなくなってしまうという経験をお持ちになった方も居られると思います。分解したときに、その手順をデジカメに撮っておくのです。手順を逆にたどれば、容易に組立ができるというわけです。
 カメラは出かける時とか、記念撮影をする時だけに使うという既成概念を取り払ってみると、いろんな使い方ができるものです。

日曜日, 10月 04, 2009

トイカメラ

 先日、たまたま通りかかったロフトで、トイカメラを見かけました。ずいぶんいろんな種類が出ていたのに驚いたのですが、トイカメラとは言っても、結構なお値段でした。おもしろいのは、二眼レフのトイカメラです。二眼レフといのは、一昔、いや二昔位にはやっていたカメラで、レンズが上下にふたつついているやつです。さすがにトイカメラだけあって、つくりはチャチなのですが、こういうものが売れるというのは、面白いことです。見た目はカラフルですから、レトロ回帰という雰囲気でもないわけで、使うことによる話題性を重視した商品という感じです。写真としては、性能は追及してないわけで、むしろ昔の性能の悪さをあえて強調するようなところがあります。それが、かえって面白い効果となり、一部のプロ写真家でも使っている人がいるそうです。
 二眼レフ以外にも、デジカメのトイカメラもありました。デジカメの基本的な機能はそろっているのですから、トイカメラと呼んでよいのかちょっと疑問でしたが、あえてトイカメラと称して、レンズ性能などを落として昔のカメラのような雰囲気の写真が撮れるようにしているということなのでしょう。わざと画像をゆがめたりする機能も入っているようです。つまり、ちゃんと映らないカメラということになるわけです。そういうニーズに絞った商品というのも面白い発想です。

木曜日, 6月 25, 2009

みたことのない世界・世界報道写真展

 今年も、写美(東京写真美術館)で行われている世界報道写真展に行ってきました。ニュース関連の写真と現代社会の問題を浮き彫りにした写真には、どちらかというとちょっとぎょっとするような写真が多いのですが、スポーツや自然をテーマにしたものは見ていても本当に勉強になります。
 報道写真ですから、芸術作品としての写真とはちょっと趣が違います。どちらかというと、構図などはおかまい無しという作品が多いのが特徴です。 それでも写真にオーラのようなものが感じられるのは、やっぱり絶対的なシャッターチャンスを逃してないとか、被写体に出会った瞬間の写したいという情熱とか欲望があるからなのでしょう。 感心してしまうのは、この写真いったいどうやって撮ったんだろうと思うような写真が結構あるのです。昆虫を接写で撮ったものなどは、本当にびっくりしてしまいます。普通のマクロレンズなどではないと思います。おそらく、顕微鏡レベルのもので撮っているのだと思いますが、われわれが普段目にすることのない世界が見られ、本当に自然の造形に驚かされてしまいます。
 昆虫写真と言えば、、今森光彦さんの写真が有名です。ちょうど一年前に今森さんの写真展が同じく写美で行われていたのですが、その時も本当に感心してしまいました。 そういえば、先日NHKで放送していた軍隊アリの特集では、、栗林 慧さんが超深度接写レンズを使ってアリを撮影していました。解像的には、相当苦しい感じがしましたが、きっと写真家の方はいろいろ工夫をして撮影されているのでしょう。 どちらにも共通していますが、やはり、見たことのない世界を見るというのはわくわくしますし、写真の原点でもあるのかもしれません。それは報道写真展のすべての写真についても言えることだと思います。そういう目で見ると、われわれの近くにも見たことのない世界がずいぶん沢山残っていることに気が付きます。
 写真を撮るというのは、見たことのない世界を誰か他の人に見せてあげることなのかもしれません。報道写真ではなく、芸術写真であっても、それを見てはっとするのは、やはり見たことがないからなのかもしれません。だれかのポートレートにしたところで、その人が日常的に見せている表情であれば、それほど驚くことはないのでしょう。でも、誰にも見せないような表情が撮れれば、それは写真として価値が生まれるのだと思います。
 私は、ヒトの写真を撮るときは、「ハイチーズ」という撮り方はあまり好きではありません。撮ると思わせないで、あるいはちょっとテストと言って撮ったりします。そういうときの皆が横を向いたり、笑ったりしているときの顔の方が、はるかに面白い写真になるものです。 一度、見たこともない写真を撮ってみるというスタンスで被写体を探してみるということにも挑戦してみてはいかがでしょうか。

土曜日, 3月 07, 2009

お年寄りに写真を見てもらうこと

 私の近親者にパーキンソンを患っている人がいます。また、私の知人の親御さんが認知症にかかり、いろいろ苦労されているようです。私の亡くなった母もガンが脳に転移し、認知機能が失われて最後は病院のベッドの上で亡くなりました。パーキンソンと認知症が症状も原因も別ではありますが、脳の病気であり、その人の過去を奪っていくということでは、ご本人にとっても、あるいは近親者にとってもとても辛いことです。

 勿論、私はそういう方を外から見ているしかできないので、本人にとっての本当の苦しみはわからないのですが、なんとか防ぐ方法はないものかと思っています。

 特に、認知症はまだ防ぎようがある病気だと思います。いろいろ認知症にならないようにする工夫が世の中で伝わっていますが、基本的に本人の努力で解決しようということが主体になっているようです。

 そこが、認知症対策の最大の問題だと私は思っています。特に、お年寄りが認知症になるきっかけが入院などを要する病気です。まだ、本を読んだりできるレベルの病気であれば、本人の努力でなんとかなるのですが、それすらできない病気で長期入院がきっかけで認知症になってしまうこともあるそうです。

 私は、そういう時のために写真をもっと使ってほしいと思っています。勿論写真でなくても映画やテレビを見ていても刺激になるのでしょうが、個人の写真と映画では、刺激を受ける程度も、刺激の受け方も違うはずです。忘れかけていたものが蘇ってくるのが、写真にしかない刺激の受け方です。写真を見ることさえできれば、脳に対して刺激を与えることができるのです。それが医学的に効果があるかどうかは分かりません。以前、何のつても無く大学付属病院脳神経外科の先生を訪問し、お聞きしたことがあるのですが、そういうことを証明するのは難しいとのご返事でした。私のようなものが突然訪れたのですから、無理もないことで、会って頂けただけでもうれしかったのですが、『やってみて、効果が出ていそうだったら、また来なさい』ということでした。だから、私は効果があるということは一切言えませんし、おそらく効果があるということを証明すること自体無理があるのではないかと思っています。しかし、もし、そういう境遇に自分がなって、手も足も使えないという状況になったら、目を使って少しでも自分に刺激を与えてくれないだろうかと思うと思います。放っておかないでくれという悲痛なお年寄りの声が聞こえてくるようです。

月曜日, 2月 02, 2009

写真を写す時のピースサイン

 いつの時代からかわかりませんが、
写真を写す時にピースサインをする人が
やたら多くなったようです。
 最近の若い世代は、特に女性は
間違いなくピースサインをします。
写真を写すというと、
条件反射で”ピース”となります。

 で、その指使いがまた、流行があるのです。
初期ピースサインは、いわゆるV型にきれいに
カメラの方を向いていたのですが、
最近の女性のピースサインは、ちょっと横向きです。
時には手の甲がカメラの方を向いちゃってます。
 小さい子供がピースをすると、
やっと指を広げて格好をつけますが、
向きがおかしかったりします。
あのイメージです。
 『カワイイ』という言葉が
やたら使われてますから、可愛くみせる
手段にもなっているのかもしれません。
ちなみに、手の甲を相手に見せてVサインするのは
イギリスでは侮辱を意味するそうです。

 もともとは、反戦平和をアッピールする時などに
用いられていたものだったはずです。
 その前からあったようですが、
多くの人が使うようになったのは、
反戦平和的な使い方だったと記憶してます。
だからピースサインと言うんですよね。
ピース、ピースと叫びながらデモをしていたのを
よくテレビで見ました。

 どうでも良いことですが、私の学生時代の友人は、
ちょっと良いことがあると『ピース、ピース』と
言って指を広げていました。
ちょっと良いことというのは、大体パチンコで
2千円儲けたとか、そんなレベルです。ウン十年前の話です。

 そのあたりから、Vサインとピースサインが
一緒になってきたような気がします。

 それが、写真を写す時のポーズになったのは
いつごろからか分かりませんが、
すっかり定着してしまいました。
外国人でもやっている人がいますから、
世界的な傾向でしょうか。
スポーツの試合で勝って記念写真を撮っている時に
Vサインをしたのが広まったのかもしれません。

 日本人が、自分の気持ちをストレートに
出すようになった時期とも同期しているように思います。
 野球の王さんは、ホームランを打っても
ガッツポースはしませんでした。
長島さんもしませんでした。打たれたピッチャーに
失礼だからだという理由だと聞いたことがありますが、
昔は、それが常識でした。それがスマートでしたから、
見ていてしびれましたが、最近はガッツポーズをする
選手が当たり前になりました。

 写真のピースサインは他愛もないことですし
無意識にやっていることですから、とやかく言うほどの
ことでもありませんが、何となく個性がなくなって
来ているような気がしてしょうがないのです。

火曜日, 1月 20, 2009

メールマガジン

 以前、メールマガジンを発行しようとしたことがあります。準備をして、1回だけ今まで注文していただいたお客さまにお出ししたことがありました。価格の変更をご連絡する目的でした。でも、その一回のみで、そのあと、メールマガジンを発行するのを結局止めました。

 なぜかというと、自分でも閉口しているのですが、やたらと余計なメールが多いのです。
余計なメールと言っても、自分がネットショップで買ったことが元になって、そこから繰り返し送られてくる宣伝メールであったり、そういうこととは一切関係なく、送られてくる迷惑メールであったり、過去情報取得を目的としたメールマガジンの購読で購読中止を申し込んだにも関わらず、相変わらず送られてくるメールであったりするわけです。

 最近は、メールソフトとか、ウィルスチェックソフトが大体自動的にはじいてくれるからだいぶ助かりますが、それでも時々迷惑メールでないものが迷惑メール扱いされたりしますので、自動的に分別された分別ごみメールを無条件で捨てるわけにもいかず、それなにり面倒なことです。

 本来、メールというのは必要な場合に出したり、差出人が明確であるべきものだと思うのです。それが、宣伝とはいえ、やたら多くのメールを出すことが当たり前になってしまっています。そなるのは、いろいろ弊害があっても、多くのメールを送り続けることで、それなりの効果があるからでしょう。100通送って、99人が迷惑と考えても、1人がそのメールで物を買ったりすれば、送った側にとっては、大成功なのでしょう。しかし、99人が迷惑しているという事実が残ります。受け取る側にも受け取る自由があってもよいと思います。

 そういうこともあって、これ以上メールを増やすのはやめようということで、メールマガジンを止めました。ですから、フォトセピアからメールマガジンを発行することは今後はありません。ご利用いただいたお客様に対し、サービスの変更を行う場合も、メールマガジンではなく、ホームページの工夫や、ブログを通じてご連絡するようにいたします。

 ブログはrssという機能を使うと、ブログも更新されたことが簡単にわかりますので、受ける側で選択できます。メールは受ける側での選択が原則としてできませんので、メールを使って無条件にお客様に情報を送りつけるというのは、やめたということです。要は、情報を受ける自由・受けない自由を侵さないということにするということです。

 でも、受け取らない自由というのは難しいことです。たとえば、贈り物などを頂いたり、年賀状を頂いたり、お祝いの電話を頂いたりというごく日常的に行われているすべてのことに関係しています。それをすべて受けない自由があるだろうとはなかなか言えませんよね。受け側での対応は難しいということです。ですから送る側というのは、もっとよく考えないといけないと思うのです。

 宣伝とか情報発信というのは、おしつけちゃいけないのですね。そういう基本原則的な節度というものを大事にしたいと思います。

水曜日, 1月 14, 2009

家電メーカの限界

 ソニーが赤字に転落するという話、東芝も2000億円の赤字になるということ、なにか共通性があります。ソニーは今はカメラメーカー大手とも言えるわけで、コンパクトから一眼レフまでそろえているわけです。でも、やっぱりカメラひとつ取ってもソニーらしさがなくなってきました。私にとってのソニーは、なんといっても先進性とデザインです。世界最初のトランジスタラジオ、トリニトロンブラウン管というのが、先進性の象徴のようなものだっとと思っています。
 ということは、そのあとの先進性をしめすものがないということになるのかもしれません。ソニーが少し前に元気がなくなって、現在ストリンガーという人が経営を行っているわけで、立ち直ったように言われてきましたが、私はソニーは立ち直ったとは思っていませんでした。
 それは、ソニーの先進性を示すものがなかったからです。カメラも目新しさはありませんでした。従来の一眼レフの枠からはみ出していませんでしたし、なによりも、新しいデバイスがなかったのです。あっと言わせるようなデバイスを製品に組み込んだのがソニーでした。それがカメラにもなかったし、他の製品にもないのです。つまり、ただのソニーになってしまったのです。それでも、デザインだけはまだ頑張っていたと思います。しかし、それでさえも、他のメーカの後塵を拝することが多くなってきました。
 もうひとつ言えることは、カメラも家電も、作るものがなくなってきたということでしょうか。もう充分に進化していまいました。たとえば、顔認識なんていうものが最近のカメラには入ってますが、こういうものを入れざるを得ないというとこと自体が限界が来ていることを物語っています。
 だいたい、この世の中にさらにほしいものがそんなに残っているのでしょうか。便利さをどんどん追及していって、十分に便利になりました。家電メーカが曲がり角に来ているというのは間違いないことでしょう。

月曜日, 1月 12, 2009

男と女

 最近、美大生の写真講座の方に力が入っていて、日記の方は、ずいぶんご無沙汰です。こちらの方は、くだらないことが多いかもしれませんが、気楽に楽しんでください。

 それにしても、世の中明るいニュースが乏しいですね。不景気、不景気と言っていると余計に不景気になりそうです。マスコミももう少しためになることを書いてほしいですね。
 昨日、NHKで見たNHKスペシャル 男と女は面白かったですね。自分に照らし合わせて見ると、僕もこのパターンだというのが、実によく納得できてしまうのです。喧嘩をした原因が、男と女の長い歴史の中で数百万年まえから徐々に築かれてきたものだということですから、喧嘩をしたら、『これは俺のせいじゃないっ! 人類の歴史の賜物だ。』と無責任に考えるのも、ある意味では良いことなんじゃないかと思います。ただし、夫婦でお互いにそう思わないと、もっと大変なことになりそうですが・・・。

 HPの方を改造中です。改造と言っても、皆さんの目に触れるところは対して変わりません。でも、注文とかお試しとかお問合せの部分が変わります。もう少し使いやすくする予定です。写真とスライドショーの注文を分けますし、スライドショーに関してはもう少し細かい設定ができるように準備しております。そちらが終わったら、ご注文以外のページのリニューアルを予定しております。