土曜日, 12月 06, 2014

北鎌倉 長寿寺

 北鎌倉の長寿寺の紅葉が最高に綺麗な状態でした。鎌倉は、全体的に紅葉が少し遅いのですが、場所によてはこの時期でも綺麗なところがあります。
 このお寺は、非常に手入れが行き届いていて、その分雑然としたなかの美しさのようなものは全くないので、好き嫌いはあるかもしれませんが、こういうお庭も良いものです。特に私が気に入ったのは、苔です。スギゴケだけが庭一面をおおてっており、フカフカのソファーのような柔らかい雰囲気を醸し出しています。
 最近は、コケの庭もたくましいゼニゴケに覆われてしまうところ多く見られます。スギゴケだけでこれだけ覆うのは、大変な手間がかかっていると思います。本当は、庭を見ながら抹茶でも頂きたいのですが、参拝客が多くてちょっと難しいでしょう。北鎌倉へ来られたら、ぜひお立ち寄りください。
フォトセピア

土曜日, 10月 25, 2014

アポカリプス

 昔の白黒写真(動画)を着色する試みが行われている。最初に行われたのが、フランスのテレビ番組、アポカリプスであったそうだ。最近では、HNKで昔の東京の画像を着色して放送していた。色を付けることにより、対象物が明確になったり、奥行きが出てきたりする。写真の色の復元をやってきて、同じようなことを良く実感する。私がやっているのは着色ではないが、色あせた写真も白黒写真同様に、ポイントがはっきりしなくなり、被写体の奥行きもなくなってしまう。なにより、色あせたカラー写真はカラー写真というよりも白黒写真を見ているのとさほど違いがない。
 何れにしても、白黒をカラーにするというのは、画像の迫力が違い、つい見入ってしまう。反面、本来持っていない色を付けるというのは、原理的には無理なことであるため、調査や類推で着色をせざるを得ない。いくら技術が発達しても100%色情報の無い画像の色を復元することはできない。従って、言い方は悪いが、ウソが入ってしまう危険性も高い。ウソによって人の心が大きく動かされるとしたら、それはそれで問題である。
 やはり白黒の写真は、白黒で見るのが筋ではないのだろうか。せめて、既知の事実に基づいて判っている色だけ着色し、判らない部分は白黒のままにするというのが見識のように思う。

月曜日, 10月 06, 2014

多摩美プロダクトデザイン展示会

 東京都渋谷区の代官山T-SITE ガーデンギャラリーで多摩美のプロダクトデザイン専攻によるデザイン展が行われていた。通りがかりに偶然立ち寄ったのだが、いくつか面白いものがあった。その中でも、下の写真にあるカメラが気に入った。というのも、おなじようなコンセプトのカメラをこのブログで書いたことがあったからである。今回の展示は、虫などの接写ができるよう、表示部が折れ曲がるようになっていたので、私がブログに書いたものより進化している。
 キャノンが協力していいるようでキャノンのロゴが入っていたのは愛嬌だが、こういうコンセプトのカメラが出てきてもよさそうに思う。ソニーのレンズカメラもあるがまだ主流にはなりえない。何れにしても、旧来のカメラというスタイルからなかなか抜け出せない今のカメラは、余りにも滑稽にしか見えない。というのも、今までのカメラはあの形に必然性があったのであり、特にフルム時代のカメラは必要性からあのような形にしかなりえなかったと言ってもよかったのだが、今のデジカメが旧来のカメラの形をそのまま維持しようとしているのは、単なるノスタルジーの世界に浸っているだけとしか思えないからである。いや、形を変えることに恐怖心すらあるのかもしれない。それで、チマチマと些細なことに拘った型にしてしまっている。ミラーレスなのに軍艦をつけたりするというところまでくると、もう笑うしかないと言ってもよい。

 スティーブ・ジョブズは、『デザインとはいかに見せるかではなく、いかに機能させるかである』と言った。iPhoneもiPadも機能させることに徹底してこだわったからイノベーションが起きた。こういう風に操作したい、こういう機能を入れたいという要求を徹底的につきつめ、それを実現させるようにしたために、今のスマホが出来た。恰好から入ったら今のスマホは生まれなかっただろう。
 カメラは未だに如何に見せるかだけに拘っていて、もっと悪いことに復古調にすることで客を引き付けようとすらしている。この延長には、イノベーションはあり得ない。今のカメラ業界の元気の無さをまさに象徴していると言っていいだろう。

月曜日, 6月 23, 2014

マーク・ラスキーノ氏の意見

 週刊ダイヤモンドのオンラインに面白い記事があった。『新しいカメラの購入で明らかになったデジタルビジネスの抱える問題点』と題するガートナーブログネットワークのマーク・ラスキーノ氏の意見だ。要は、カメラメーカはカメラを作るところまでしかやらず、そこから後のビジネスチャンスを捨ててしまっているということを言っている。これが、デジタルビジネスに変わった時に、カメラメーカが気づくべきであったが、カメラメーカは、アナログからデジタルに変えることだけに執着し、未だにそこから変わっていないと言いたいのだろう。
 カメラメーカも、カメラを販売する上で、写真保存サービスや、写真加工ソフトの販売も行っていると反論すだろう。しかし、それは、あくまでもカメラを販売するという目的の領域から一歩も出てない。実際に、カメラメーカでオンラインのビジネスで成功しているメーカは私が知る限りでは存在しない。逆にGoProのようにオンラインの環境を上手く利用して、新たなカメラビジネスを構築したケースはある。
 氏の発言の本質は、アナログ写真からデジタル写真に変わった時に、写真の役割が根本的に変わったと言うことだろう。アナログ写真は記録であった。しかし、デジタル写真は、情報になった。つまり、情報は生かしてこそ情報であり、情報の入り口を牛耳っていたカメラメーカは、その後の情報を生かすビジネスをみすみす捨てている。代わってサードパーティーがそこに付け込んでビジネスを展開している。しかも、氏が例に出している保存共有やオンラインでの写真加工という比較的に写真に近い領域だけにはとどまらない領域がまだ大きく口をあけて待っている。
 今のカメラ業界の活気の無さは、まさにそこにあるのだろう。カメラ業界という言葉自体が、既に時代の流れについていけていないことを象徴している。

火曜日, 4月 01, 2014

カメラの通信機能

 前回、カメラに最新の通信機能をということを書きました。  カメラに通信機能というのは、単にスマホ対抗という意味だけではないのです。カメラそのものの変質が要求されているということです。通信機能というものは、あらゆるものに入ってくると考えます。現状はwifiという方法がありますが、これは決して使いやすいものではありません。野良wifiが無い外では使えないし、個々の家にwifiルータが必要になり、場合によっては一台では済まされないでしょう。結構不安定なものでもあります。個々の機器に通信機能があれば所詮不要な存在なのです。これはカメラだけに限った話ではないと思いますが、取りあえずカメラに限定します。
 カメラが直接にネットに繋がることで、クラウド化が可能になります。クラウド化というのは、単にカメラで撮った画像をクラウド上のサーバーに蓄えるということだけではありません。カメラの画像の加工も含めてクラウド化が可能になるのです。つまり、カメラ本体には複雑な機能がいらなくなるのです。

 カメラというのは情報入力機器です。従って、情報処理機能とどう結びつくかが大きなカギになるはずです。その情報処理をカメラの中に閉じ込めておくのはもはや時代遅れです。クラウド化した前提で、情報処理はどうすばよいのでしょう。情報処理は、カメラメーカが用意してもよいし、サードパーティーが提供することも考えられます。その分、カメラのコストは下げられます。しかも、機能のバージョンアップはクラウド上で実現できるはずです。カメラは単純な入(出)力であれば良いのです。但しカメラに情報処理機能を入れることを妨げるつもりはありません。

 カメラのビジネスモデルも変わってくると思います。今のカメラは売った段階で完結します。せいぜい、その後に交換レンズを買ってくれる程度です。しかし、クラウドカメラは、データの処理と蓄積をビジネスにできます。カメラは入力端末で良いのです。(図らずもフィルム時代まさにそういう存在でした。)従って、価格を抑え、データ処理で利益を出すというビジネスが可能になるのです。データは、カメラ自体、PC、携帯、パッド端末、テレビなどあらゆるもので瞬時に閲覧できるようになります。

 WIFIがあれば十分だと言う人がいるかもしれません。しかし、書斎に置いてあるプリンターならそれでもよいでしょうが、カメラは外に持ち出すものです。だからWIFIでは不十分なのです。撮ったデータが瞬時にカメラ以外に蓄えられるようにして欲しいし、どこでも瞬時に見られるようになっていて欲しいのです。つまり、リアルタイム性が欲しいのです。昔のカメラは、フィルムを現像して、プリントするまではどう映っているのか判りませんでした。だから、ポラロイドカメラが出てきたのです。デジカメでポラロイドはこの世からほぼ無くなりました。デジカメのリアルタイム性に負けたのです。スマホはデータ領域でコンデジより一歩先んずることができました。だからコンデジは死んだのです。一眼に欠けているのは、やはり共有性まで含めたリアルタイム性です。リアルタイム性を備えた一眼で出てくれば、一部の趣味人に限定されたカメラに留まることなく生き残ると思います。

 では、スマホのカメラとなにが違うのでしょうか?そのあたりは次回にします。
写真デジタル化復元

木曜日, 3月 06, 2014

カメラに第四世代通信機能を

 カメラの出荷が半減するというカメラ業界にとっては、明るいニュースが乏しい中で追い打ちを掛けるように、スマホのカメラ喰いが激しさを増しています。光学的な手振れ防止、光学ズームととどまるところを知らない状況です。
 カメラで撮った画像を、すぐ送れたり、SNSに貼り付けられるというのだから、この流れはそう簡単に変わらないと思います。不思議なことに、カメラに通信機能が付かないのが理解できません。wifiというレベルではなく、携帯と同じようなことが出来ないと携帯には太刀打ちができないのですが、なかなかそうはならないようです。コンデジは、以前からなんども書いているように、携帯にとって代わりつつあり、残すは一眼の世界です。テザリングを使えば良いというようなものではなく、ダイレクトに通信ができるようにすることが必要だと思います。2008年にそういうことを書いたのですが、趨勢は6年まえの予想通りになっています。誰が考えても同じ結論になると思うのですが、実に不思議なことです。
 技術的には、携帯電話とカメラの両方を持っているのは、日本ではソニーしか残ってない(海外ではサムスンも両方持ってはいます)と思うのですが、有利なはずのソニーがそういう方向に行かないのも不思議です。カメラ業界は、市場の縮小と同時に委縮してしまったのでしょうか。
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水曜日, 2月 05, 2014

一眼の潮目が変わったのか?出荷台数が海外で大幅落ち込み

 カメラの売れ行きに変調らしきものが起こっている。コンデジが売れなくなったのはもう当たり前のようになっていて、その傾向はますます強くなっている。来年には、コンデジの出荷台数と一眼の出荷台数が逆転するだろう。ところが、ここへきて一眼の出荷台数が落ちてきている。国内は増えているが、全体では減っている。つまり、海外は2012年に較べ2013年は19%落ちている。これは一体何を意味するのだろう。
 コンデジがスマホに食われているのは解る。しかし、その場合、高級機は却って売れると考えるのが自然。少しグレードの高いコンデジユーザがスマホと画質の違いが明確に出るカメラを指向すると思われるからだ。しかし、現実は逆になっている。スマホで十分と思い始めたのだろうか。ちょっとそれは考えにくい。もっと本質的な問題があるように思える。
 私は、カメラが余りにもカメラに固執してしまっているのが原因ではないかと考えている。カメラの枠から一歩も外に出ていないのだ。生活必需品なら別だが、嗜好品の場合は結構機能面や使い方なの点で変化をしている。変化することで生き延びてきたとも言える。例えパソコンが良い例だ。当初はインターネットとメール位にしか使ってなかった人が多かった。それがアプリの拡充で、いろいろな用途に拡がった。その一部はタブレットのように少し形を変えてきている。スマホだって、元はパソコンのようなものだ。テレビなんかは変化が少ないが、それでもインターネットを見ることだってできるし、制限はあるものの情報を放送局に送るなんてこともできるようになってきた。オンディマンドで映画館の代わりにもなるようになった。
 ところが、カメラはどうであろうか? 相変わらずカメラだけだ。せいぜい動画を撮れるようになった位だろう。だから攻めている製品にどんどん浸食されている。携帯は、カメラに進出し、テレビ会議も出来、ボイスレコーダにもなり、本(電子ブック)にもなる。リモコン代わりにもなる。歩数計にもなる。地図にも使える。私だって、スマホを電話として使うことは極めて少ない。大半を他の用途に使っている。
 カメラは相変わらずカ・メ・ラだ。図体が大きい割には、融通の利かない単機能の機械を持ち歩くのはもうたくさんだと思われたって仕方が無い。勿論カメラ愛好家にはそれで良いだろう。しかし、カメラ愛好家だけをターゲットにするのであれば、先は見えている。
 私は、カメラ屋が聞いたら頭に来るような使い方を結構している。異常な使い方だから使いづらいが仕方が無いと諦めている。しかし、そういう異常な使い方をカメラメーカは多分全く考えていないだろう。せいぜいクラシックなカメラの雰囲気を出して、液晶メニューに飽き飽きしたコテコテのカメラヘビーユーザが喜んでくれるような製品を開発することしか考えていない。いわゆる守りのカメラだ。一部熱狂的なカメラ愛好家には好まれる。だから日本では好調だ。しかし、海外の落ち込みは日本の考えが通用しないことを示しているのではないか?
 もちろんコテコテのカメラは有っても良い。写真家や報道カメラマンだったら、大半は今のままで満足するだろう。それでも、私が写真家だったらやっぱり不満だ。もう少しカメラの枠を外して考えた方が良いと思う。カメラ=写真の時代なのではないか。カメラが攻めの姿勢に入らないのであれば、一部の写真家と写真愛好家だけの製品になってしまうのは時間の問題だろう。10年後には、ニコンやキャノンも今のハッセルブラッドやライカのような存在になっているのかも知れないなんていうのは、見たくもない悪夢である。なにしろ一眼は日本製品が唯一と言って良いほど圧倒的なシェアーを誇っている工業製品なのだから。

土曜日, 1月 25, 2014

望ましいEVF(電子ビューファインダー)

 前回に引き続き、EVF(電子ビューファインダー)のことを書きます。現在のEVFは撮像素子で撮った画像をそのまま表示しているだけです。光学ファインダーは、ミラーやレンズを使ってはいるものの、基本は人間の目です。一番大きな違いは、明るさの範囲をどこまで許容しているかということです。例えば、周りが暗くて真ん中だけが明るい被写体を覗いたとします。人間の目には、暗い部分もそこそこ見ることができ(勿論程度にもよります)、しかも明るい部分もちゃんと見えます。一方、カメラの画像はどうでしょうか?明るい部分がちゃんと見えるようにすると、周りの暗い部分は真っ暗になります(つぶれてしまう)。周りの暗い部分が少しでもなにが写っているかを見極めるように設定すると、真ん中の明るい部分が飽和してしまいます(飛んでしまう)。
 最近カメラには部分的に露出を補正する機能があり、明るい背景で人物の写真を撮った時などに顔の部分の露出を増やし、顔が真っ暗にならないような機能があります。しかし、それは撮った写真の結果であって、ビューファインダーで見ている時は機能しません。
 人間の目のような機能をビューファインダー(実際には、カメラのセンサーと画像処理エンジン)に入れないと、人間の目の代わりになるビューファインダーは実現できません。ディスプレイでは、アップルがレチーナディスプレイと称していますが、レチーナは網膜ですから、本来ディスプレイに使うのは正しい表現ではありません。本当のレチーナビューファインダーが出てきてほしいのですが、そのためには、人間の目の構造をもっと知って取り組んでほしいと思います。

水曜日, 1月 08, 2014

現状の電子ビューファインダーEVFの問題点

 前回EVF(電子ビューファインダー)について書きましたが、現状の電子ビューファインダーはまだまだ未熟という感じです。問題点はいくつかあります。

 第一に、精細度が不足しているという点です。光学的なファインダーで見た場合はかなり細かい部分まで見ることができて、フォーカスも十分に確認できます。しかし、EVFは本当に細かいところがなんとなくごまかされてしまっているような感じです。それに、画像にしっとり感が無いのも気になります。解像度のせいかギトギトしているものもあります。

 第二に、応答が悪いことです。液晶画面でのライブビューと同じですから、撮像素子のレートの影響もあると思いますが、カメラを横方向に動かすと応答の遅さが目立ちます。購入される際には、横に動かして確認することをお薦めします。

 第三に色あいが違っていることです。これはカメラで被写体を写した時にも同じことが言えるのですが、撮ってしまったものを後から見て色合いが違うと判断するのは結構難しいことですが、現実に目の前にある景色や被写体が、EVFを通して見ると違って見えるのですから、どうしても気になってしまいます。

 第四に、覗いた瞬間に真っ暗になっていることがあるということです。これは機種にも依るようですが、一瞬一眼でキャップが付いているのかと思ってしまうことがあります。覗いた時にEVFを動作させるという機能のようですが、余りにも応答が悪いのでしょう。

 第五に、これは前回に書いたことと重複しますが、カメラの撮像素子の画像をそのままEVFに流せばよいという発想が間違っていると思います。撮像素子の出力を使うのは当然でしょうが、それをもう少し肉眼で見た画像に近づけるように工夫をしてほしいということです。これについては、また別途書くことにします。

   何れにしても、現在のEVFはどのメーカの製品も相当問題があります。ミラーレスで、EVFなしで液晶パネルのみというのは、私は使う気になりませんが、EVFを搭載するのであれば、もう少しまともなEVFを搭載してほしいと思います。今のEVFは液晶画面をファインダーでのぞけるようにしただけです。