金曜日, 3月 20, 2015

JFK―その生涯と遺産

 先日、国立公文書館で開催している「JFK―その生涯と遺産」展を見てきました。第35代大統領ジョン・F・ケネディです。
 ケネディが凶弾に倒れたのは、まだ私が中学生の時でした。初めての衛星放送で送られてきたのがケネディ暗殺のニュースで、丁度私の友人が私の家に来て一緒に学校の宿題か何かをやっていた時のことでした。14インチの白黒のブラウン管に映し出された映像は、一生忘れられない記憶として焼き付いたままです。
 ケネディは、当時の日本の政治家と較べようがないほどに恰好のよい政治家でした。中学生でしたから、政治のことは全く判っていなかったのですが、政治家の恰好の悪さだけは印象に残っていました。
 今回の展示で、一番私の気を引いたのは、ケネディの演説です。今もし彼が生きていて演説をしたら、世界のどのリーダーも太刀打ちできないでしょう。まして、日本の政治家の演説ときたら、もうどうしようもないとしか言いようがありません。50年を過ぎてもその演説の輝きは全く失われていないのです。オバマが演説がうまいと言いますが、それはレトリックとして上手いだけで、中身がないのです。
 ケネディの演説は、民衆を引きつけ、民衆を動かす力があるのです。政治家の演説は一歩間違うとヒットラーのように間違った方向に導いてしまうのですが、そういう導き方ではない力強さがあるのです。彼の演説で一番有名なのは『アメリカ国民諸君。国家が諸君のために何をなしうるかを問うのではなく諸君が国家に何をなしうるかを問い給え。』という演説です。彼は、私がやるとは言ってないのです。民衆に勇気を与え、民衆が自らの力で世界を変えていけるように鼓舞しているのです。
 もうひとつ、着目したのは、彼の演説には、難しい言葉が出てこないのです。いわゆる政治用語がないのです。いま、日本の政治家の演説を聴いてみると、言葉だけでは何を言っているのか判らない単語があふれています。『三位一体の改革』『新三要件』『三本の矢』など、それだけでは何か全くわかりません。それは政治家の世界では通用する言葉ですが、民衆には判らない言葉です。(それにしても、三という数字が好きですね。)民衆に判ってもらうのではなく、民衆を煙に巻く演説が非常に多いことに気が付くと思います。ケネディの演説には、民衆を煙に巻くような言葉は出来てきません。自慢もしません。 ケネディの清新さはそういったところにもあったのかもしれません。

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