水曜日, 2月 05, 2014

一眼の潮目が変わったのか?出荷台数が海外で大幅落ち込み

 カメラの売れ行きに変調らしきものが起こっている。コンデジが売れなくなったのはもう当たり前のようになっていて、その傾向はますます強くなっている。来年には、コンデジの出荷台数と一眼の出荷台数が逆転するだろう。ところが、ここへきて一眼の出荷台数が落ちてきている。国内は増えているが、全体では減っている。つまり、海外は2012年に較べ2013年は19%落ちている。これは一体何を意味するのだろう。
 コンデジがスマホに食われているのは解る。しかし、その場合、高級機は却って売れると考えるのが自然。少しグレードの高いコンデジユーザがスマホと画質の違いが明確に出るカメラを指向すると思われるからだ。しかし、現実は逆になっている。スマホで十分と思い始めたのだろうか。ちょっとそれは考えにくい。もっと本質的な問題があるように思える。
 私は、カメラが余りにもカメラに固執してしまっているのが原因ではないかと考えている。カメラの枠から一歩も外に出ていないのだ。生活必需品なら別だが、嗜好品の場合は結構機能面や使い方なの点で変化をしている。変化することで生き延びてきたとも言える。例えパソコンが良い例だ。当初はインターネットとメール位にしか使ってなかった人が多かった。それがアプリの拡充で、いろいろな用途に拡がった。その一部はタブレットのように少し形を変えてきている。スマホだって、元はパソコンのようなものだ。テレビなんかは変化が少ないが、それでもインターネットを見ることだってできるし、制限はあるものの情報を放送局に送るなんてこともできるようになってきた。オンディマンドで映画館の代わりにもなるようになった。
 ところが、カメラはどうであろうか? 相変わらずカメラだけだ。せいぜい動画を撮れるようになった位だろう。だから攻めている製品にどんどん浸食されている。携帯は、カメラに進出し、テレビ会議も出来、ボイスレコーダにもなり、本(電子ブック)にもなる。リモコン代わりにもなる。歩数計にもなる。地図にも使える。私だって、スマホを電話として使うことは極めて少ない。大半を他の用途に使っている。
 カメラは相変わらずカ・メ・ラだ。図体が大きい割には、融通の利かない単機能の機械を持ち歩くのはもうたくさんだと思われたって仕方が無い。勿論カメラ愛好家にはそれで良いだろう。しかし、カメラ愛好家だけをターゲットにするのであれば、先は見えている。
 私は、カメラ屋が聞いたら頭に来るような使い方を結構している。異常な使い方だから使いづらいが仕方が無いと諦めている。しかし、そういう異常な使い方をカメラメーカは多分全く考えていないだろう。せいぜいクラシックなカメラの雰囲気を出して、液晶メニューに飽き飽きしたコテコテのカメラヘビーユーザが喜んでくれるような製品を開発することしか考えていない。いわゆる守りのカメラだ。一部熱狂的なカメラ愛好家には好まれる。だから日本では好調だ。しかし、海外の落ち込みは日本の考えが通用しないことを示しているのではないか?
 もちろんコテコテのカメラは有っても良い。写真家や報道カメラマンだったら、大半は今のままで満足するだろう。それでも、私が写真家だったらやっぱり不満だ。もう少しカメラの枠を外して考えた方が良いと思う。カメラ=写真の時代なのではないか。カメラが攻めの姿勢に入らないのであれば、一部の写真家と写真愛好家だけの製品になってしまうのは時間の問題だろう。10年後には、ニコンやキャノンも今のハッセルブラッドやライカのような存在になっているのかも知れないなんていうのは、見たくもない悪夢である。なにしろ一眼は日本製品が唯一と言って良いほど圧倒的なシェアーを誇っている工業製品なのだから。

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