月曜日, 10月 24, 2011

カメラの形


 以前からカメラの形に疑問を持っています。フィルムカメラであった時の形が未だに多くのカメラに継承されているのですが、どう考えても最適な形とは思えないのです。カメラにも、大判のカメラ、中版のカメラ、二眼レフ、一眼、コンパクト、それにビデオカメラといろいろあります。それぞれ必然性があったのですが、今の一眼(レフ)デジカメ、コン(パクト)デジの必然性というのはよくわかりません。

 私は個人的には円筒形(直筒形)のカメラが欲しいと思っています。筒の前がレンズ、後がファインダーかモニター(モニターはビデオカメラのようになっていても良い)、というのが自然なのではないかと思います。

特に、コンパクトカメラではどう考えても今の形は持ちにくいのです。私は結構実用的な用途でコンデジを使いますが、片手で撮って、片手は別の用途に使います。その際、片手でコンデジを持ってシャッタを切るには非常に使いづらい形です。

 以前紹介したライトロ(撮った後で自由にフォーカスが変えられるカメラを開発http://photosepia.blogspot.com/2011/06/lytro.html)がいよいよカメラの発売するよう(2012年に発売)ですがhttp://www.wired.com/gadgetlab/2011/10/lytro-camera/
円筒ではないのですが、同じような考え方です。そろそろカメラの形を変えても良いのでは。

土曜日, 10月 22, 2011

畠山直哉展


 東京写真美術館(http://syabi.com/)で畠山直哉展が開催されていたので、見て参りました。ほんとにすばらしい作品ばかりで圧倒されてしまいました。なにがすごいかというと、被写体の捉え方とその表現力もすごいのですが、私が一番感心してしまったのは、大きな画面で遠近感もあり、なおかつどこにも焦点がきっちり合っているということからくる迫力です。

 やはり写真はレンズがしっかりしていて、焦点がきっちり合っているというのが先ず必要なのだと強く感じた次第です。大きく引き伸ばしても細かいところまできっちり焦点が合っているということが、離れてみても人を引き付ける力を持っているのだということなのではないかと感じています。遠く離れて見るのであれば、細かい部分で多少ボケていても関係ないというのは理屈では分かりますが、そういう写真は遠く離れてみてもなにか迫力に欠けるものあります。この差をどう表現して良いのか判りませんが、やはり高精細で写真を撮るというのは非常に重要なのだと実感しました。

水曜日, 10月 19, 2011

Canon 1DX


 久しぶりにキャノンからフルサイズ一眼レフの発表がありました。 今回の仕様を見ると、画素競争に走ることなく、カメラの基本性能を重視するという姿勢が見えてきます。特に、ISO感度を51200まで高めたというのが注目に値します。これだけ感度が高くなれば、ストロボを使わなくても良い機会が増え、写す選択肢が増やせます。

 1Dシリーズはプロ用を意識したカメラですから、実際にカメラを使う側の要望を取り入れた選択だと思います。この考え方は一般のカメラにも広めて欲しいと思います。

 ISO感度というのは明確な規定はなく、増幅率さえ上げてしまえば高い値を仕様にすることは出来てしまうのですが、カメラメーカの良心が現れる場所でもあります。実際にはノイズだらけであっても感度が高いと謳っているカメラもあります。ですからこの51200という値は使える感度であれば素晴らしい値です。

 感度を左右するのは第一にセンサーですが、基本的にどのメーカであってもセンサーの原理的な部分は変わりませんので、あとは光の取込効率を上げたり、一つの画素をどこまで大きくできるかというところでしか差別化できなかったわけです。しかし、最近は画像処理エンジンの性能が飛躍的に向上し、ノイズを大幅に低減することが出来るようになってきました。つまり、カメラは画像処理能力の競争の時代になってきたということだと思います。

 一方で、今後カメラは何をターゲットにして行くのかというのが問題です。一般用のカメラはまだいろいろな方向性があると思いますが、フラグシップ機というのはどこに向かうのでしょうか? 大きな変革が必要な時期に来ているような気がします。今後の動向を見守りたいと思います。

木曜日, 10月 06, 2011

ジョブズ


 アップルのスティーブ・ジョブズが亡くなりました。とてつもない才能を持った人だったということは、いろいろなところで指摘されていますが、なによりもコンセプトやデザインに徹底的にこだわり抜いて妥協を許さなかったという点でこの人の右に出る人は居なかったと思います。エンジニアでありながら、デザインにもひいでた才能を発揮していたという点では珍しい人物であったと思います。

 新しい製品のコンセプトという点ではこれほど注目された人物は居なかったし、今後も同じような人が出てくるとはとても思えません。

 巨星が落ちたとはこういうことでしょう。

火曜日, 10月 04, 2011

コダックのジレンマ


 写真フィルムの老舗であるコダックが非常に厳しい状況に置かれている。フィルム写真の時代は、コダックを使うことにあこがれがあった。わけもわからずコダクロームを買い、写真を写し、スライドを覗いて喜んでいた。そのコダックが倒産の危機にあるという。(もちろんコダックは否定している。)

 しかし、フィルムの時代は終わった。映画でさえデジタルの時代になってしまった。コダックもデジカメには手を出してはいるが、日本のカメラメーカには太刀打ちできるはずがない。デジタル化の波に飲み込まれてしまったのである。フィルムメーカでもう一方の雄であるフジフィルムは、フィルムという技術を別の形で展開することで生き延びている。工業用のフィルム製品や、フィルムで培った技術を使った化粧品などでうまくフィルムから脱却したと言ってよいのであろう。

 残念ながら、コダックはフィルムの横展開が出来なかった。写真フィルムの素晴らしさだけを訴え続けている間に世間が変わってしまった。どんな工業製品でも同じようなことがおきる。どんな事業でも陳腐化は起きる。成功は失敗の始まりなのだ。もっと正確には、成功にしがみつくことが失敗の始まりなのだろう。